10月2日(金)に東京で開催される第12回尾崎=ゾルゲ研究会で、活発な討論会が行われる予定となる当該本の河西陽平著「日ソ中立条約:スターリンのインテリジェンス」(角川新書、2026年7月10日初版)をやっと読了出来ました。事前に読んでおかないと、話についていけませんからね(苦笑)。
当初、タイトルの「日ソ中立条約」を見ただけで、正直、あまり食指が動きませんでした。どうせ、1945年8月9日、ソ連が一方的に日ソ中立条約を破棄して174万もの大軍で満洲に攻め込み、虐殺や強奪、暴行と国際法違反を蛮行し、それに残留孤児やシベリア抑留を生んだ満州の悲劇の話だろう、とタカを括っておりました(失礼!)。
これ以上ない諜報史
そして、読み始めたら思っていた内容とは全然違うのです。ロシアが公開した公文書を元に、ソ連が先の大戦の戦前、戦中にいかに大日本帝国を敵視して、淡々と地道に、しかも確実に諜報活動を継続してきたか、という「史実」が描かれていたのです。まさに、タイトルは「日ソ中立条約」ではなく、むしろ、本書の「結語」にあるように「ソ連対日諜報活動史 1922〜1945」が一番相応しい気がしました。恐らく、この種の内容の書籍の日本での出版は空前絶後で、これ以上の本はない、と思わせるほど内容は完璧に近いのです。
著者の河西氏は現在、「中曽根康弘世界平和研究所」の研究員で、2022年に慶應大学で博士号を取得したまだ若い新進気鋭の学者さんのようです。本書で参照している文献は、ロシア国防省中央公文書館編纂「ロシア・アーカイブ 大祖国戦争」やロシア連邦対外情報庁編纂「ロシア対外諜報史概説」などですが、原文はロシア語です。研究者には知られていても、一般読者には初めて知らされることが多く、圧倒されるばかりでした。何と言っても、これだけ汗牛充棟の参考文献をほとんど全て(しかもロシア語で)読みこなしてしまっている著者の力量にも感服しました。
ゾルゲは曖昧だった?
その自信の現れが、ゾルゲに対する「評価」です。世界史上最も有名なスパイですが、彼の情報がそれほどスターリンが評価しなかったことで証明されるように、「ゾルゲの報告は曖昧だった」と結論付けているのです。ですから、現在、ゾルゲを賛美してKGBの諜報員になったプーチン大統領を筆頭に、ロシアではゾルゲの銅像を建てたり、ゾルゲ通りが出来たりして、「ゾルゲ・ブーム」が続いていますが、ゾルゲはそれほどの大物スパイではなく、過剰評価は「盛り過ぎ」だ、というわけです。
著者がゾルゲを「曖昧」だと批判する一つに、「独ソ戦の開戦」(1941年6月22日)がありました。通説では、ゾルゲが誰よりも早く、独ソ開戦の日をモスクワに伝えたことになっていますが、実は、1941年5月19日の電報では、開戦時期を「5月末」と判定しながら、戦争の危険は「今年は過ぎ去るかもしれない」と書いたりしています。また、6月15日の電報では、開戦時期は「6月末まで延期される」としながら、「戦争が起きるのか否か知らない」とまで記しています。つまり、曖昧模糊としていたのです。
しかし、博覧群書、博覧強記の著者ですから、河西氏は自信を持ってこう書きます。「現在までに公開されている史料を見る限り、独ソ開戦の正確な日付を事前に伝達したのはこの人物ただ一人である」
この人物とは、ナチス・ドイツ親衛隊の国家保安本部第4局に所属していたヴィリー・レーマンという人でした。私は聞いたことも見たこともない、全く知らない人でした。反ヒトラー派だったのでしょう。つまり、ゾルゲは、スターリンが世界中に張り巡らせた何千、何万人という諜報員、協力者の中の一人に過ぎなかったのです。
ソ連の諜報機関
ソ連の諜報機関には大きく分けて、三つありました。①共産党②秘密警察③軍隊ー系の三つです。
①の共産党系は、コミンテルン国際連絡部(OMS)、②の秘密警察系は何度も名称を変えますが、全ロシア臨時委員会(チェカ)(本書では、反革命・サボタージュ取締全ロシア非常委員会=チェーカーとなっています)に始まり→国家政治保安部(GPU)→内務人民委員部(NKVD)→国家保安委員会(KGB)(本書では、国家保安人民委員部=NKGBとなっています)となりました。③の軍隊系は、労働者・農民赤軍参謀本部第4部(GRU)です。
※チェカとチェーカーの違い、KGBとNKGBの違いなどは気になります・
ゾルゲは第4部の赤軍系スパイに所属していましたが、上海でゾルゲと知り合った朝日新聞特派員の尾崎秀実は、ゾルゲはコミンテルンから派遣されたと思い込んでいたと言われています。(ゾルゲは第4部長、GRU局長のベルジンによってスカウトされました。本書では、ベルジンではなく、ベールジンとなっています。これも気になるなあ〜)
でも、この本を読んで初めて知ったことですが、これらの三つの機関は、それほど垣根が高かったわけではなく、例えば、後にスターリンによって粛清されたアルトゥール・アルトゥーゾフ(1891〜1937年)は、一時期、秘密警察のOGPU外国部長と赤軍の参謀本部第4本部長代理を併任していました。(ただし、赤軍第4部のベルジンは、OMSとNKVDに対してはライバル心を持っていました)
金と女で転んだか?
この本を読んで一番がっかりしたことは、「皇軍」と呼ばれて尊敬の対象となっていた帝国軍人らが、ソ連の諜報員として活動していたことが、ロシアの公文書でも明らかにされていたことです。お金と異性に目が眩んだのかもしれませんが、「えっ?こんなに沢山いたの?」といった感じです。また、ノモンハン事件のきっかけを作ったと言われる小松原道太郎中将は、ハルビン特務機関長時代にハニートラップに引っ掛かり、多くの機密文書がソ連側に漏洩した事案も先行研究を引用して紹介していました。
もう一つ、モスクワの日本大使館には盗聴器やら暗号通信受信機やらが隠されていたらしく、日本側の機密情報がソ連側に筒抜けになっていたことです。ロシアの公文書に明記されていますが、「知らぬは日本人ばかりなり」です。これでは外交交渉など、相手から手の内を見破られているのですから、最初から敗北しています。
ボリス・グジとは?
この本はソ連の諜報史ですから、フェリックス・ジェルジンスキー、ヴェシリー・ブーディン、ボリス・グジ、ヴァルター・クリヴィツキー、アルベルト・ラービンらロシア人なら誰でも知っていると思われる著名な諜報員が多く登場しますが、あまりにも多く登場するので、正直、物覚えが悪い私にはついていけませんでした(苦笑)。特にロシア人の名前は、覚えにくく、ドストエフスキーの小説を読んでいても、人物相関図が分からなくなるぐらいですから、「あれっ?この人誰だっけ?」と、散々苦労させられてしまいました(苦笑)。
この中で、著者の河西氏が特に注目した諜報員の一人が、ボリス・グジです。グジは1934年から2年間、東京でNKVDの諜報員として活動し、帰国後、赤軍のGRUに移籍してゾルゲを監督する立場の人物だったというのです。本書では「2006年12月27日、モスクワで一人の男が静かにこの世を去った。」とまるでスパイ小説みたいな出だしでグジの活動を紹介しますが、今はネットが発達していますから、検索したところ、この人の生年月日が出てきました。1902年8月19日です。ということは、亡くなった時の年は104歳ではありませんか! 下世話な話ですが、元スパイでもこんな長生きした人がいたのか!といった意味でも、104歳まで生きたことに触れるべきではなかったのか、と大筋から全く外れますが、浅学菲才な私は思ってしまいました。


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