中村京蔵主演「新版 山月記」を見て

東京・目黒の喜多能楽堂 keiryusai.net 雑感
東京・目黒の喜多能楽堂 keiryusai.net

 7月19日(土)の炎天下、久しぶりに観劇に行って参りました。以前に、この渓流斎ブログにも書いた歌舞伎役者中村京蔵丈の「新版 山月記」(中島敦原作、村上湛脚本、萩原朔美演出、藤間勘十郎振付)です。場所は東京・目黒の喜多能楽堂です。今年3月、同能楽堂が「令和大改修 新装開場」され、この自主公演が能楽堂と共催の形で実現しました。喜多能楽堂は、まだ檜の香りが残っているほど素晴らしい舞台に生まれ変わっていました。オペラ大劇場にあるようなホワイエまでありました。

 上演時間60分ほど。中村京蔵丈が19年前に初めて行った自主公演(東京・青山の銕仙会能楽堂)と同じ演目で、私も観劇させて頂きましたが、細かいところはすっかり忘れております(苦笑)。覚えているのは、帰りに外に出たら、酷い大雨が降っていたことです。ですから前回との比較は出来ませんが、年を取ったせいか、今回の感動は一入でした。

鑑賞者に試練が強いられる伝統舞台

 というのも、演劇という舞台芸術は、かなり観劇者に鑑賞能力と創造力を強いられます。でも、年を取るのも悪くない話で、私は鑑賞経験がかなりありますから、そういった初歩的バリアーは既に乗り越えているからです。教科書にも載っている有名な中島敦の「山月記」ですから、内容を知っている人はほとんどでしょうが、舞台芸術となると、CGも使えませんし、いくら京蔵丈演じる李徴(りちょう)が獰猛な虎になったといっても、席から見えるものは相も変わらぬ人間ですから、彼が虎になっていることを台詞から「創造」するしかありません。

 動画ばかり見て育った今の若者では、こういった想像・創造作業は無理な話かもしれません。そのせいか、385ある観客席はほぼ満員でしたが、平均年齢はどう見ても65歳は越えている感じでした。能や歌舞伎もそうですが、舞台芸術は観客にかなりの素養と勉学が求められるので、そんな面倒臭いことを今の若者がついて行けるかどうか、どうも心もとないですね。

 となると、伝統芸術が滅びてしまうのではないかという危惧がありますが、楽観的で行きましょう。こうして喜多能楽堂も何億円か掛けて大改修され、維持会員の方もいらっしゃるという話ですから、「日本人ファースト」を主張する政党員の方には是非率先して伝統芸能を支援してもらいたいものです。

和田啓のガムランが実に効果的

 さて、今回の「新版 山月記」ですが、演出された萩原朔美さんがたまたま近くの席で鑑賞されておりましたが、なかなか良かったでした。萩原朔美さんは若い頃、寺山修司主宰の「天井桟敷」で活動した演劇人で、詩人萩原朔太郎の孫に当たる人です。

 私は変な所に気づいてしまう性質(たち)で、一人でガムランを演奏する和田啓さんの鐘や太鼓が非常に効果的で素晴らしかったでした。と思って、プログラムを見たら、この和田啓さんは舞台音楽の作曲としてもお名前が出ておりました。

 李徴の親友袁傪(えんさん)役の高澤祐介さんは、ほとんど台詞がなくても、舞台右正面で、瞬きもせず、じっと同じ姿勢で微動だにしない恰好で、何十分も控えていたので、「こりゃあ、只者じゃない」と思いました。プログラムを見たら、この高澤祐介さんは、和泉流狂言師でした。ま、そんな所に注目する人など私一人ぐらいで、他にいないでしょうけどね(笑)。

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