【随想】新札は何処へ行った?

煉瓦亭 新富本店 雑感
煉瓦亭 新富本店

 9月末でフリーランスになることが決定しました。フリーランスと言えば、聞こえが良いのですが、実質は無職です。この先、どうなることやら…。

 宮仕えは、残りあと2カ月もあるので、鷹揚に構えていたら、有休が結構残っており、これを消化するとほとんど銀座の会社に出勤しなくて済むことが分かってしまいました。

 いわゆる一つの「出社に及ばず」です。

 これはいけない、と思いました。何故なら、長年通い詰めていた「銀座ランチ」にもう行くことがないからです。ほとんど「顔なじみ」とまでいきませんでしたが、中にはほんの数軒だけ、マスターや女将さんらと言葉を交わして馴染みになった店もあります。急に来なくなったら心配するんじゃないかと勝手に思い、残りの日々は「お礼参り」で、顔馴染みの店にだけはご挨拶に行ってみるか、と思い立ちました。

 本日ランチに行った店は「煉瓦亭 新富本店」です。明治28年創業の銀座「煉瓦亭」の姉妹店、と言いますか、暖簾分けしたお店です。銀座店は、池波正太郎がこよなく愛した名物の「ポークカツレツ」や「オムライス」を食べによく行ったものですが、最近は海外からの観光客がいつも店前で行列していて、短い昼休みが終わってしまうので、入れなくなってしまいました。(昨年2023年3月には、来日した韓国の尹錫悦大統領と岸田首相が訪れたせいか、韓国人らしき観光客が異様に増えました。)

 新富店の方は、混んではいますが、並ばずに入れます。暖簾分けですから、味は銀座店と変わりありません。ここは10年ぐらい通ってましたが、御主人と気軽に会話するようになったのは、昨年ぐらいからでした。意外と話好きで、テレビにも何度か出たりしているのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

 このマスターと話すきっかけになったのは、店内に野球選手やラグビー選手の写真やサインが飾っていて、私も注文の品を待っている間に見るとはなしに見ていたら、「その選手、獨協大から初めてのプロなんですよ」とマスターが話しかけてきたのです。2020年ドラフト5位でヤクルトに入団した並木秀尊外野手でした。

 並木選手は、大学3年秋に参加した日本代表候補合宿の50メートル走計測で、「サニブラウンに勝った男」と呼ばれていた中大の五十幡亮汰選手の5秒42を上回る5秒32を記録したことから、「『サニブラウンに勝った男』に勝った男」の異名が付きました。サニブラウンは、パリ五輪陸上男子100メートル日本代表です。

 並木選手は背番号0。プロ4年目の今年7月のDeNA戦(横浜)で左肩脱臼で選手登録を抹消されてしまいましたが、それまでの成績は、通算打率2割2分8厘、安打44、盗塁27です。

 煉瓦亭のマスターも、獨協大学野球部出身だというので、同大初のプロになった後輩の活躍を色んな人に話したくてしょうがなかったのでしょう。私も亡くなった親友の神林君の出身大学が獨協大で、彼と一緒に学園祭に行ったことがあったので、話に花が咲きました。

 ところで、今回、何故、新富町の煉瓦亭を取り上げたかと言いますと、この店で初めて「新札」にお目に掛かったからでした。7月3日に、新1万円札が渋沢栄一、5000円札が津田梅子、1000円札が北里柴三郎に代わりましたが、1カ月近く経ったというのに、見たことがなかったのです。正確に言いますと、他の人が手に入れた1000円札だけは見たことがありましたが、今回、初めて私も北里さんを手に入れることが出来たのです。遅い~! 肖像画が動くホログラムも、裏の葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」もバッチリ見ることが出来ました。

 でも、まだ、渋沢さんと津田さんにはお目に掛かったことはないのです。1カ月も経つのに、何でかな、と思いましたが、考えてみれば、ランチの支払いを「○○ペイ」やクレジットで払ったりしたせいなのです。銀行でお金を降ろしても旧札ばかりです。

 まあ、そのうち入手出来るでしょう。でも、最近は急激な円高になったり、2000円以上も株安になったりする異様な金融市場が続いていますので、無産階級の庶民としては、また心配事が増えてしまいました。

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