私は、かつて「大手マスコミ」と呼ばれる会社(J通信社)に長年勤めておりました。戦前の国策会社「同盟通信社」の流れを汲む歴史と伝統のある会社なので、御用通信社として、優遇されていたのかも知れません。そんな大手マスコミと言われても、赤字会社なので取材交通費は出ても、取材交際費までは出ませんでした。要するに、有能な記者はタダか自腹で情報は仕入れておりました(一方、ズルい記者は、当局の発表ものの「出席原稿」ばかり書いてお茶を濁していました)。私なんか、大物芸能人が亡くなった際、香典は自腹を切ったものでした。
「面白い本があるから」
そんな会社でも、福利厚生はしっかりしていましたし、健康保険も厚生年金もしっかり天引きしておりました。転勤引越し代も勿論出ました。さすが大手マスコミではありました(笑)。上を見たらキリがありませんが、下を見てもキリがありません。そんな折、関西にお住まいのGさんが、私に「面白い本があるから」とお薦めになる本を紹介するのです。「あれっ?」Gさんは昨日まで、「もう本なんか読むのはやめなさい。『書を捨て、街に出よ』ですよ」と言っていたのに、その舌の根が乾かぬうちに、もうこれですからね(笑)。それに、いい年こいて、YouTubeなんかにハマっているので世話ありません(苦笑)。
Gさんのお薦めになった本は、 岩本太郎著「炎上!100円ライター始末記 マスコミ業界誌 裏道渡世」(出版人ライブラリ)という本でした。初版が2018年2月だということですから、図書館で借りることにしました。そして、読んでみたら、面白いったらありゃしませんでした。
ブラック企業に就職
著者の岩本氏(1964年生まれ)が国立岩手大学を卒業して最初に就職した会社が、広告業界誌「東京アドエージ」という会社でした。彼は軽い気持ちで入社してしまいましたが、そこは、とんでもない会社でした。どうも周囲からは総会屋のようなゴロツキ扱いをされ、こちらが名刺を出しても相手が出さなかったり、渡したばかりの名刺を目の前でゴミ箱に捨てられたりしたというのです。何しろ、岩本氏は「筆舌に尽くし難い経験を山のように積んだ」といいますから、相当なもんです。
私の場合、表向きは「大手マスコミ」(笑)でしたから、そんな経験は一度もないどころか、逆に「幾らお支払いしたら宜しいのでしょうか?」と聞かれたりしたことも何度かありました(勿論、私は「広告宣伝記事ではないのでお金は受け取れません」とお断りしました)。
東京アドエージという広告業界誌の会社は今はありませんが、かつて、「噂の真相」を創刊した岡留安則氏がその前に働いていた会社だと言えば分かりやすいかも知れません。社長の赤石憲彦氏は伝説のトップ屋で、東京タイムズの徳間康快社長とは「刎頚の友」だったことから、東京タイムズの営業担当常務取締役だったといいます。おっ! この本を薦めてくださったGさんを始め、元東京タイムズの残党組の皆さんの耳がピクピクと動きましたね(笑)。赤石社長は、いわゆるワンマンで、部下には1時間も説教するタイプでしたから、3カ月に一人は退職してしまう凄い会社でした(著者の岩本氏も5年で辞めてしまいます)。それに、大阪転勤を命じても引越し代すら出さないブラック企業でした。
原稿料がタダのフリーライター
そんな最底辺のマスコミ業界で働き、フリーライターになった著者が自分の記者人生を振り返って綴っていたブログをもとに、加筆訂正、書き下ろししたものが、本書となっています。この本の版元は、著者の東京アドエージ時代のかつての上司だった今井照容氏が創業した出版人という会社ですから、ご縁続きです。本書のタイトルにもなっている「100円ライター」とは、今井氏が著者の岩本氏に命名した名前で「いつまでもフリー(原稿料がタダの)ライターではなく、せめて100円ぐらいのライターになれ、との大いなる激励と若干の皮肉と揶揄を込めて」付けたそうです。100円ライターは、禁煙時代となった今では死語になってしまいましたが、1970年代から90年代にかけて喫煙者に大いに売れた使い捨ての簡易ガスライターのことで、それにも掛けております。
「顔で笑って、心で泣いて」
先程、この本のことを「面白いったらありゃしない」なんて書いてしまいましたが、実は、実は、読んでいても心が苦しくなるほどで、著者にとって悲惨な体験が、これでもか、これでもか、と書かれています。「顔で笑って、心で泣いて」といった感じで書かれていますから、他人にとって面白い話でも、本当は痛々しいのです。例えば、著者がフリーライターになってから、編集プロダクションから、ある建設会社の70代の社長が「自らの住宅建築にかける思想」を書籍化したいというので、「ゴーストライターをやってほしい」と頼まれます。「2カ月で40数万円の仕事」になるはずでした。しかし、その間に、建設会社の支援コンサルティングを手掛ける企業の関連会社で出版も担う会社や、建設会社の社長秘書までもが割って入ってきて、編集プロダクションの担当者と著者と三つ巴、四つ巴の「争い」となり、最初は、「なかなかよく出来た原稿なのでこの線で行きましょう」と言っていたはずなのが、手の平を返すように、「読むに値しない原稿」に大逆転し、出版そのものまで有耶無耶になっていきます。
哀しいエピソード
「2カ月で40数万円」のはずが、結局、1年かけて原稿用紙200枚も書き直したというのに、パーです。著者はさすがに精神疾患となり、通院するようになり、生活費も枯渇し、とうとう生活保護を受けることになりました。保護申請の関係で、自分の預金通帳を記帳したところ、ほぼ空っぽだと思っていたはずの残高が10万円もあったのです。原稿料が降り込まれていたのですが、それでも、1年間でわずか10万円だったわけです。
フリーライターのフリーとは「自由」ではなく、「ただ」という意味だった、ということを痛感させられるエピソードでした。
コメント