5月26日(火)、前々から是非とも行きたかった念願の「漱石山房記念館」に行って参りました。
漱石山房というのは、文豪夏目漱石(1867〜1916年)が、東京帝国大学などでの教員生活を打ち切って、専属作家として朝日新聞社に入社した明治40年(1907年)9月29日から、49歳で亡くなる大正5年(1916年)12月9日まで過ごした自宅兼執筆書斎です。漱石作家生活11年のうち9年間と大半を暮らした歴史的邸宅でした。残念ながら、昭和20年5月25日、米軍による空襲で焼失してしまいましたが、漱石生誕150年に当たる2017年9月に、当時の建物と庭を出来る限り復元した形で、東京都新宿区立の記念館としてオープンしました。入場料一般300円という安さです。

私は根っからの漱石の大ファンで、既に学生時代に全ての作品は読破し、岩波書店の漱石全集は1990年代に購入し、人生の晩年は、テレビもスマホもやめて、漱石の読書三昧で暮らしていくというのが理想だと考えている人間です。
「いつでも行ける」と思っていたら、開館してもう9年も経過していたんですね。でも、かなり充実した展示内容でした。例によって、独りで行くのも何ですから、いつも渓流斎ブログに話題を提供してくださるS氏をお誘いしました。Sさんは大変律儀な性格で、約束した待ち合わせ時間の15分以上前から到着しているので、この日は、私は30分前に到着して待ち構えていました。そしたら、どういうわけか15分前になっても現れません。「あれ?どうしたのかしら」。10分前、5分前…。「これはおかしい」。約束時間の2分過ぎにやっと姿を現しました。どうやら、利用している電車で人身事故があったというのです。Sさんは、スマホもテレビも持っていない人なので、少し焦ってしまいました(苦笑)。

さて、漱石山房は、漱石の自宅兼仕事部屋を復元したものでしたが、それにしても桁違いに広い屋敷でした。鏡子夫人との間に、二男五女の7人の子どもに恵まれ、毎週「木曜会」を自宅で開いて弟子たちと懇談していたので、これぐらいの広さがあっても不思議ではないのかもしれません。
ところで、「悪妻説」が囃し立てられた鏡子夫人は漱石より10歳年少ですが、パネルで、昭和38年(1963年)に85歳で亡くなっていたことを知り、「あら、つい最近の人だったのかあ」と改めて思ってしまいました。漱石は「明治の文豪」のイメージが強く、私と随分世代の離れた昔の人だと思っていたからです。私の世代から見ると、祖父か曽祖父に当たります。

漱石の肖像写真などを見るにつけ、髭を生やしているせいか、三十代にして早くも「人生を達観し、成熟しきっている」感じを受けました。
再現された書斎を見ると、「あんな小さな机で執筆していたのか!」と驚いてしまいました。
漱石の偉大さは、友人や教え子たちを含めて、周囲に後世に名を残す人物も多く輩出したことです。俳人(正岡子規、高浜虚子)、歌人(石川啄木)、小説家(二葉亭四迷、森鴎外、鈴木三重吉、中勘助、森田草平、内田百閒、芥川龍之介、久米正雄、野上弥生子)は当然のことながら、哲学者(阿部次郎、安倍能成、和辻哲郎)、画家(橋口五葉、津田青楓)、科学者(寺田寅彦)、出版人(岩波茂雄)、ジャーナリスト(池辺三山、杉村楚人冠、鳥居素川、渋川玄耳)…。枚挙に暇がないのでこの辺でやめておきます。
会場には、弟子たちに対する漱石の心の籠った温かい手紙等も展示されていて、筆まめで人格者だったことが窺われます。改めて、漱石ファンになってしまいました。

神楽坂へ
この後、受付で永青文庫の割引チケットをもらえたので、行こうかと思ったら、骨董趣味のあるS氏は「もう3回ぐらい行ってるもんで…」ということで、今度独りで行くことにしました。その代わり、S氏の提案で向かったのは神楽坂です。えーー!私は田舎もんで、全く知りませんでしたが、早稲田から神楽坂まで歩いても15分ぐらいで行けてしまうんですね。
神楽坂には江戸時代創業の文具店「相馬屋源四郎商店」があり、漱石もここの原稿用紙を使用したことがあるので、歩いて買いに行ける距離だったとは! 神楽坂は明治の頃から三業地帯の繁華街でしたから、漱石先生も夜遊びしたのかなあ、と想像してしまいました。勉強家でしたから、そんなことはないでしょうね。
私は東京の中で、神楽坂は大好きな街の一つです。学生時代に、ここにあるフランス語学校(日仏学院)に通ったことがありましたので、とても懐かしく、行くと若々しい学生気分に戻ることが出来ます。
Sさんもギャラリー通いなどで神楽坂にはちょくちょく、出歩いているそうで、「私の知っているフランス料理でも食べに行きましょう」と言うのです。でも、ランチでも5000円ぐらいするのです。そしたら、「予約で満席」でした。最近の有閑マダムの皆様は、ランチ5000円なんて安いもんなんでしょうね。「それではお蕎麦でも」とSさんは馴染みの蕎麦屋に向かいましたが、そこは定休日。「どうしようか」と先程の仏料理店に戻ったら、斜め向かいに夜は居酒屋、昼は定食屋の「緑」というお店があり、そこに入ることにしました。
もうスマホの「ぐるなび」や「食べログ」なんかには頼らないことにしたのです(笑)。

塩さば焼定食を注文したら、サラダや煮物や漬物の小鉢がいっぱい出てきて、これで1000円とは安い!私のような庶民向けです。味もサービスも良かったので、「また、来たい。夜にでも来たい」と思わせるお店でした。

この後、Sさんと別れて、地下鉄神楽坂駅近くに「赤城神社」があり、素通りするわけにはいかないので、お参りして来ました。
後で、由緒を調べたら、正安2年(1300年)、後伏見天皇の御代に、群馬県赤城山麓の大胡の豪族だった大胡彦太郎重治が牛込に移住した時、本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりだと伝えられているそうです。

群馬県赤城山麓は、確か、この渓流斎ブログでいつも話題を提供してくださる宮さんのご出身地だったと思います。何か、不思議なご縁を感じました。

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