久し振りに都会に出て行きました。上野の東京国立博物館で目下開催中の「開創1150年記念 特別展『旧嵯峨御所 大覚寺』」を観に行くためです。あまり、独りで田舎に鬱屈していては、メンタルヘルスに良くないですからね(苦笑)。
でも、それにしても、東京は人間だらけで圧倒されました。せっかく、人混みを避けて平日の午前中を選んだというのに、館内の人出も多く、何人もの人間がぶつかってきます!日本人なら「あ~ら、ごめんなさ~い」と言ってくださりましたが、恐らくアジア系の外国人の若いもんは、向こうからぶつかってきたというのに、無言でジロジロ見ながら、「そこにいるおまえの方が悪い」と逆切れしている感じでした。隣に彼女がいたので意気がっていたのでしょう。こちらも、さすがにムッとしました。
嗚呼、上野駅ですから、おのぼりさんだらけでした。修学旅行か何かで地方から東京見物に来た中学生や高校生が右往左往し、また、外国人観光客の多さには、トランプ米大統領に見学に来てほしいぐらいです。
宸殿の大きさ、伽藍の広さ
扨て、肝心の展覧会の方ですが、正直、京都の現地で観なくてはその有難さも半減してしまうものだ、ということが分かりました。大覚寺は私も昔、お参りしたことがありますが、はっきり覚えているのは大沢池(現存する日本最古の庭池)ぐらいだということで情けないのですが、建物(宸殿)の大きさや伽藍の広さ、風の音などは博物館では味わうことが出来ませんからね。
大覚寺は、平安初期の大同4年(809年)に即位した嵯峨天皇が都の中心から北西近郊に建立した離宮を、嵯峨上皇の長女で、淳和天皇の皇后であった正子内親王が貞観18年(876年)、淳和天皇第2皇子の恒寂入道親王を開山として開創した寺院です。正式名称は「旧嵯峨御所大本山大覚寺」です。歴代の天皇や皇族が住持された門跡寺院ということで大変格式があります。門跡とは、寺院だけでなく、皇族出身者ら格式の高い僧を指す場合もあります。嵯峨天皇が空海(弘法大師)を庇護したということもあって、真言宗大覚寺派の総本山でもあります。876年開創ですから、来年2026年が「開創1150年」になります。
真言宗ということで、後宇多天皇宸翰「弘法大師伝」(鎌倉時代、国宝)なども展示されていましたが、重要文化財ばかりで、案外、国宝が少ないので意外に思いました。館内で、大覚寺の来歴パネルが展示されていましたが、そこには「1336年、火災事故で堂舎焼失」「1467年、応仁の乱で堂宇焼失」などと書かれていました。その際、寺院の多くの秘仏や文書も焼失したのかもしれないと思いました。
でも、大覚寺といえば、歴史上、最も有名になったのは南北朝時代でしょう。後宇多天皇がこの大覚寺に住み、院政を行ったことから大覚寺統(南朝)となり、持明院統(北朝)と対立しました。
豪華絢爛な襖絵
入口を入って直ぐに登場する五大明王像(不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)は圧巻でしたが、後半の狩野山楽らの襖絵の数々は絢爛豪華そのものでした。
東博を出た後、せっかく、上野にまで足を延ばしたので、何処かでランチをしようかと思い、探してみました。
上野藪そばを目指して
上野といえば、ちょっと高い「ぽん多本店」、小津安二郎も愛した「蓬莱屋」、そして「双葉」(閉店したので、今は「井泉」)という「三大とんかつ屋」さんの聖地ですが、せっかく、今回、「日本の美」に触れたわけですから、和食が良いと思い、老舗の蕎麦屋さんにすることにしました。
上野の老舗蕎麦屋さんには、森鷗外も通ったという「蓮玉庵」がありますが、何度か行っているので、久しぶりに「上野藪そば」に行くことにしました。もう7~8年ぐらい前でしたか、遠山の金さんではなく、北山の吟さんと行ったものでした。
そしたら、ぎゃび~ん、平日の昼間だというのに、凄い行列です。30分以上は待たされる感じです。
さすがに並ぶ気がしないので諦めました。
東京は何で、こんなに人が多いんでしょうか?
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