吉田茂が相続した150億円は何処へ行った?

吉田茂(1878~1967)Wikimedia 歴史
吉田茂(1878~1967)Wikimedia

 先日、NHK-Eテレで放送された「偉人の年収 How much?」という番組で、史上最多の5回も内閣総理大臣を務めた吉田茂を取り上げていました。吉田は明治11年(1878年)、土佐の自由民権運動の闘士・竹内剛の五男として生まれましたが、竹内の親友の吉田健三の養子になります。その吉田健三は貿易商(ジャーディン・マセソン元横浜支店長)でしたが、40歳の若さで亡くなったため、吉田茂は、わずか11歳にして、今の価値で150億円もの遺産を相続したというのです。

 その150億円はどうなったのか、と言いますと、番組では「(政治活動など)生涯で全て使い切った」と説明していました。150億円ですよ!おいおい、今なら政治資金規正法に引っ掛かるんじゃないかと思いましたが、昔はそんな法律はありません。選挙でお金をばらまいたんじゃないかと疑りたくなりましたが、そんな史実は、どんな人物伝や評伝には書かれていません。まして、長々と書き連ねられているウィキペディアにも使い道まで出て来ません。「莫大な遺産を相続した」と書かれているのみです。

 吉田茂といえば、戦後の「日本のかたち」をつくった偉人と言えるかもしれません。戦後初めて国葬されました。日本国憲法を公布し、サンフランシスコ講和条約に調印して独立を図り、講和条約調印後、たった一人で、日米安保条約を調印し、平和憲法の下で自衛隊を創設した人です。別に皮肉で書いているわけではありませんが、全額ではないとはいえ、150億円の遺産で政治活動をしたとしたら、日本の政治は随分、お金が掛かるものだ、世界の何処の国を見ても、お金がなければ政治に参加できないものだ、と思ってしまいましたよ。これは明らかにアイロニーですが(笑)。

違和感があった本田宗一郎の番組

 もう一つ、NHK-BSで「英雄たちの選択」という歴史番組がありますが、先日は「本田宗一郎」をやってまして、大変面白く拝見しました。根っからの技術者である本田宗一郎という人物の「人となり」は、十分に分かったのですが、彼が経営者としての側面も強調されていたのには少し違和感を覚えました。何故なら、本田宗一郎はあくまでも財務が得意ではない技術屋さんであり、本田技研工業を経営面で「世界のホンダ」に育てた最大の功労者の1人は、本田宗一郎の名参謀と言われた藤沢武夫であるはずなのに、番組ではその藤沢のふの字も出て来なかったからです。

 何か、出演者を含めて番組制作者が藤沢武夫氏を故意に抹殺したかのような疑念が残り、いやあな感じがしました。というより、番組というものは、決して、中立公正に作られるものではなく、作為的なものだということがよく分かりました。

追記

 ちなみに、吉田茂の150億円について、AIに質問してみたら、以下の答えが返って来ました。

 「吉田茂の相続遺産150億円について、具体的な使途に関する確かな記録は残されていません。」

 

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