皇室典範改正で出来るようになったこと、出来なくなったこと

A crowd for Emperor Akihito's 84th birthday at the Imperial Palace on December 23, 2017.(出典 Wikimedia commons) 雑感
A crowd for Emperor Akihito's 84th birthday at the Imperial Palace on December 23, 2017.(出典 Wikimedia commons)

 7月17日、「皇室典範改正案」が参議院本会議で可決・成立しました。主な改正の骨子は①女性皇族の身分保持②旧宮家出身の男系男子の養子縁組ーですが、これだけでは、戦後民主主義の恩恵を受けた一般庶民では分かりにくいです。そこで私なりに解釈したことをこのブログで吐露したいと思います。

皇室典範改正の骨子

 結論を先に書きますと、①女性皇族の身分保持によって、今上天皇の長子である愛子さまの天皇即位はなくなった。②旧宮家出身の男系男子の養子縁組によって、1947年に皇籍離脱した旧11宮家が「復籍」し、男子が生まれれば、皇位継承者となるーということになります。

 ①に関して、もう少し詳しく見ていきますと、歴代天皇は、初代の神武天皇から現在の第126代天皇に至るまで、「万世一系」で父方天皇の血を引く「男系」によって受け継がれてきたという思想が根拠になっています。しかしながら、古代には推古天皇(第33代)をはじめ、6人8代、江戸時代には、明正天皇(第109代)ら2人の女性天皇が存在していました。

井上毅が男系男子と決めた

 明治維新後、旧皇室典範の最初の原案は明治19年(1886年)、宮内省が起案した「皇室制規」で、「女系」の継承も認めていましたが、明治22年(1889年)の皇室典範で、法制官僚の井上毅の鶴の一声で、女性の天皇即位が禁止されるようになりました。つまり、「男系男子」と決めたのは井上毅でした。

 井上毅(1844〜95年)は熊本藩士出身で、大日本帝国憲法や皇室典範、教育勅語、軍人勅諭などの起草に参加し、「この国のかたち」を作った最重要人物の一人ですが、それほど知られていませんね。

 戦前まで、「天皇は神聖にして侵すべからず」(大日本国憲法)でしたので、天皇研究はタブーでした。戦後になってそのくびきが取れ、初代神武天皇から第九代開化天皇までは神話的な記述が多く、実在しない架空の人物だったという説が学界では主流になりました。第10代崇神天皇以降から実在の人物となっています。

継体天皇から王朝が変わった?

 しかし、「万世一系」となると、第26代継体天皇に関して疑義を唱える学者もいます。先代(武烈天皇)の崩御により仁徳天皇以来の血筋が途絶えたため、応神天皇の5世の孫として越前から迎えられ、507年に河内の樟葉宮で即位しますが、継体天皇は、約20年間も大和の地に入れませんでした。その理由について諸説ありますが、大和の旧勢力が新しい大王(継体天皇)の即位や政治方針に反対したこともその一つに挙げられています。…ということは?

 話は飛びますが、右翼を自称する私の友人Kさんに、「何故、愛子天皇では駄目なんですか?」と聞いたことがあります。そしたら、彼は「王朝が変わるから」と明解に回答してくれて、初めてその意味が分かりました。しかし、この継体天皇の例を見ますと、この時点で王朝が変わったように見えます。この時代の大和王権の大王は、権力が一人に集中していたわけではなく豪族の合議制によるものでした。葛城氏、物部氏、大友氏、蘇我氏らです。天皇の権力が確立するのは、初めて「天皇」を名乗った672年の第40代天武天皇まで待たなければなりません。

36〜38親等の隔たりで皇位継承出来るのか?

 さて、②旧宮家出身の男系男子の養子縁組によって、1947年に皇籍離脱した旧11宮家が「復籍」し、男子が生まれれば、皇位継承者となるーということですが、これら旧宮家と今上天皇との関係は約600年前の室町時代に遡ることが出来ますが、36親等から38親等の隔たりがあると言われています。継体天皇と応神天皇との隔たりは10親等だったと言われていますから、それどころではありませんね。無理やり、こじつけの感があります。

 それにしても、高市内閣で、物価対策ではなく、皇室典範や国旗損壊罪の法律制定ばかり急いだのは何故なのでしょうか?

麻生副総裁の存在

 旧宮家出身の未婚の男系男子は少なくとも11〜12人いると言われていますが、今回の改正では養子縁組が必要とされています。そこに大物政治家が現れます。麻生太郎副総裁です。高市政権を成立させ、「影の宰相」と言われている人物です。この麻生氏の実妹の信子さまは、三笠宮寛仁親王(故人)の妃です。もし、仮に、旧宮家の未婚男子が信子さまの養子縁組になり、男の子が生まれた場合、皇位継承権を持つことになります。また、同様に麻生副総裁の姪に当たる三笠宮家の彬子さま、遥子さまも養親の対象となります。それで、右翼系雑誌と見られていた週刊文春でさえ、麻生氏のことを「令和の藤原氏」と警戒しているのです。

 もともと、麻生太郎氏の父太賀吉氏は、九州の炭鉱王と呼ばれた麻生太吉の三男太郎の長男として生まれ、ロンドン遊学中に白洲次郎の紹介で当時駐英大使だった吉田茂と知り合い、後に首相となる吉田の次女和子さんと結婚して、華麗なる閨閥を形成しております。(佐藤朝泰著「閨閥」)

 ちなみに、吉田茂の妻雪子さんの実父牧野伸顕(伯爵、元外相)は明治の元勲木戸孝允の養子です。麻生太郎副総裁から見れば、吉田茂は祖父、牧野伸顕は曽祖父、木戸孝允は高祖父(養父)、また大久保利通も高祖父に当たるわけです。

 麻生一族は「令和の藤原氏」と文春砲が呼ぶのも、言い得て妙です。

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