岸俊光著「内調 内閣情報機構に見る日本型インテリジェンス」(ちくま新書、2025年4月10日初版)をやっと読了出来ました。戦前戦後の内閣情報機構の通史で、対象期間は、第一次世界大戦のパリ講和会議が開かれた1919年から、日中国交正常化が成立した1972年までです。巻末の関連年表を入れると510ページにもなる大著です。新書なのに1540円と単行本並みです。新書というより百科事典のような分量でした。
読んでも読んでも頂上が全く見えず、まるでアイガー北壁かマッターホルン登頂を目指しているような感じがしました。読了するのに2週間ぐらい掛かりましたので、読破出来ただけで感無量になりました。
三人のキーパーソン、横溝光輝、吉原公一郎、志垣民郎
何故、この本を購入したのかと言いますと、新聞の広告で見たからです。そこには「内閣情報機構の実態を解明する初めての通史。三人のキーパーソン、横溝光輝、吉原公一郎、志垣民郎の残した資料と証言をもとに描く。」とあったからです。この中に「横溝光輝」が出て来て、私は「あっ!」と思ったのです。それは、この後、詳しく御説明しますが、「なあんだ、取材できていたのか」という半信半疑の驚きです。
情報委員会から内調へ
内調とは、今の内閣情報調査室のことですが、歴史を遡ると、1936年7月1日に創設された情報委員会に行き着きます。その後、戦前は、内閣情報部(1938年)、情報局(1941年)と名称を変え、戦後は、占領期から独立を果たす1952年に内閣総理大臣官房調査室が設立され、それが内閣調査室(1957年)、内閣情報調査室(1986年)とまたまた名称が変更されますが、戦前の情報委員会と今の内閣情報調査室は別個の異質なものではなく、思想的、法的、機構的、人的に、一貫した流れがあるというのが著者の見立て(結論)になっています。
ですから、今の秘密のベールに包まれた内調(内閣情報調査室)の機構や機能については、戦前の情報委員会を調べればある程度は分かるというのです。この情報委員会を設計したのが、当時、内務省から内閣官房総務課長(現在の内閣官房副長官に当たる)に転じた横溝光睴(1897~1985年)だったいうわけです。横溝は、一高〜東京帝大〜内務省というエリート官僚です。
情報部の生みの親、育ての親
情報委員会は、1931年の満洲事変での国際世論の圧力に対抗する目的で、その翌年に外務、陸・海軍、内務、逓信、文部の各省が加わって非公式に設置されましたが、ゼロから制度を設計して法案を書いたのがこの横溝光睴でした。横溝は、内閣官房総務課長として五・一五事件、二・二六事件を間近で目撃した「カミソリ」と評された能吏で、「情報部の生みの親、育ての親」とも呼ばれています(内川芳美「マス・メディア法政策研究」)。
ですから、著者の岸氏が挙げている3人のキーパーソンの中で最も重要な人物は、この横溝光睴だと思われます。実は、私は、著者の岸氏とは10年ほど前に、NPO法人インテリジェンス研究所が主催する諜報研究会でお会いしたことがありました。その当時、岸氏は、毎日新聞からアジア調査会に転身されたばかりで、3人のキーパーソンの一人で、戦後の内閣総理大臣官房調査室の草創期のメンバーだった志垣民郎(1922~2020年)の本人取材に掛かりっきりでした。まだ横溝光睴の深い取材までには至っておりませんでした。
それが、偶然にも、この横溝光睴の御遺族が、私の会社(時事通信社)の大先輩記者だった横溝幸子さんだったことが分かり、数年前に岸氏にメールで、横溝幸子氏の自宅住所と電話番号を教えてあげたのです。私と横溝幸子さんとは自宅が近いと言えば近く、毎年、年賀状をやり取りする仲でしたので、彼女に問い合わせてみたら、「横溝光睴は私の父です」という驚くべき答えが返って来たのでした。
岸氏にはメールでお伝えしましたが、その後、横溝幸子さんとコンタクトが取れたのかどうか、お会いできたのかどうか、何の連絡もなく、梨のつぶてでした。恐らく、横溝幸子さんとの取材はうまくいかなかったのだろうなあ、と私は思っていました。
そしたら、最初の方に戻りますが、新聞広告で、この本の出版を知り、本を読んだら、岸氏が横溝幸子さんからお借りした重要な写真が使われていたのです。つまり、取材は成功していたと思われます。
誠意がない?
もしかして、私が伝えた住所と電話番号は役に立たなかったのかもしれませんが、それにしても、彼は社会人として、そして、マスコミ業界の後輩としても、誠意がないなあ、と私は思ってしまいました。単に私がそう思っているだけで、彼は私のことを覚えていないか、その程度のことは当然の話で、全く意に介していないかもしれません。所詮、私は小物ですからね。
管制シンクタンク
これで終わってしまいますと、「書評」にならないので、一言付け加えさせて頂きますと、内調といえば、ジャーナリストの吉原公一郎や作家の松本清張らの影響で、「泣く子も黙るスパイ組織」のイメージが強かったのですが、この本を読みますと、米CIAや旧KGBとは程遠く、規模も人員も極端に少なく、オープンソースを中心に情報収集する「管制シンクタンク」というのが実態に一番近いと思ってしまいました。つまり、CIAなどのように対外「破壊工作」などもってのほかで、一番の目的である臣民(国民)に対する「情報操作」もどこまで成功していたのか、怪しい感じです。野村総研やキャノングローバル戦略研究所など民間のシンクタンクとそう変りがないように見えました。内調ですから、総理に直接進言出来るかどうかの違いぐらいです。
御用学者の養成、接待機関?
ただし、内調の仕事の一つとして、政府に都合の良い論調を立案、執筆してくれる学者さんを育成(接待も)することがあったので、「やはり、そうか」と思ってしまいました。著者は礼儀正しい人なので、「御用学者」などとは一切書いてはいませんが(むしろ、好意的な見方をしているような感じです)、下品な小物の私から言わせてもらえれば、「内調とは、国民の血税を使って、反政府組織を取り締まり、御用学者を育成、養成する機関だ」と大声を出したくなりました。
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