司修著「孫文の机」を読了

司修著「孫文の机」(白水社、2012年11月10日初版) 書評
司修著「孫文の机」(白水社、2012年11月10日初版)

 

10年前に解散した「おつな寿司セミナー」

 明日11月18日(月)、ちょうど10年前に解散した「おつな寿司セミナー」の皆さんが小生の慰労会を兼ねて集まってくださることになりました。どなたがいらっしゃるのか、トップシークレット扱いなので分かりませんが、楽しみにしております。

 幹事は勿論、京都にお住まいの京洛先生です。わざわざ上京されます。「おつな寿司セミナー」というのは、毎月1回、土曜日に東京・渋谷にあったおつな寿司(閉店)の2階で、色んなゲストをお呼びして、談論風発、というか、自分勝手に言いたい放題で、本当に勝手に2階にある冷蔵庫からビールを取り出して呑む者もいれば、酔ってからむ者もいるような集まりでした。会費も会則もなく、「来る者拒まず、去る者追わず」といった調子で集まり、マスコミ関係者を中心に作家、評論家、エコノミスト、画家、刺青師、パチプロ、官僚、政治家秘書ら色んな方をゲストにお呼びし、30年続いたので、参加された方の数は累計1000人とも2000人とも…よく分かりません。1984年から始まった会で、私が参加したのは1990年からですが、その間、私が取材で知り合った芥川賞・三島賞作家の笙野頼子さんや武満徹さんの御息女で映画字幕を手掛けていた武満真紀さんら10人以上はゲストとしてお呼びしました。会員の中には、歴史作家として有名になった経営コンサルタントの加藤廣さんもおりました。そして、元朝日新聞編集委員の隈元信一さんら残念ながら既に鬼籍に入られた方もかなりおります。

 まだまだ続けようと思えば続いた会ですが、渋谷のおつな寿司が閉店し、主宰者の京洛先生が地元の京都に戻ったこともあり、10年前に30周年を区切りに解散となったわけです。(おつな寿司の御主人近藤貞夫さんは今年亡くなられたそうです)

本の目利き

 京洛先生とはコロナ期間中、音信不通になったこともありましたが、最近は、私の慰労会を開催してくださることもあり、頻繁なメールや電話の連絡が復活しました。そんな中で、京洛先生は「装丁家で有名な司修さんが書いた『孫文の机』(白水社、2012年11月10日初版)はお読みになりましたか?面白いですよ」と仰るので、早速図書館から借りて読んでみました。引用が多く、主語がはっきりしないところもあり、少し読みづらい箇所がありましたが、確かに面白い本でした。そう言えば、京洛先生は本の目利きで、これまで、勧めてくれた本の著者に私がインタビューして、著者と御縁がつながった方が何人もいらっしゃるのです。「正力松太郎と影武者の一世紀ー巨怪伝」(文藝春秋)を書いた佐野眞一さんを始め、「特務機関長許斐氏利」(ウエッジ)の牧久さん、「日本のスパイ王: 陸軍中野学校の創設者・秋草俊少将の真実」(学研プラス)の斎藤充功さんら…本当に多数です。

スクープ記者和田日出吉

 「孫文の机」とは、著者の司修さん(1936~)が25歳の頃に知り合った画家の大野五郎さん(1910~2006年、96歳)が、兄からもらった机のことで、本の表紙写真に使われています。写っている右端の若い男性が大野五郎さんが22歳の時です。兄というのは、戦前、福沢諭吉が創刊した時事新報記者として「番町会を暴く」という連載記事を執筆して財界の腐敗を暴露し、中外商業新報(現日本経済新聞)に転じてからは、「二・二六事件」の際に首相官邸を占拠した栗原安秀中尉と直接面会してスクープ記事を書いて名を馳せた和田日出吉のことです。画家大野五郎の次兄で、大野日出吉から和田家に婿入りした人です。和田日出吉は中外商業新報を辞めた後、大陸に渡り、満洲新聞社の社長になりました。その際に、恐らく孫文と知り合い、孫文の机を譲り受けたものと思われます。本文には経緯について書かれていませんでしたが。

 和田日出吉に関しては、私も夢中になって読んだ黒川鍾信著「小暮実千代 知られざるその素顔」(NHK出版、2007年5月1日初版)に詳しく書かれています。和田日出吉はかなりモテたようで、坂口安吾が大失恋した美人作家の矢田津世子(1907~44年)を愛人にし、最後は大女優の小暮実千代と結婚した人です。満洲では満映理事長になった甘粕正彦やロシア文学者の長谷川濬らと交流します。長谷川濬は戦後、神彰と一緒にプロモーターになり、ボリショイサーカスを日本に呼びました。神彰は一時、作家の有吉佐和子と結婚し、居酒屋チェーン「北の家族」を創業した人です。この辺りは、大島幹雄著「満洲浪漫 長谷川濬が見た夢」(藤原書店)に詳しいです。長谷川濬の長兄は「丹下左膳」で有名な作家海太郎、弟の潾二郎(画家)と四郎(作家)とともに「長谷川四兄弟」の一人として名を残しました。

 また、和田日出吉の弟で画家大野五郎の兄に当たる大野四郎は、逸見猶吉の筆名で詩人(「歴程」創刊同人)として活躍し、兄和田日出吉を追うようにして大陸に渡って、満洲文芸家協会の代表なども務めますが、戦後まもなく新京(長春)で病死します。

画家大野五郎の回顧談

 「孫文の机」は3部構成になっていて、第1部の「記者」は、二・二六事件の際に栗原中尉と対峙する和田日出吉の壮絶な話、第2部「詩人」は逸見猶吉を中心にした昭和初期の文壇の交流録、第3部の「画家」は大野五郎が親しくした川端画学校の友人で夭折した小野幸吉、「池袋モンパルナス」を代表する画家寺田政明(俳優寺田農の実父)や靉光、佐伯祐三ら1930年協会のメンバーとの交流を描いたものになっています。司修さんが実際にお会いしたのか、大野五郎さんが語った話なのか、途中で分からなくなる箇所が出て来ますが、まず、司修氏しか書けない本でした。

 それにしても、驚くほど色々な人が御縁で繋がっていますから、本当に縁とは不思議なものです。人生、縁こそが全てかもしれません。

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