記者会見の舞台裏をスクープ? 近現代史研究者名倉有一さんが研究発表

2026年7月28日付静岡新聞朝刊 歴史
2026年7月28日付静岡新聞朝刊

  在野の近現代史研究者でNPO法人インテリジェンス研究所特別研究員の名倉有一さんが7月14日に静岡県庁の記者クラブで会見を開いて、発表した模様がやっと「記事」となり、7月28日付静岡新聞朝刊=写真=に掲載されました。

名古屋港からではなく浜名湖から捕虜は帰国した

 「外国人捕虜 浜名湖から母国へ」 独自調査報告書 各地の図書館に 浜松の名倉さん ーという大きな見出しで、名倉さんの写真付きです。17字✖️38行という堂々たる記事です。

 この記事にある通り、昭和20年8月15日の終戦直後、愛知、岐阜など中部地方5県でダム工事などに従事させられていた連合国の捕虜約2800人が、機雷への懸念から名古屋港を避けて、浜名湖から上陸用舟艇で沖合の病院船に運ばれ、そこからそれぞれの捕虜は、横浜や厚木飛行場から客船や航空機などで母国に帰国したという「隠れた新事実」を名倉さんは突き止めていました。約40年間の研究の成果です。

渓流斎が指南役?

 実は、名倉さんが記者発表するに当たり、ご相談を受けたのはこの私でした。一応、時事通信社で約45年の編集・取材経験がありますからね(笑)。

 最初のアプローチは今年の3月3日でした。当初は、「浜松市役所の記者クラブに資料の投げ込みをしようかと画策しています」といった程度の話でした。でも、それでは、毎日大変忙しい記者たちから無視されるのが関の山です。即、ゴミ箱行きです。それに、浜松市役所の記者クラブでは人数は少ないでしょうから、「どうせ記者発表するなら、静岡県庁の記者クラブで大々的にやった方が良いですよ」などと私はアドバイスしました。

 でも、まあ、それからが大変でした。名倉さんは素人ですから、大変失礼ながら、プレスリリースの書き方も記者会見の発表の仕方も全然分かっていません。そこで、記者クラブの幹事社とのコンタクトの取り方や、リリースの書き方や、発表資料はA4判2枚程度にまとめることなどをアドバイスしました。

 当初は、名倉さんが何を発表したいのか、要点が分からなかったので、「記者に何を書いてもらいたいのか」「ポイントは何か」「新しい歴史的発見などあるか」など10項目に渡って質問しました。これで、名倉さん自身も、何が「ニュース」になるのか、自分自身でも分かり始め、資料をコンパクトにまとめることが出来ました。

 そして、「何故、今、この時期に発表するのか」ということもあり、この記者会見は「戦後81年の企画もの」として発表することにしました。

 資料が出来た上がった後、私は「想定問答集」まで作成し、名倉さんには、記者のあらゆる質問に答えられるよう準備してもらいました。

 そのせいか、ご自身で「ポイント」までまとめることが出来、準備万端となりました。この間、2人で、何十本メールのやり取りをしたか分かりませんが。

 ということで、記者会見の「舞台裏」を、今回、渓流斎ブログで明かす形となりましたが、さしずめ、私は、よく言えば、チーフプロデューサー、実は、陰のフィクサーの役割を担ったかもしれません(苦笑)。

 記者会見には毎日新聞、読売新聞、中日新聞の各紙や時事、共同の両通信社、それに地元の静岡朝日テレビも参集してくれたらしいので、これから、記事や番組が、どんな形で出るのかも楽しみです。「戦後81年企画」なので、8月に入ってから登場するかもしれません。

 日経新聞は違う記者クラブなので資料配布のみで参加しませんでしたが、全国紙の朝日新聞と産経新聞は参加しなかったようでした。記者が、ニュースヴァリューを認めなかったせいなのか、他に取材が重なって参加出来なかったのか、詳細は分かりませんが、産経は恐らく、部数低迷による人員削減で静岡県庁に記者を配置していないのかもしれません。しかし、朝日は、自他ともに認めるクオリティーペーパーですから、「特落ち」しないためにも参加するべきでした。

 それとも、朝日新聞も部数の激減で、「天下の朝日」は、もう死語になってしまったのかもしれません。悲しい限りです。

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