浮世絵に隠された真の意味とは?「歌川広重 名所江戸百景 最後の挑戦」展の後期編

「歌川広重 名所江戸百景 最後の挑戦」展(太田記念美術館)keiryusai.net 雑感
「歌川広重 名所江戸百景 最後の挑戦」展(太田記念美術館)keiryusai.net

 5月21日(木)、東京・表参道の太田記念美術館で開催中の「歌川広重 名所江戸百景 最後の挑戦」展の「後期編」に行って参りました(6月14日まで)。

 初代歌川広重作の「名所江戸百景」は全部で120点(このうち二代目歌川広重作が1点、目録が1点)あり、一辺に全てを展示出来ないので、前期60点、後期60点と分散して開催しています。前期編は4月23日(木)に行きましたが、この日は、担当学芸員さんが解説してくださる「スライドトーク」があったからでしたが、後期編のスライドトークは、5月21日(木)にあったので、この日を目掛けて行ったわけです。

「歌川広重 名所江戸百景 最後の挑戦」展を満喫しました
東京・原宿の太田記念美術館で開催中の「歌川広重 名所江戸百景 最後の挑戦」展を見に行っって来ました。最近、「歌川広重 名所江戸百景」関連本を購入したばかりでしたので、何か広重づいています。いや、逆に、展覧会が開催されていることを知って慌てて…

 平日の開館前の午前10時過ぎだというのに、雨が降る中、既に多くの人が並んでいました。このスライドトークのためなのでしょう。60人近くの人が並んでいました。10時50分のスライドトーク開演まで、まだ時間があったので、先にざっと展示を見て、開演10分ぐらい前に地下の会場に入ったら、既に、満席で、やっと補助席を見つけて座ることが出来ました。

 講師は、前期と同じ、同美術館上席学芸員の渡辺晃氏でした。彼は説明がとてもうまく、本当に感心してしまいました。彼の説明で、作品の背景を知ることが出来て、10倍も100倍も楽しむことが出来ました。

モネやゴッホに影響

 浮世絵が海外の画家に影響を与えたことはよく知られていますが、歌川広重の「名所江戸百景」の中では、「大はしあたけの夕立」と「亀戸梅屋鋪」などをゴッホが模写するほどでした。これはあまりにも有名な話なので、私も知っておりましたが、八丁堀の「鉄砲洲稲荷橋湊神社」は寄港する廻船の帆柱を強調して「縦方向に画面を区切る」描かれ方で、これが印象派の巨匠モネの「四本の木」に影響を与えたということをご教授頂き、「へ〜」と思ってしまいました。

歌川広重「鉄砲洲稲荷橋湊神社」(出典 Wikimedia commons)
歌川広重「鉄砲洲稲荷橋湊神社」(出典 Wikimedia commons)

「水道橋駿河䑓」

 このブログの表紙写真にもなっている「水道橋駿河䑓」は、大きな鯉のぼりが前面的アップされて描かれていますが、この鯉のぼりというのは、町人が揚げるものだったんですね。この鯉のぼりの遠景には旗本や御家人が多く住む武家地がありますが、ここでは、家紋の幟や、赤い吹き流し、鐘馗(しょうき)を描いた幟が描かれています。鯉のぼりばかりに集中して見てしまうので、見過ごしてしまいます。大名火消し役の旗本として生まれた広重は、35歳で家督を譲って、絵師(=町人)に専念しますが、これだけ大きな町人の鯉のぼりを描くことによって、凋落した武家を皮肉っているという説もあるようです。

 漫然と見ていては気がつかないことばかりです。

「玉川堤の花」

 渡辺氏の解説で一番面白かったのが、今の新宿御苑辺りの「玉川堤の花」です。玉川上水沿いの玉川堤に桜を沢山植えて、新名所として売り出そうと、地元の暖簾商店会(飯盛宿や幕府黙認の遊里)がお金を出し合って入銀して、宣伝のために歌川広重に描かせたのではないか、と渡辺氏は推測していました。ですから、この浮世絵は、事前に、桜が咲く前の「想像図」として描かれたというのです。

 この後、桜は開花しましたが、暖簾商店会がこの桜並木の前に「御用木」と勝手に幕府公認のような立て札を立ててしまったため、公儀の怒りを買い、桜の木は全て撤去されてしまいました。まさに幻の桜になったというのです。

歌川広重「玉川堤の花」(出典 Wikimedia commons)
歌川広重「玉川堤の花」(出典 Wikimedia commons)

 当時の人たちは知っていたのかも知れませんが、こんなに深い意味があるとは想像も出来ませんでした。広重の「名所江戸百景」は、ますます興味が湧いて来ました。

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