特別展「法然と極楽浄土」

特別展「法然と極楽浄土」(東京・上野国立博物館) 雑感
特別展「法然と極楽浄土」(東京・上野国立博物館)

 2024年が明けたかと思ったら、もうゴールデンウイーク(GW)です。GWというのは、映画業界が連休が書き入れ時だということで名付けたという説が有力ですが、今年はどうも万難を排してでも観たい映画がなかったので、4月28日には上野の東京国立博物館に足を運びました。特別展「法然と極楽浄土」が開かれているからです(6月9日まで)。

 私は「鎌倉仏教」に大変興味があります。その時代に代表される運慶、快慶らの仏像も心底、感銘感服致します。宗教ですから、本来ならひれ伏して崇め奉らなければならないでしょうが、その時代に生きた民衆の拠り所をそれ以上に感じます。ですから、生きている限り、全国を行脚して、出来るだけ多くの神社仏閣を訪れて、御本尊の仏像を参拝したいと思っております。

「阿弥陀二十五菩薩来迎図」

 このように博物館で開催される特別展もその行脚の一環です。今回の「法然と極楽浄土」展の中で、1点だけ選ぶとすると、やはり、展覧会の看板の写真になって登場する「阿弥陀二十五菩薩来迎図」(14世紀、鎌倉時代、京都知恩院蔵)です。数年間に及ぶ修復期間を経ての今回初公開ということですから、余計に有難みを感じました。かなり有名ですから、教科書などでも一度拝見したことがある人も多いと思います。中央の阿弥陀如来が二十五の菩薩を引き連れて飛雲に乗って、右下隅の往生者をお迎えに来る様を描いたもので、修復により金色に輝く阿弥陀さまと菩薩が鮮やかに蘇ったような感じでした。当時の庶民は、現代人以上に遥かに圧倒されて手を合わせてひれ伏していたことでしょう。

「選択本願念仏集」

 特別展は、法然坊源空(1133~1212年)が開いた浄土宗の開宗850年を迎えることで企画されたようです。法然は承安5年(1175年)、これまで皇族や貴族のためのものだった仏教を広く民衆にも開放し、南無阿弥陀仏と念仏を唱えるだけで、身分が低い者でも、そして女性でも、誰もが救済されて極楽浄土に往生出来るという教えを広めた人です。まさに、宗教革命です。そのおかげで、自身が迫害されたり、島流しの憂き目にあったりしましたが、私は、信徒でも門徒でもありませんけど、法然こそが最大の鎌倉仏教の貢献者、功労者だと思っています。分からないながらも、法然の主著「選択本願念仏集」を紐解いたほどですが、会場にはその京都・蘆山寺蔵の「選択本願念仏集」(重要文化財)も展示されていたので感動しました。

 このほか、国宝に指定されている「法然上人絵伝」(14世紀、鎌倉時代、京都知恩院蔵)もありましたが、もう700年も昔の作品なのに色鮮やかなので少し驚いてしまいました。

香川県法然寺蔵「仏涅槃像」

 第2会場では、香川県の法然寺蔵の「仏涅槃像」が展示されていて、これだけ撮影オッケーだったので、シャッターを押して来ました。法然寺というのは、高松初代藩主松平賴重(黄門さまこと水戸藩主水戸光圀の兄)が、法然上人が配流された生福寺(現香川県まんのう町)を高松に移して、高松藩主家の菩提寺として開いたものです。(仏生山来迎院法然寺

「仏涅槃群像」(香川・法然寺)=特別展「法然と極楽浄土」(東京・上野国立博物館)
「仏涅槃群像」(香川・法然寺)=特別展「法然と極楽浄土」(東京・上野国立博物館)

村上春樹の従弟村上純一氏との出会い

 ところで、私自身はあることがきっかけで、法然上人だけではなくその弟子たちにも興味を持つようになりました。「あること」というのは、私が2019年5月10日の旧渓流斎日乗に書いた「村上春樹が初めて語る自身の父親」という記事について、これをお読みになった村上春樹氏の従弟で京都市左京区にある「青龍山安養寺」の御住職の村上純一氏から間違いの指摘を受けたことでした。私は、「青龍山安養寺」(京都市左京区)と書きべきところを、「慈円山安養寺」(京都市東山区)と書いてしまったのです。よくぞ、小生のブログなんかをお読み頂いたと感心してしまいましたが、その後、村上純一氏とは何度もメールのやり取りをさせて頂き、ついには、私がお詫びも兼ねて、青龍山安養寺までお訪ねしたくらいでした。

鎮西派と西山派

 青龍山安養寺は、法然開祖の浄土宗の寺院ではありますが、いわゆる本派本流といわれる「鎮西(ちんぜい)派」ではなく、「西山(せいざん)派」です。この西山派も現在三つに分かれていて、村上純一氏の安養寺は西山浄土宗に属しています。その総本山は、「平家物語」でも有名な熊谷直実が法然上人に弟子入りし、蓮生(れんじょう)として創建した粟生光明寺(京都府長岡京市)です。私も、安養寺訪問にも付き添って頂いた京洛先生と一緒にお参りしたことがあります。西山派の開祖は、法然の高弟・証空(西山上人)で、会場ではその肖像画も展示されていました。

 ついでながら、鎮西派の総本山は知恩院(京都市東山区)で、大本山は、徳川家の菩提寺・増上寺(東京都港区)を始め7寺院もありますから、一般の人が浄土宗と思うのが鎮西派です。この鎮西派の開祖は、法然の高弟・聖光(しょうこう)房弁長で、建保5年(1217年)、九州の善導寺(福岡県久留米市)を浄土宗鎮西義の拠点としました。江戸時代になって久留米藩主の有馬氏も善道寺を庇護したといいます。私事ながら、私の先祖は久留米藩の下級武士で、浄土宗だったようで、久留米は浄土宗の影響が強い土地だということを後で知りました。

 特別展には、聖光上人の坐像(重要文化財、13世紀鎌倉時代、久留米市善導寺蔵)も展示されていました。私は鎮西派の開祖は弁長だと覚えていたので、一瞬、どなたかな?と思いましたが、聖光上人=弁長上人でした。額に血管が浮き出たとても鎌倉らしい写実的な像でした。

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