「パリから東京へ再挑戦ー日仏航空史の1ページ」

東京外語仏友会2024年総会での伊藤朋子講師(笹川日仏財団東京事務局長) 歴史
東京外語仏友会2024年総会での伊藤朋子講師(笹川日仏財団東京事務局長)

「星の王子さま」も乗ったコードロン・シムーン

 4月21日(日)、東京・大手町サンケイプラザで開催された第28回東京外語仏友会総会に参加してきました。この日お招きの講師伊藤朋子氏(笹川日仏財団東京事務局長)の講演「パリから東京へ再挑戦ー日仏航空史の1ページ」があまりにも面白かったので、御本人にも確認の上、《渓流斎日乗》ブログに掲載させて頂くことにしました。

 何しろ、仏飛行士の冒険家アンドレ・ジャピー(1904~74年)も「空のリムジン」と言われた赤い翼の飛行機「コードロン・シムーン」も「パリ~東京100時間以内懸賞レース」も全く初めて聞く話ばかりでした。でも、講師の伊藤氏が当時のニュース映像なども駆使してプロ顔負けの(失礼!プロでした)プレゼンテーションを披露してくれたお蔭で、講演が終わった後は、いっぱしのアンドレ・ジャピー通になっていました(笑)。

 話は昭和11年(1936年)11月の出来事です。この年の1月には、新聞聯合社と日本電報通信社を合併させた国策の同盟通信社(現時事通信、共同通信、電通)が設立され、2月には二・二六事件が起きましたが、欧州はまだ辛うじてギリギリ平和な時代です(3年後に第2次世界大戦が勃発しますが)。この時、飛行機による「パリ~東京100時間以内懸賞レース」が開催されたのでした。大会はフランス政府が主催し、優勝賞金は破格の30万フラン。現在の金額に換算すると約27億円です。大谷選手の元通訳の水島一平氏も吃驚です。

 そのレースには5人が参加したといいますが、優勝候補筆頭はアンドレ・ジャピーです。当時32歳。彼の愛機は「空のリムジン」と言われた赤い翼の飛行機「コードロン・シムーン」です。全長8.7㍍、幅10.4㍍、最高速度310㌔という当時最高峰の機種ですが、驚くべきことに、機体は木製だったそうですね。ジャピー機はパリから香港まで順調な航空を続けることが出来ましたが、あと一歩のところで、天候悪化の視界不良により佐賀県の背振山(せふりさん)に激突してしまうのです。事故の現場に駆けつけた背振村(現神埼市)の住民たちによる懸命な救助により、一命を取り留め、約4カ月間、九州帝大病院などでの入院を経て回復することが出来ました。その間、彼の動向はニュース映画などでも取り上げられ、日本中からお見舞いの手紙なども届いたといいます。これが縁で、ジャピーの出身地である仏東部ボークール市と神埼市は姉妹都市を締結しました。(レースは結局、全員リタイアしたそうです。)

 余談ですが、仏作家で飛行士でもあったサン=テグジュペリも1935年、同じコードロン・シムーンに乗って、パリ~サイゴン間最短飛行時間記録に挑戦して失敗し、サハラ砂漠に不時着し、その経験から名作「星の王子さま」が生まれました。ご存知でしたか?

 アンドレ・ジャピーはフランスに帰国する前に東京に立ち寄り、朝日新聞社が計画していた東京~ロンドン間の亜欧連絡飛行で「神風」号に乗り込む飯沼正明、塚越賢爾両飛行士に的確な助言を授けて、翌37年4月の飛行成功に導きました。

アンドレ・ジャピーの冒険はノンフィクションや朗読劇に

 話はこれで終わりません。アンドレ・ジャピーの冒険に感動した児童文学者の権藤千秋さんが1991年に「飛べ!赤い翼」(小峰書店)を出版、2016年には仏語翻訳も出たといいます。また、2012年には元NHKアナウンサーの青木裕子さんが朗読劇「アンドレの翼」を制作し、翌年にはフランス公演も成功させたといいます。さらに、2016年には、馬場憲治さんが「脊振山の赤い翼―アンドレ・ジャピー機遭難記」(佐賀新聞社)を出版しています。アンドレ・ジャピーの冒険に魅せられた日本人がこれほどいらっしゃったとは!

赤い翼プロジェクト

 さて、やっと大団円です。アンドレ・ジャピーの兄の孫に当たるニコラ・ジャピーさんを中心にコードロン・シムーン機を(出来るだけ当時の部品で)復元するプロジェクトが進行中で、早ければ来年にもアンドレ・ジャピーが果たせなかった佐賀から東京への飛行を同機で「再現」して貫徹する「赤い翼プロジェクト」も進められているというのです。ただ、東京で着陸出来る空港探しや、監督官庁である国土交通省や航空自衛隊などとの折衝、それに何と言っても資金的バックアップなど問題が山積しているそうです。関係者はアンドレ・ジャピーが飛行して90年目に当たる2026年までには実現できたら、と願っているそうです。

「赤い翼プロジェクト」のパンフレット
「赤い翼プロジェクト」のパンフレット

 目下、協賛・協力企業も募集中だということで、「赤い翼プロジェクト」のホームページをご参照ください。関係者に変わって御願い申し上げます(何で、私が?)。

日本の航空界の基礎を築いたフランス

 もともと、黎明期の日本の航空業界に大きく貢献したのが、当時航空大国だったフランスでした。1919年1月、フォール大佐を団長とするフランス航空教育団60数人が来日し、日本の航空発祥の地である所沢飛行場(埼玉県)などで訓練を実施し、日本の航空技術の基礎を築いてくれました。 

 この所沢飛行場の近くにあった「割烹美好」(最寄り駅は西武新宿線の所沢「航空公園」駅)には、このフォール大佐らが足繁く通ったらしく、今でもこの店では大佐がこよなく愛した「フォールカツレツ」を売り物にしています。

 

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