東郷神社の由来

原宿隠田の池田侯爵邸(「毎日グラフ」 1988-03-06号) 歴史
原宿隠田の池田侯爵邸(「毎日グラフ」 1988-03-06号)

神社の敷地を寄進したのは鳥取か岡山か?

 昨晩、在野の歴史研究者名倉有一氏から急に「こんばんは。東京・原宿の東郷神社の敷地1万坪余りを寄進したのは、鳥取、岡山どちらの池田家だと思いますか?鳥取県立図書館に問い合わせたところ、詳細な回答を得て、鳥取の池田徳眞さんのお父上・仲博氏だったことが判明しました。Wikipediaの岡山説は間違っていました。」とのメールがありました。

 何の繋がりもなく、急に「ご用件」で始まったメールでしたので、「何のこっちゃい?」と驚きましたが、送って頂いた添付資料などを拝読したところ、やっと理解できました。東京・原宿にある日露戦争の軍神・東郷平八郎元帥を祀った東郷神社は、もともと鳥取池田家第16代当主池田仲博侯爵邸の敷地(3万8000坪)で、そのうち1万6000坪を東郷元帥が昭和9年(1934年)に死去した際に、池田侯爵が神社の敷地などとして寄付したのでした。(写真は、「毎日グラフ」 1988年3月6日号「日本の名家:鳥取池田家」より)

 それなのに、Wikipediaの「東郷神社」の項目では「元は、鳥取藩主であった池田慶徳が1862年(文久2年)から持つ約2万坪の屋敷だった。その子孫である旧岡山藩池田家第15代当主・池田宣政侯爵は、私邸敷地のうち約1万2千坪を東郷元帥記念会に譲渡し、それが神社用地となった。」と書かれているのです。寄進したのは、ここに書かれている「旧岡山藩池田家第15代当主・池田宣政侯爵」というのは間違いで、「鳥取池田家第16代当主池田仲博侯爵」だということを名倉氏が「発掘」したわけです。歴史探偵として面目躍如です。Wikipediaはまだ訂正していないようですが、名倉氏の功績は大きいです。(ちなみに東郷神社の公式ホームページには、敷地の経緯については書かれていませんでした。)

 その「裏付け」のお墨付きをしたのが鳥取県立図書館の郷土資料課の担当者でした。その徹底した調査は、新聞記者や学者さんも顔負けです。まず、「人事興信録」(『人事興信録』データベース (nagoya-u.ac.jp)名古屋大学)昭和3年版などから、「岡山池田家当主の住居地は、現在の品川区(大崎)に位置しており、(渋谷区の)原宿とは無縁のようです」などとし、「岡山池田家説」を否定しています。

 また、鳥取池田家第16代当主池田仲博侯爵邸については、昭和19年に交詢社から出版された「日本紳士録 47版」を参照し、「編集情報は序文より昭和17年頃のものと確認出来ます。(鳥取池田侯爵邸は)23コマ目に原宿の住所地が確認出来ます。他に『官報』(商業登記)にも住所が記載されています」などと、「鳥取池田邸=原宿説」は間違いないことを結論づけております。 

 鳥取県立図書館の担当者のお名前は書かれていませんでしたが、その博捜と精査ぶりには何か篤い執念を感じました。とは言っても、鳥取と岡山の池田家が仲が悪いわけではありません。もともと、親戚なのですから濃密な関係なのです。

鳥取藩と岡山藩との国替

 池田家の始祖は織田信長らに仕えた有名な戦国武将池田恒興(1536~84年)ですが、江戸時代になり、姫路藩主だった池田光政(恒興の嫡男・輝政の孫)が鳥取藩の第3代藩主となります。寛永9年(1632年)、光政の叔父に当たる岡山藩主池田忠雄が死去し、その跡を継いだのは光政の甥で3歳の池田光仲でした。3歳では山陽道の要所にある岡山藩を治めきれないだろうということで、光政が岡山藩へ、光仲が鳥取藩へと国替(くにがえ)が行われたのでした。これがそのまま明治維新まで続き、明治からは侯爵家となります。

 そういう経緯があるので、鳥取と岡山は現在でも密な交流があり、例えば、東京・新橋にある地元物産館は「とっとり・おかやま新橋館」となっており、両県が共同で経営しています。歴史を知らない人は、何で鳥取と岡山が一緒に物産館を開いているのか分からないでしょうね。

東京・新橋にある「とっとり・おかやま新橋館」
東京・新橋にある「とっとり・おかやま新橋館」

 歴史探偵名倉氏の最初のメールに戻りますと、「鳥取の池田徳眞さんのお父上・仲博氏だったことが判明しました」と書かれています。つまり、彼の関心の端緒は、「鳥取の池田徳眞さん」だったのです。この鳥取の池田徳眞さんというのは、鳥取池田家第17代当主のことですが、戦時中に対米謀略ラジオ放送「日の丸アワー」に関わった人でした。対米謀略放送に非常に関心のある名倉探偵は、人一倍、池田徳眞さんに興味があったわけです。

北海道池田町を開拓した鳥取池田家第16代当主池田仲博

 私は、どちらかと言えば、その御尊父の池田仲博(1877~1948年)に興味がありますね。最後の将軍徳川慶喜の五男として生まれ、鳥取池田家第16代当主を継ぎますが、陸軍中尉、貴族院議員も務めた人です。私が興味を持ったのは、彼が若き頃、北海道十勝地方を開拓して約300万坪の原野に池田農場を開設したからです。今の北海道中川郡池田町の原点です。個人的ながら、私は20年前に北海道十勝の帯広に赴任したことがあり、勿論、池田町にも何度も足を運びました。地場産業としてワイン造りが盛んで、「ワイン城」は観光資源になっています。東京・日本橋に直営レストランもあります。また、ドリームズ・カム・トゥルーのボーカル吉田美和さんの出身地としても知られています。

 当時の池田町長(2000~20年)だった勝井勝丸氏とは今でも年賀状のやり取りをしているほどです。

 勿論、20年前は、池田町が、鳥取池田家に由来することなど全く知りませんでしたが(苦笑)。

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