いつも渓流斎ブログに、興味深い話題を提供してくださる宮さんから本をお借りました。西家文代(にしいえ・ふみよ)著「ナホトカの春」(羽衣出版、2025年12月15日初版)という本=写真=です。副題に「ハルビン学院特修科・シベリア抑留記」とあり、まさに、著者の実父が体験したことが詳しく書かれています。327ページという大作です。
この本には宮さんも実名で登場しています。私と宮さんとの最初の接点は、私がこの渓流斎ブログに、陶山幾朗編著「内村剛介ロングインタビュー 生き急ぎ、感じせくー私の二十世紀」(恵雅堂出版、2008年5月25日初版)の書評を書いたところ、宮さんから私のブログに直接、コメントで連絡があったことでした。もう18年も昔ですか…。(この記事を探しましたが、消失してしまったようです)
ハルビン学院同窓会連絡事務所
当時、宮さんは、東京都新宿区の恵雅堂出版に勤め、同時にハルビン学院(同窓会)連絡事務所の事務局長も兼務しておりました。同出版社の創業者麻田平蔵氏(1923〜2018)がハルビン学院本科24期の卒業生で、その関係でハルビンや満洲関係の書籍を多く出版し、麻田氏も同窓会の代表幹事だったからでした。ちなみに、同社から「著作集」も出版したロシア文学者の内村剛介(1920〜2009年)は、ハルビン学院の第21期卒業生でした。
宮さんの影響もあり、私も満洲(現中国東北部)にすっかりハマってしまい、渓流斎ブログにも結構、満洲関連のことを書きました。また、恵雅堂出版の麻田氏が経営する高田馬場の予約が取れない人気ロシア料理店「チャイカ」には何度か、宮さんのご紹介で行かせてもらいました。
華麗なる満洲人脈
満洲関連の記事として、ブログには、満洲映画理事長も務めた甘粕正彦と「甘粕事件」の大杉栄や、この甘粕から「将来、とてつもない美人になるはず。そしたら女優になってください」と言われた満洲国務院の役人浅井源二郎の4歳の娘信子(浅丘ルリ子)、指揮者の小澤征爾、歌手の加藤登紀子、それに漫画家の赤塚不二夫、ちばてつや、森田拳次、作家の安部公房、ジャーナリストの和田出吉とその妻で女優の木暮実千代ら満洲生まれ、育ち、もしくは活躍した多くの人のことを書いて来ました。また、実際に満洲旅行を敢行し、その時知り合った栗原幸博さん(内村剛介とは同郷の栃木県出身)とは今でも交際が続いていますし、「合作社事件研究会」で知り合い、「松岡二十世とその時代」(日本経済評論社)など80歳近くになってからも意欲的に多くの著書を発表し続けた松岡将氏(1935〜2024年)とは亡くなるまで交流しました。
元会社(時事通信社)の先輩でノンフィクション作家の藤原作弥さん(1937〜2025年)も満洲から苦労して引き揚げた人でしたし、元朝日新聞解説委員の隈元信一さん(1953〜2023年)も大学の卒論が「満洲」だったということで、一緒に都内の松岡将さんの自宅に押し掛けたこともありました。
執念の賜物
「ナホトカの春」は、著者の執念の賜物です。著者は、元高校の国語の教師でしたが、ハルビン学院で学んだのではないかと思われる実父杉崎正(1923〜2007年?)の足跡を辿って、まるで新聞記者かノンフィクション作家のように現場に行ったり、外交史料館などに足を運んだり、多くの人にインタビューを重ねたりして10年以上掛けて取材、執筆して出版にこぎ着けました。(私の悪い癖で、といいますか、長年記者と編集校正の仕事をし続けて来た「職業病」で、どうしても語句の間違いが気になってしまいます。例えば、「内村剛助→内村剛介」(80ページ、2カ所)、「東上英機→東條英機」(271ページ)などですが、重版の際、直した方が良いと思います。)
この本の「主人公」である著者の実父杉崎正氏は1923年、(静岡県)駿東郡浮島村(現沼津市)生まれ。作家井上靖や芹沢光治良、詩人の大岡信らを輩出した(旧制)沼津中(現県立沼津東高)を1940年、17歳で卒業した後、満鉄に勤める親戚のいた満洲ハルビンに渡り、20歳で現地で軍隊に徴兵されますが、その徴兵されるまでの3年間、ハルビンで何をやっていたのか、生前の父親に詳しく聞かなかったので不明でした。うっすらとした記憶で、ハルビン学院というロシア語の専門学校(実は超難関の満州国立大学)でロシア語を勉強したようだったので、まず手始めに、ハルビン学院同窓会連絡事務所に連絡して、確かめてみました。
しかし、ハルビン学院同窓会の名簿には、「杉崎正」の名前はありませんでした。同窓会名簿は、本科を卒業した第1期から最後の第26期までの卒業生を中心に記載されているのです。応対した宮さんは、著者の西家氏に「もしかしたら特修科ではありませんか?夜間コースがありました。…諜報のスペシャリストを養成していたのです」と説明するのです。「そんなはずはない」と西家さんは吃驚仰天です。スパイだなんて!父は、シベリアに抑留されて、戦後3年経った1948年5月に帰国した後、(静岡県)浮島村に帰省して農業に従事し、多くの短歌も残しながら、穏やかで普通の生活を送って84歳の生涯を終えた人です。ハルビン時代の詳しいことは何も語りませんでしたが、スパイだったなんであり得ない…。
こうして、西家さんの「歴史探偵」活動が始まります。毎春、高尾霊園で開催されるハルビン学院記念碑祭に参加して、学院卒業生や遺族ら関係者と会って個別に取材したり、「シベリア抑留研究会」に入って多くの人と会って話を聞いたり、厚生労働省から父杉崎正の「軍歴」を取り寄せたりしました。勿論、恵雅堂出版から上梓された「哈爾濱学院史」など手に入るあらゆ満洲関連の文献に目を通して、探索しました。
「命のビザ」の杉原千畝
ハルビン学院と言えば、最も有名な出身者として、ナチスに追われたユダヤ人らに「命のビザ」を発行した外交官(リトアニアのカウナス領事館)の杉原千畝(1900〜86年)がいます。しかし、多くの文献に当たったり、千畝の孫に直接会ったりしても、千畝のハルビン学院での正確な「学歴」を調べましたが、はっきりしませんでした。「聴講生」だったり、「日露協会学校の一期生」だったりして、確定できなかったのです。しかし、当時、外務省留学生としてハルビンに派遣されていた杉原千畝は、後藤新平が設立した日露協会学校(後のハルビン学院)の専修科(後の特修科)で学んでいた可能性が高いことを知ります。夜学ですが、専修科というのは、外務省職員や軍人・軍属や民間人らが昼間は働きながら夜間に通うコースでした。軍人でしたら、当然のことながら特務機関で働いていた人もいたでしょうし、陸軍中野学校から派遣されて学ぶ人もいたようなのです。
ちなみに、杉原千畝はハルビン学院の同窓会名簿には「何期生の卒業」とは書かれていないので正科の卒業生ではなかったことは確実です。ただし、マル特のマークが付いて名簿に記載されていました。マル特とは「特別会員」という意味で、教職員らを指していました。つまり、恐らく専修科で学んだ杉原千畝は一時期、ハルビン学院で教鞭を執ったことがあったというのです。その教え子に歌手加藤登紀子の父加藤幸四郎がいたそうです。
特修科は諜報要員養成機関?
当初、著者は、「えっ?父親がスパイだったなんてあり得ない」と驚愕していましたが、段々と、特修科だったとしたら、何らかの形で軍の諜報機関と関わりがあったかもしれない、と思うようになります。実は、本書では「そう思った」とは、はっきりとは書かれていませんが、この本の最後の方で、私もよく存知上げている山本武利・一橋大名誉教授の「陸軍中野学校」(筑摩選書)を取り上げ、ハルビン学院と471部隊(関東軍情報部隊)との関わりを引用されたりしているので、それに近い形で表現されたのではないかと思いました。
本書では正確な日付や場所などが書かれていない場合もあり、この「書評」では、著者の見解も含めて、私の憶測で書いている所があります。特に丸括弧の中は、本書には書かれておらず、私が勝手に補足しました。


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