飛鳥山徘徊記

飛鳥山公園でお花見 歴史
飛鳥山公園

  今年の東京の桜の開花(3月29日)は、平年より5日遅く、昨年より15日遅い観測で、2012年(3月31日開花)以来12年ぶりの遅さ(気象庁)でした。

 昨年は、4月に入れば既に花が散っていたと思いますが、今年は4月の第1週でもまだ満開ではない遅咲きでした。ということで、4月6日(土)に東京の桜の名所の一つである北区の飛鳥山公園に行って来ました。

 本当は、「義経千本桜」の舞台になった奈良県の吉野山の桜か、豊臣秀吉による豪華絢爛な花見の宴で有名な京都の醍醐寺の桜を観たいな、と思っているのですが、残念ながら、いまだ実現出来ておりません。哀しいものがあります。

江戸時代以来の桜の名所

 でも、飛鳥山の花見も実は捨てたもんじゃありません。電車賃をかけて観に行く価値はあります。何故なら、結構歴史があるからです。江戸時代、ここは徳川将軍の鷹狩の場でしたが、享保5年(1720年)、八代将軍徳川吉宗の命により、荒れていた飛鳥山(実際は武蔵野台地)に桜の苗木1270本、躑躅、赤松、楓などの植樹が行われ、庶民に開放した経緯があります。当時、江戸庶民に開放されていた桜の名所は、上野の寛永寺ぐらいしかなく、吉宗は、この飛鳥山だけでなく、墨田堤(墨田区、台東区)や御殿山(品川区)など多くの地を桜の名所として開放することにしました。享保の改革を行った将軍吉宗ですが、これだけでも、名君の誉が高かったことが分かります。

 飛鳥山の桜見は、歌川国貞(1786~1864年)や歌川広重(1798~1858年)らによって多くの浮世絵が描かれています。

 私も江戸時代の庶民になったつもりで、桜見物をしようかと思いましたが、まあ、それは無理でしたね。まさに、赤ちゃんからお年寄りまで、老若男女、色んな人が大勢押し寄せていました。日本人だけでなく、コーカサス系の人、インド系の人、それに、中国系の人も多く見られました。大きな声で中国語を話していたからではなく、狭い広場で、どでかい剣をゆっくり振り回しながら、太極拳のようなものをやっていたからです。どでかい剣は、恐らく模造品でしょうけど、おっかなかったなあ~。もっと、早朝の誰もいない時に振り回してくれれば良いのにと思ってしまいました。

 お蔭で、江戸時代の庶民になれず、現実に連れ戻されてしまった感じでした。

 飛鳥山は明治になって、上野、浅草、芝、深川とともに、我が国初の公園に指定されます。また、日本資本主義の父と言われる渋沢栄一が自ら設立した王子製紙(当時は抄紙会社)の工場を見下ろせる飛鳥山に1879年から1931年にかけて、迎賓館と居宅を構えて、亡くなるまで過ごしました。それゆえ、今でも飛鳥山公園内の旧渋沢庭園には、大正期の建物である「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」(いずれも重要文化財)が、当時のまま残り、渋沢資料館もあります。

 飛鳥山は歴史散歩の宝庫です。

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