19世紀のパリ著名人、総登場

ジョルジュ・サンド「書簡集 1812~1876」(藤原書店、2013年7月30日初版) 書評
ジョルジュ・サンド「書簡集 1812~1876」(藤原書店、2013年7月30日初版)

 最も多い相手は、同業者でもある作家や詩人、批評家や編集者ではありますが、ミュッセ、ハイネ(独)、バルザック、メリメ、アレクサンドル・デュマ(父子)、ユゴー、ボードレール、フロベール、ゾラ、ツルゲーネフ(露)、ドーデ、アンデルセン(デンマーク)…と文学史に名を残す著名人ばかりです。それだけではなく、ドラクロワといった画家から、リスト(ハンガリー)、ベルリオーズ、ショパン(ポーランド)といった音楽家、女優のサラ・ベルナール、それに、ナポレオン三世や革命家のバクーニン(露)、そして何とカール・マルクス(独)までと手紙を交わした驚異的な人物とは一体、誰なのかー?

 19世紀を代表する閨秀作家ジョルジュ・サンド(1804~76年)でした。私自身、学生時代にフランス語を専攻しておきながら、彼女の作品は1冊も読んだことがなく、伝説にもなったショパンとの熱き交際ぐらいしか知りませんでしたが、これほど、多くの19世紀を代表する有名人と交際していたとは知りませんでしたね。

ジョルジュ・サンドの書簡集

 その存在を知ったのは、7月24日の日経夕刊の一面コラム「あすへの話題」に掲載された玉木林太郎国際金融情報センター理事長の「ジョルジュ・サンドの手紙」でした。1953年生まれの玉木氏は、麻布高(故中川昭一氏と同期)~東大~大蔵省のエリートコースに進み、財務官まで務めた人ですが、ショパン好きなようで、全作品の半分以上も作曲したといわれる仏中部のノアンにある「ジョルジュ・サンドの館」まで訪れています。

 私も早速、10年ほど前に藤原書店から出版されたジョルジュ・サンド「書簡集 1812~1876」(石井啓子、小椋順子、鈴木順子訳、2013年7月30日初版)を図書館から借りてきました。仏本国で出版されたものは、26巻(ジョルジュ・リュバン編)もあるそうですが、この本はその選集(249通)です。26巻本には、彼女の8歳から亡くなる9日前の71歳まで、2117人を相手に2万通以上の手紙が収録され、その相手の中には、先述した通り、19世紀を代表する著名人が多かったわけです。

 ジョルジュ・サンド、本名アマンティーヌ=オロール=リュシル・デュパン、後にデュトヴァン夫人。実に恋多き女性です。18歳で陸軍中尉カジミール・デュトヴァンと結婚し、2人の子どもをもうけましたが、1830年、26歳の頃、夫と不和・別居になると、次々と愛人と交際します。私は彼女の愛人といえばショパンぐらいかと思っていたので、吃驚です。最初は、筆名の由来にもなった作家のジュール・サンドー。彼と別れると「カルメン」で知られるプロスペル・メリメ、続いてロマン派の詩人アルフレッド・ド・ミュッセとの大恋愛、精神錯乱の発作を起こしたミュッセを診察したイタリア人医師パジェッロとまで関係、そしてショパンとの出会いと別れ…。まあ、何という下半身の軽さよ、と思ってしまいました(失礼!)。時は日本で言えば幕末から明治にかけてです。現代の「時代感覚」で考えてしまってはいけませんが、現代にも引き継がれているフランスの自由恋愛主義の原点を見るかのようです。

 そして実にバイタリティーのある女性です。2人の子どもを育てながら、新聞や雑誌に小説や評論を書き、サロンを主宰して様々な芸術家と交際します。手紙は私信ですから、どうも他人のプライバシーを盗み見している感覚に襲われて、この本を読むのが嫌になってしまう時もありました。

 自分の死後、書簡が公開されるのではないかとぼんやりと感じていたジョルジュ・サンドは、彼女の生涯で最も重要だったと思われるフレデリック・ショパンへの書簡は、ショパンの死後、返却してもらい、自ら殆ど処分してしまったようです。

 この本で19世紀を代表する芸術家の相関図が読み取れますが、やはり、どうも他人の私信を読むのは悪趣味のような気がしてページが進みませんでした。

 一方、19世紀フランスでは、女性は民法上、未成年者扱いで市民権も拒否されていたといいます。そんな時代に、ジョルジュ・サンドは、政治、宗教、芸術だけでなく、結婚制度や女子教育の重要性も訴え、先駆者的役割を果たしました。そういう意味では、この書簡集も彼女の思想を知る上で読む価値があるかもしれません。

 巻末にジョルジュ・サンドの家系図が掲載されていました。父方の祖母は、ポーランド国王アウグスト2世(1670~1733年)の孫に当たるんですね…。大変失礼致しました。

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