東京・原宿の太田記念美術館で開催中の「歌川広重 名所江戸百景 最後の挑戦」展を見に行っって来ました。最近、「歌川広重 名所江戸百景」関連本を購入したばかりでしたので、何か広重づいています。いや、逆に、展覧会が開催されていることを知って慌てて駆け付けたのでした(笑)。
江戸の復興を願って
歌川広重の「名所江戸百景」は子どもの頃から知っておりましたが、単なる風景画だと思っておりました。それが、安政の大地震(1855年)で被災して壊滅的被害を受けた江戸の復興を願って、広重がある程度、想像力も交えて描いていたという事実を知った時、俄然、興味が湧きました(全120図、1856年広重59歳〜1858年広重61歳でコレラにより没、1図だけ二代目広重作で完成)。それに、よく知られているように、あのゴッホが模写に励んだシリーズ(「亀戸梅屋鋪」「大はしあたけの夕立」など)でもありました。前面にデフォルメした対象物を配置した、その独特の構図は、「世界一」でしょう。ゴッホもモネも、そして天才葛飾北斎でさえ、描けなかった風景画と断言しても良いです。
久しぶりの太田記念美術館
太田記念美術館は実に久しぶりです。30年ぶりぐらいでしょうか。当時、同館学芸員の永田生慈さんに美術の連載(15回)をお願いしたため、よく通ったものです。永田さんは葛飾北斎研究の第一人者で、有数の蒐集家でしたが、原稿の入稿が遅くて催促のために、同館に何度も足を運んだのでした(苦笑)。彼は、惜しくも2018年に病気で亡くなられました(66歳)。永田さんとは色々ありましたが、ブログには書けないことですので、悪しからず。

なぜ、本日23日にしたのかと言いますと、この日に、展覧会の見どころを担当学芸員さんが解説してくれる「スライドトーク」があったからでした。これは、良かったですよ。この解説のお陰で、鑑賞のポイントがよく分かりました。皆さんも是非参加したら良いと思います。展覧会は前期と後期があり、スライドトークは、それぞれ2回(前期は4月28日のあと1回)あります。太田記念美術館のHPで確認してみてください。(私は、後期も行くつもりです)
でも、このスライドトークの開催日だったせいか、平日の午前だというのにめっちゃくちゃ混んでましたね。10時半開場の15分ぐらい前には着いたのですが、もう30人ぐらい並んでいました。若い人も多かったので「仕事を休んで来ているのかな」と思いました。50人が定員でしたが、補助椅子も出て60人ぐらいの参加者がありました。
「日本橋江戸ばし」
解説の中で面白かったのは、「日本橋江戸ばし」でした。この標題の通り、「江戸ばし」が主役として描かれていると思いきや、その江戸ばしは、遠くに見えるか、見えない程度に小さく描かれています。何と言っても、手前の擬宝珠が付いた橋がクローズアップされています。これが日本橋です。何でそれが日本橋だということが分かるのかと言いますと、橋の欄干に擬宝珠があるからです。擬宝珠を付けられる橋は、江戸市中では、日本橋と京橋と新橋の三つしか許されなかったから、当時の江戸っ子はすぐに見当がついたといいます。この擬宝珠の欄干の傍に桶に入った魚が描かれていますが、これでバッチリ、日本橋だということが分かるのです。
なぜなら、当時、日本橋には魚河岸があったからです。日本橋の魚河岸は江戸時代どころか、大正時代まで続き、関東大震災(1923年)を機に築地に移転し、2018年には豊洲市場に移転したことは皆さんもご存知の通りです。
「深川洲崎十万坪」
もう一つ、「深川洲崎十万坪」の上空に大きな猛禽が描かれていますが、これは何か、いまだに論争が続いているそうです。今までイヌワシ説が有力でしたが、トンビだという説も出て来ました。イヌワシは山にいる鳥、トンビは海鳥です。深川洲崎は江戸湾に近いので、トンビではないかというのですが、広重は「時代考証」に拘らず、自由に想像で描く絵師なので、姿形から、海辺にいるはずがない山鳥のイヌワシも捨てがたいというのです。
表参道散策
せっかく、久しぶりに表参道に来たので美術館を出て、散策しました。よくフラフラしたり、「ポール・スチュワート」や「ブルックス・ブラザーズ」などのブティックに入ったりしたのは、今からもう30年も40年も大昔なので、すっかり街並みは変わってしまっていました。
原宿駅から表参道の青山通りに向かう歩道を歩くと、わずかな登り坂だということに今回初めて気付かされました。若い頃はそんなこと全く気にせずにスタスタ歩けたからです。今では結構、足取りが重く、歩くだけでキツくなりました(苦笑)。

街中は、ほとんど外資系の超高級ブランド・ショップばっかりに様変わりしていました。青山通りを渡った南青山が懐かしくなり、その辺りを歩いてみたら、昔、記者クラブ会員だったので、結構利用させて頂いたNHKの「青山荘」はいまだにあって安心しました。しかし、青山学院大学近くにあってよく通ったカフェバーはなくなっておりました。
流行り、廃りがありますから、飲食店を長く続けることはかなり難しいんですね。
東郷神社
また、原宿駅の方に戻って、東郷神社に向かいました。現代史研究家の名倉有一氏から、ここはかつて、鳥取藩主池田家の下屋敷(別邸)だったことを教えてもらったからでした。昔は原宿には何度も足を運びましたが、東郷神社の参拝は初めてでした。

名倉さんから話を聞かなかったら、東郷神社にお参りすることはなかったことでしょう。
神社の境内には、旧鳥取藩主池田家が造った日本庭園が今でも健在でした。この庭のお陰で、かつてここに大名屋敷があったことが偲ばれます。

東郷神社の隣りにある「お上りさん」のための竹下通りの騒々しさとは比べ物にならないくらいここでは静謐な空気が流れておりました。
お陰で、本日は9626歩も歩きました。

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