加藤哲郎氏の「ネチズンカレッジ」復活──ゾルゲ事件の「謎の人物」を追った研究秘話

「加藤哲郎ネチズンカレッジ」 keiryusai.net 雑感
「加藤哲郎ネチズンカレッジ」 keiryusai.net

 国際政治学者で、「尾崎=ゾルゲ研究会」の代表も務める加藤哲郎一橋大学名誉教授がネット上で開講している「ネチズンカレッジ」というヴァーチャルな大学(1997年8月15日開講)があります。誰でも自由に閲覧できるサイトで、加藤氏の半世紀以上に及ぶ研究成果がもれなくアップされています。

 私は、毎月一回、月初めの1日頃に更新される「月評」が楽しみで「愛読」していたのですが、今年7月1日の更新を最後に、8月の更新がなく、「どうしたものか」と心配しておりました。というのも、加藤氏は数年前に重い病気を罹って何度か手術入院されていたので、「もしかして、また入院されたのかもしれない」と思ったからでした。あまり御迷惑をお掛けしてもいけないと我慢しておりましたが、ついにしびれを切らして加藤氏には8月の半ばにメールで問い合わせてみたのでした。

 そしたら、7月に加藤氏のパソコンのネチズンカレッジ用のSSD(記憶装置)が長年の使用で壊れてしまい、8月から新しく、サーバーとドメインも移転して、この9月1日から開講を「復活」出来たというのです。めでたし、めでたしでした。

加藤氏から関連資料を拝受

 加藤氏と初めて謦咳を接したのは、はっきりと覚えていませんが、2006年か07年頃、ゾルゲ事件を研究する日露歴史研究センターが主催する多磨霊園の墓参会の後、講師を務めた講演会だったと思います。当時は「私は、ゾルゲ事件の専門家じゃありませんが…」と発言されていましたが、その後、まとまったゾル事件関連の書籍を上梓し、また、尾崎=ゾルゲ研究会の代表になるなど、すっかり「専門家」になってしまいましたが(笑)。

 その後、加藤氏が米国の国立公文書館(NARA)で発掘して来たゾルゲ事件関係者と見られながら70年以上も「謎の人物」として埋もれていた石島栄という人物について、私に「まだ誰も知られていないので、調べてみますか?」と資料を開示してくださったのでした。暑い中、加藤氏の御自宅にまでお邪魔しました。その英文の電文はA4判のリポート用紙2枚ぐらいで収まってしまうほど短いもの数点でしたが、私は、国会図書館などに通って、この石島栄という謎の人物を追跡し、ついに、当人は既に亡くなっておりましたが、神奈川県に住む石島栄の二番目の奥さんだった桂子さんを「発見」し、本人に会いに行くことが出来ました。その場で、沢山の資料や写真をお借りして、日露歴史研究センターの「ゾルゲ事件関係外国語文献翻訳集」35号(2012年12月)に寄稿したことがありました。

日露歴史研究センターの「ゾルゲ事件関係外国語文献翻訳集」35号(2012年12月)
日露歴史研究センターの「ゾルゲ事件関係外国語文献翻訳集」35号(2012年12月) 顔写真は石島栄氏(石島桂子さん提供)

 ちなみに、この石島栄(1916~97年)という人は、旧制独逸協会中学(現獨協大学教養課程)と上智大学でドイツ語を学び、1935年にドイツ通信社(DNB、今のDPA)に入社し、ほんの一時期、リヒャルト・ゾルゲの下で仕事をした人でした。既に亡くなっていたので、御本人から話は聞けませんでしたが、かなり親しくゾルゲとは交際したようでした。しかし、事件に直接関与したかどうか、つまりゾルゲと一緒に諜報活動をしたかどうかまでは証拠がつかめませんでした。恐らく、石島栄は、スパイ活動までしていないと私は思いましたが、間接的な情報提供者として逮捕されてもおかしくなかったと思いました。

 石島栄は1943年に、ゾルゲ事件で逮捕されて獄死したアバス通信社(現AFP通信社)のブーケリッチの紹介で、同社東京支局勤務の榎八千代さん(アテネフランセで仏語を習得)と最初の結婚をしていたり、戦後は、ドイツ通信社を退職して日本共産党北海道委員会の農民部長を歴任したり、その後、ソ連関連の出版社「ナウカ」に勤めたり、まさに波乱万丈の生涯でした(1997年、80歳で死去)。

真実を発掘する醍醐味と面白さ

 取材する過程で、石島栄の最初の妻八千代さんが再婚して、千葉家裁の調査官になったことを突き止めて、彼女の住所として記載されていた千葉県の公団にアポなしで押しかけたり(結局、不在で、手紙を出すも音信不通に終わった)、北海道帯広の友人Sさんに戦後間もない北海道共産党関係の人物名簿の中で石島栄が出て来るかどうか、図書館で名前を調べて貰ったり、たまたま、上智大学に勤務していたHさんには、戦前の上智大生の名簿を調べてもらい、石島栄は卒業ではなく、中退していたことが分かったり、色んな人に迷惑を掛けながら取材の協力をしてもらったことを今では懐かしく思い返します。

 石島栄は、ネットで検索しても詳細なことは出て来ません。私は、研究者ではなく、単なる操觚者ではありますが、当時は歴史探偵として真実を発掘する醍醐味と面白さを味わうことが出来ました。

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