先日、都心で開催された第12回尾崎=ゾルゲ研究会の書評報告会に登場された朝日新聞の永井靖ニ記者と会合後の懇親会で、席が隣り合わせとなり、まさに親しく懇談させて頂きました。大阪朝日新聞の社会部ということで、わざわざその日は大阪から泊まりがけで「出張」で参加されたというので驚いてしまいました。

朝日新聞はもともと大阪が発祥の地で、大阪朝日新聞の方が本家本元です。かつて大阪朝日新聞(1879年創刊)は「大朝」、東京朝日新聞(1888年、「めざまし新聞」を買収して創刊)は「東朝」と略して言われ、別会社の時代もありました(1940年に統一)。ゾルゲ事件の尾崎秀実は大朝の支那部に所属して上海特派員(1928〜32年)に派遣されています。
それはともかく、せっかく、永井氏と知り合いになったので、彼の著作を読んでみました。「満州スパイ戦秘史」(朝日新聞出版、2025年4月30日)という私にも大変興味があるテーマだったからです。副題に「関東軍将校らの証言で迫るノモンハン事件から日ソ戦争まで」とあるように、米ハーバード大学で博士号を取得し、旧日本陸軍の研究者として知られるアルヴィン・クックス氏(1924〜99年)が、日本人妻の久子氏を通訳に、旧関東軍将校らにインタビューした録音から再度取材してまとめた労作です。
クックス氏は1985年に「ノモンハン 草原の日ソ戦 1939」(邦訳1989年、朝日新聞社刊)に研究成果としてまとめましたが、1961年の前半だけインタビューの録音を残していました。著者の永井氏は、この録音テープが所蔵されている米南カリフォルニア大学東アジア図書館に足を運び、デジタル化された録音(178時間)の提供を受け、元将校36人の音源を文字化して証言内容を全て分析したといいいますから、気の遠くなる作業だったに違いありません。
ノモンハン戦争の舞台裏
本書は、副題にあるように1939年のノモンハン事件の舞台裏の証言が主要テーマになるかもしれませんが、元将校の証言を読むと、あの事件は結構、いい加減というか、行き当たりばったりだったことが分かりました。もっと言えば、辻政信というまだ36歳の若い関東軍作戦参謀(少佐)の独断専行で、無計画というか、それ以上に無鉄砲で、他の将校たちが訳も分からないまま巻き込まれて被害を拡大させた事件だったことが分かります。そのせいか、元将校らの証言も主体性がなく、何処か他人事なのです。「國體護持」の優先と必要性ばかり説いていました。赤紙一枚で召集された一兵卒の生命など軽いもんです。
「偶発的」だったことは、ソ連側の事情も同じです。これまで、日本側の死傷者は約1万8000人、ソ連側が約9000人とされていましたが、日本側の戦死者は約1万人、死傷者約2万人、ソ連側の戦死者が約1万人、死傷者が2万5000人と改定されました(秦郁彦「明と暗のノモンハン戦史)。これまで日本の一方的な「大惨敗」だったとされていたものが、ソ連側の被害の方がやや大きかったのです。いずれにせよ、「ノモンハン事件」ではなく、「ノモンハン戦争」として後世に伝えなければいけません。
最後まで戦ったゲリラ部隊
本書ではこれまで知られてこなかった秘史が描かれていますが、私が注目したのは「スメルトニク」(決死隊)と呼ばれたゲリラ部隊の存在です。1945年8月9日、ソ連はヤルタ会談での密約で、日ソ中立条約を一方的に破棄して満洲に侵攻します。この時、いち早く、関東軍の将校幹部連中は民間人を差し置いて「逃亡」したというのが通説となっていますが、ほんの僅かとはいえ、満州に残って戦った関東軍の将兵がいたのでした。その一つが、東部国境を舞台にゲリラ活動を展開した部隊(機動旅団の内山二三夫大尉)で、夜襲などで最後までソ連戦車部隊を苦しめたといいます(同年9月2日、豊焼で除隊)。ソ連側は、これらゲリラ部隊をスメルトニク(決死隊)と呼んで恐れたといいます。
本書ではこういった隠れた史実も発掘しています。

コメント