歴史散歩の醍醐味 江戸城、明暦の大火、本妙寺、増上寺、久留米藩火の見櫓

江戸城天守台(出典 Wikimedia commons) 歴史
江戸城天守台(出典 Wikimedia commons)

 もう随分前の話ですが、何気なくテレビのバラエティ番組を見ていたら、ある若いタレントさんが「えーー⁉️ 皇居に江戸城があったんですかあ?知らなかったあ〜」と発言されていて、椅子から転げ落ちるほど驚いたことがあります。そのタレントさんの顔も名前も忘れましたが、恐らく、彼は上野の彰義隊も江戸城無血開城も幕末の歴史を何も知らないことでしょう。知らなくても別に日々の生活に困ることはありませんけど。

江戸城天守は何処に行った?

 さて、その江戸城跡ですが、本丸の天守main keepがないことは皆さんも良くご存知のことでしょう。加賀前田藩が築いた天守台だけは残っています。

1930年に城郭として日本初の国宝に指定された名古屋城(1612年創建)は1945年、カーチス・ルメイ率いる米軍による空爆で焼失したため、1959年に再建されましたが、江戸城天守は再建されないまま今日に至っています。

 皆さんよくご存知なので、繰り返すのも何なんですが、江戸城の天守は、1657年の「明暦の大火」で焼失してから、その後、再建されることはありませんでした。その前に江戸城本丸天守は、徳川家康、二代秀忠、三代家光と三代続けて建て替えて来ましたが、明暦の大火は四代将軍家綱の時代に起きました。この時、将軍補佐の保科正之(会津藩主)が「財政難の折り、天守の再建より、江戸市中の復興を優先するべきだ」との進言で、天守再建は見送られました。

 でも、その後、徳川の世は15代まで続くわけですから、いつでも天守再建出来たはずです。再建されなかった理由として、もともと天守は幕府の権威の象徴で、将軍の住居でもなかったこともあり、徳川の権威が安定したため、再建する必要がなかったという説が有力です。

 江戸城には創建時、28の櫓 turrentがありましたが、これも明暦の大火や、その後の相次ぐ火災や関東大震災などで焼失し、現在、三つの櫓 watching tower(富士見櫓、伏見櫓、桜田巽櫓)だけが残っています。

明暦の大火と本妙寺

 さて、本日、江戸城のことを取り上げましたが、一番書きたかったことは明暦の大火のことでした。当時、江戸の人口は50〜60万人で、この大火は江戸市中全体に燃え広がり、約10万人もの人が亡くなったという大惨事でした。この明暦の大火の火の元の一つと言われているのが本郷の本妙寺(法華宗)です。

 「どっかで聞いたことがあるなあ」と思ったら、昨年11月にSさんと東京・巣鴨を歴史散歩した際、訪れていたのです。

巣鴨で遠山の金さん、千葉周作、田沼意次らとお会いする Sugamo, a historic temple district
眼痛が酷くて、夜も眠れないほどです。スマホとパソコンのやり過ぎです。どういうわけか、忘年会のコーディネーター役を3件も仰せつかってしまい、日程調整からお店選び、各人の趣味や好き嫌いによる人選びに至るまで本当に疲れ果てました(苦笑)。 中には…

 ブログには「名奉行・遠山金四郎景元と剣豪・千葉周作の墓は、法華宗の本妙寺にありました。このお寺は、徳川家発祥の三河で創建された長福寺の檀徒だった家康の家臣らが智存院日慶上人にお願いして現在の浜松市に元亀2年(1571年)に創建された古刹で、天正18年(1590年)、家康の関東移封で江戸に移転し、市内を何カ所か移建された後、明治になって現在の巣鴨に落ち着きました」と書きましたが、不勉強で、肝心なことを書いておりませんでした。本妙寺は、もともと本郷丸山にあり、明暦3年1月18日、この寺から出火した火が強風に煽られて江戸中に広がったと言われています。大火後、復興しましたが、明治41年(1908年)に現在の巣鴨に移転したというのです。

 このことを知っていたら、昨年11月に参拝した際、さらに感慨が深まっていたと思います。(実は、フラフラと歴史散歩している途中で、たまたま遭遇したのでしたが)

増上寺と久留米藩上屋敷の火の見櫓

 昨年あたりから、Sさんとはちょくちょく歴史散歩にご同行して頂いているのですが、今年2月に東京・芝の増上寺を訪れた後になって、この幕府の菩提寺である増上寺の防火・火消し役が近くに上屋敷を構える久留米藩だったことを知り、慌ててブログに書いたことがあります。

増上寺の防火・火消し役は久留米藩だった!
先日、Sさんと芝大門の増上寺をお参りしたことをこのブログに書きましたが、この徳川家菩提寺という江戸で最も重要な施設の防火・火消し役を任されていたのが、この近くの赤羽橋(現東京都港区三田1丁目)に上屋敷を構えていた久留米藩だったことが25日、…

 久留米藩は私の先祖の藩で、高田家は、御舟手役の下級武士ではありましたが、当然、参勤交代でこの上屋敷に行ったはずです。

 この増上寺は、歌川広重も「名所江戸百景」の中で、「増上寺塔赤羽根」として描いています。絵の右手前に増上寺、左奥に高さ三丈(約9メートル)の久留米藩上屋敷にある火の見櫓も描かれています。この火の見櫓は高台にあったので、江戸城天守もありませんから、江戸一番の高さを誇り、城南全域を展望できたといいます。

 私の先祖も昇ったのかなあ〜?

歌川広重「名所江戸百景 増上寺塔赤羽根」(出典 Wikimedia commons)
歌川広重「名所江戸百景 増上寺塔赤羽根」(出典 Wikimedia commons)

 やはり、浮世絵はいいですね。歴史的証拠にもなります。

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