ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」を再読しています

ブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで」(ブルーバックス) 書評
ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」

 もう何日も前からブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで」(ブルーバックス)を再読しています。初めて読んだ時の「驚き」はさすがに薄れましたが、二度目に読んでも細かい所は忘れているので(笑)、滋味深い感動は得られます。

 こういう難しい本は、本当は読書会などに参加して皆で読み合って、疑問点をぶつけ合って論議した方が内容も脳髄に深く刷り込まれると思いますが、それはそれで難しいので、せめて、このブログのコメントで皆さんのご感想などを聞くことが出来れば嬉しいなあ、と思っております。

 この本は、宇宙の始まりから終焉に至るまでの壮大な物語を紡いだ科学書です。一言で言えば、宇宙論ではありますが、生命誕生の神秘に迫り、我々人間は何故、言語を獲得して、物語をつくり、いつか死すべき運命であることを知りながら、芸術作品をつくり、永遠の生を願って宗教を生み出したりしたのかーなどといった疑問について、科学からだけではなく、哲学、心理学、文学、宗教学などから答えを見付けようとしています。

 この本の再読読了後の感想記事は以下になります。

生命に何故、意識や感情が生まれたのか?

 大雑把に言いますと、138億年前にビッグバンで宇宙が誕生し、46億年前に地球が誕生し、40億年前に生命が誕生したといわれています。その生命、とは言っても、当初、地球には水素とヘリウムぐらいしかありませんでした。次第に炭素、酸素、ナトリウム、マグネシウムなどが出来て、生命を構成する「要素」が現れます。それが生命になりますが、当初は粒子です。それが段々、アメーバのような単細胞生物から多細胞生物が現れ、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類が生まれ、ついに25万年ほど前に、哺乳類の霊長類から進化した現生人類のホモ・サピエンスが出現します。ということは、いくら人類とは言っても、著者の言葉を借りれば、我々は「物理法則に支配されている粒子たちが詰め込まれた袋に過ぎない」のです。

 そんな「粒子の袋」が、何で、意識や感情などを持つようになったりしたのか? 何で、言葉を生み出して物語をつくったり、宗教や芸術作品を生み出したりしたのか?といった難問解明に挑戦したのが本書だと言えます。

物語は進化論的に役立つのか?

 まず、言葉が生まれたのは、仲間や家族に捕食者から逃れるように注意や警告したり、飲み水の在り処を伝えたり、美味しい果実がなる木の場所や時期を教えたりするのに必要だったからでしょう。生物として生き延びるための手段です。しかし、存在するわけでもないファンタジーの世界の中で、現実にありもしない問題に立ち向かう登場人物の行為に一喜一憂したりする物語は、生き残りと繁殖を高めることにどれだけ影響を及ぼすのか? 進化論的に何の役に立つのか? といった素朴な疑問が浮かびます。

 このような問いに対して、著者のグリーン氏は様々な説を唱えます。例えば、こんな調子です。

・物語を語ることは、我々の心が現実世界のリハーサルをするために使っている特殊な方法なのかもしれない。我々は物語を通して、社会的期待に沿った望ましい行動から、憎むべき犯罪まで、様々な人間行動を幅広く見てまわるからだ。

 ・物語は社会的動物という我々の本性を理解するための鍵なのだ。我々は物語を使うことで、自分とは異なる様々な心に親しむ。

 ・物語を語ることは、おのれの人生とどう折り合いをつけるか、如何にして存在を受け入れるのかという問題にとって重大な意味を持つ現在進行形のプロセスなのだ。

ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」

  なるほど、なるほど。こういった説ですと、意識や感情などの心を持ってしまった人類にとって、物語は、架空のフィクションでも、生き延びるための必需品だと納得させられます。とはいえ、最近の研究によると、今日の人類のおしゃべりの何と60%がゴシップに費やされていることから、著者も「これは驚くべき数字だ」と驚嘆しています。今も、よく読まれるニュースは、政治倫理審査会の展望よりも、違法賭博で通訳が解雇されたドジャースの大谷翔平選手のゴシップの方ですからね。

何故、人類は宗教や芸術をつくったのか?

 もう一つ、人類は何故、宗教を信じたり、音楽や演劇や絵画や彫刻などの芸術をつくったり、鑑賞したり愛でたりするのか? といった疑問について、著者のグリーン氏は「進化は生き残りに役立つ行動を取らせる信念を好むよう、我々の脳を設計した」として、宗教の存在理由を説明したりし、芸術については、偉大な先人の言葉を引用したりしています。例えば、哲学者フリードリヒ・ニーチェは「音楽のない人生など何かの間違いだ(「偶像の黄昏」)と述べた」と言ったり、劇作家のジョージ・バーナード・ショーには「芸術がなかったなら実在の粗雑さゆえに、世界は耐え難いものになるでしょう」(戯曲「メトセラへ還れ」)と語らせたり、「死の拒絶」の著者アーネスト・ベッカーには「文化が進化したのは、人の気持ちを挫きかねない死の意識を緩和させるためだ」といった主張を引用したりしているのです。

 ここまで読むと、何故、人類が物語や宗教や芸術をつくったりするのか、その理由は何となく分かりました。しかし、そもそも、「粒子の詰まった袋」に過ぎない人間という生命が、何故、意識や感情などを持つようになったのかについては、実に不思議です。偶然なのか、必然なのか、それとも奇跡なのか、神が存在して、心を持つ人類を誕生させたのか? 

 この本は、まさに food for thought(思索の種)です。私は、身も蓋もありませんが、「生は偶然、死は必然」だと思っております。「いのち短し 恋せよ乙女」ですよ。

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