「松岡二十世とその時代」(日本経済評論社)等で知られる満洲(現中国東北部)研究家の松岡將氏(1935〜2024年)が亡くなって早いもので2年となります。松岡さんは生前、都内の自宅で、不定期に、ご自分のパソコンで製作した満洲関係のドキュメントを「映写会」と称して、リビングの一角に張った御手製のスクリーンで上映し、私も何回かお呼ばれされたことがありました。その時、初めて、敗戦によって満州の在留邦人が苦労して引き揚げて来た中国遼寧省の「葫蘆島」の名前と場所を知ったものでした。
この映写会で、何人もの方とご一緒しました。その中に古海建一さんもいらっしゃいました。もう10年以上昔のことで、私自身もすっかり忘れておりましたが、私の親友で、朝日新聞の元論説委員の隈元信一さん(1953〜2023年)も同席しておりました。隈元さんの大学の卒論のテーマが満洲だった、という話を聞いて、私が彼を誘ったのでした。
古海忠之総務庁次長の御子息
古海さんとはその時、初対面でしたが、松岡さんから「あの古海さんの御子息ですよ」とそっと耳打ちされました。古海さん? 大蔵官僚から、満洲で総務庁次長という重要ポストを務め、敗戦後、シベリアに抑留され、中国で禁錮18年もの判決を受け、1963年に帰国したあの古海忠之氏(1900〜84年)のご長男だったのです。
後で分かったのですが、古海建一氏は1933年に満洲の首都新京(現長春)で生まれ、13歳で引き揚げ帰国し、東大卒業後、東京銀行に入行し、常務取締役まで務めた方でした。満洲交友会が前身の国際善隣協会の理事長も歴任されました。
最後の仕事?
その古海建一氏から先月初め、急にメールでご連絡があり、「今年93歳となり、最後の仕事として『満洲国の話』(中央公論事業出版、2026年5月13日初版)と題した本を出版したので一冊お届けしたい」というのです。
程なくして私の自宅に本が届き、読み始めましたが、タイトルの「満洲国の話」から、高校生でも気軽に読める本かと思いきや、結構難解で、大学院生かそれ以上向きの「学術書」で、私の頭の悪さも反映して読了するだけでも1カ月も掛かってしまいました。
まずは、満92歳で350ページというこれだけの大著を上梓された古海建一氏の偉業に敬意を表したいと思います。「満洲前史」から始まり、満洲国の「国家組織・制度と対外関係」、そして「敗戦から引揚まで」10章で構成され、満洲国の基本的なあらゆる組織と制度が網羅されています。特に、御本人が銀行員時代に為替資金部長などを務め、「外国為替入門」などの著作もあることから、私にとっては難渋難解の満洲国の経済産業統計や外為関係の話が詳述されていました。
少し物足りなさが
これ以下は、多少批判めいた感じになってしまいますが、私のような、仕事で「清濁併せて呑まされた」ジャーナリストとしては、少し物足りない部分が散見されました。例えば、合作社や満鉄(南満洲鉄道)の話が出てきて、その組織や仕組みや役割などは詳述されていますが、「合作社事件」や「満鉄調査部事件」等は一切触れていません。(ちなみに私が松岡將氏と知り合ったのは「合作社事件研究会」の会合でした)
満洲国の「医療行政」として、ペスト、コレラ、チフスなどの伝染病対策について詳しく書かれていますが、あの731部隊については全く書かれていません。また、「アヘン専売」についても、満洲国のアヘン政策や取締り等に関しては行政側からの視点で書かれていますが、あの「阿片王」と呼ばれた里見甫の話や日本の興亜院(戦後首相となる大平正芳も出向していた)や、三井物産、三菱商事、大倉商事なども阿片取引に関わっていたことなどの記述は避けています。
さらに、私自身がメディアの出身なので、満洲国のメディアについても少し触れてほしかったと思いました。阿片王の里見が社長を務めた満洲通信社や満鉄の実質的子会社だった満洲日日新聞などのことです。
もっと欲を言えば、古海建一さんご自身が体験した満洲引き揚げの話や、御尊父の満洲国総務庁次長を務めた古海忠之氏の詳しい業績や体験談も読みたかったでした。巻末に多くの参考文献が列挙されておりますが、このような話は、ご本人とご遺族しか書けないからです。
彫刻家平櫛田中の「男盛りは百から」ではありませんが、古海氏はまだ93歳、この本の「続編」も期待したいと思いました。


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