51年ぶりに再会した吉野君 高校の同窓会

2026高校同窓会 前列真ん中が目良先生 雑感
2026高校同窓会 前列真ん中が目良先生

 6月6日(土)、東京・早稲田大学での諜報研究会に参加した後、高校(海城)の同窓会に参加して来ました。会場は新宿の「ライオン安具楽」だったのですが、早稲田から新宿まで、地下鉄と電車を利用したら結構早めに到着しました。「まだ誰も来ているはずはない」と思い、紀伊国屋書店で時間を潰そうとしたら、幹事の岸政俊君が既に入口に立っていたのでビックリです。一緒におしゃべりをしてたら、青森県からわざわざ参加した小島俊夫君も来て、三人で入場出来るまで駄弁っておりました。

 同窓会は昨年に続き1年ぶりですが、卒業して一度も会ったことがなかった吉野登君が51年ぶりに初参加して再会しました。51年ぶりともなると、人生の艱難辛苦を舐め尽くし、風貌も何もかも変わってしまっていますから、お互いに誰だか分かりません。でも、直ぐに、少年時代に戻って「おい」「お前」の仲になりますから不思議です。

 クラスメートはもう皆、古希を迎え(て)ますから、親の介護や自分の健康問題などで悩まされます。吉野君もここ数年、家庭内でご不幸が続いて、同窓会に参加したくても参加出来なかったといいます。

 当時29歳〜31歳だった担任の目良誠二郎先生も82歳となり、「ボクもあと何年参加出来るか分かりませんが、続けられる限り参加します」と仰ってましたが、昨年まで必ず2次会まで参加されていたのに、今年は体調の関係で1次会のみの参加でした。目良クラスの生徒は48人おりましたが、今年3月の岡本昌巳君、神林康君(2021年)、田中英夫君(2023年)、北川勉君、土屋恵一君(2024年)と5人もの友人が他界しました。毎年同窓会に参加するのは15人程度で、連絡がつかない旧友もかなり多くいるので、分かっている範囲内ではありますが…。

 まあ、同窓会に参加出来る人というは、ある程度、人生で順調に行った人に限られるかもしれません。健康問題で参加したくても出来なかった人もいましたが、例えば、事情があって旧友に会わす顔がない人とか、事業に失敗して借金を抱えている、もしくは、参加しても馬鹿らしい、といった人もいるのかもしれません。人生は「一切皆苦」ですからね。

 それでも、熱心な人は参加します。昨年、急に脊柱管狭窄症になって歩けなくなっても口だけは相変わらず達者な平田高司君や、軽症ながら食中毒か何かで体重が10キロも減って、50キロしかなくなり、それでも13キロもある重いアコーディオンを演奏するプロミュージシャンの佐藤史朗君も、病を押して参加してくれました。

 人は何故、同窓会に参加するんでしょうか? ーなんて哲学的疑問が湧いて来ましたが、半世紀以上経っても、再会すると当時の思い出が蘇り、奇跡的な瞬間が生まれる醍醐味が他に変えられないからかもしれません。

城野宏

 2次会にも参加しましたが、少し酔っぱらってあまり覚えていませんが、北大を出て旭川で歯科医をやっている林俊輔君は、後輩らに歯科医院を譲渡して、経営者から一介の従業員になった話をしていました。昨年、目良先生を始め、有志が参加した北海道ツアーの模様を、彼は共通メールでその動画を送ってくれましたが、彼の歯科医院は、大袈裟ではなく、まるでベルサイユ宮殿のように豪壮な構えで診療設備も最先端で豪華絢爛だったので驚いてしまいました(診察台が1台幾らするのか教えてくれましたが、ブログには書きません=笑)。こんな凄い歯科医院は都内でもあまり見たことがありませんから、日本一の歯科医院かもしれません。HPによると、歯科医師、歯科衛生士ら52人もスタッフ抱えているとても大きな歯科医院でした。

 彼は、フェラーリやランボルギーニまで所有し、来年は世界一周旅行に出かけるとか言ってましたから、同期の中で最も成功した人物であることは間違いありません。

 何でそういう話になったのか覚えていませんが、林君の伯父に当たる人が城野宏(1913〜85)という評論家だというのです。「Wikipediaにも出ている」と言うので、後で調べてみたら、東京帝大を出て、野村合名会社に入り、徴兵されて中国に渡り、敗戦後も中国に残って中国共産党軍と戦い、捕虜となって禁錮18年の刑を受け、1964年にやっと解放されて帰国し、「山西独立戦記」など多くの著作を残した人でした。かなり波瀾万丈の生涯を送った人ですが、このブログを読まれる方は近現代史にご興味のある方が多いので、ご存じの方も多いかもしれません。

 横から小島君から「どうせ、H君は…とブログに書くんだろう」とチャチャを入れられましたが、凄い方を伯父に持つ人ですから、ちゃんと林君と書いておきます(笑)。

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