「日本一のマンモス大学」と呼ばれる日本大学の学生数は約7万人だといいます(16学部86学科)。卒業生は120万人を超えています。2位は早稲田大学の約5万人、3位が立命館大学の約3万5000人。日大と同じように「マンモス大学」と呼ばれる近畿大学は意外にも6位ですが、この近大は、日大が1925年、大阪に設立した日大専門学校と1943年創立の大阪理工科大学が戦後の1949年に合併して出来た大学だといいます。近大といえば、国会議員も輩出する世耕一族が創立者で、近大のホームページには、日大の「に」の字も出て来ませんが、実は、日大の流れを汲む大学だったのです。
7万人もの学生がいるとなれば、ちょっとした地方の町・村クラスです。大学は学長をトップとする教育の場であると同時に、理事長をトップにした経営の場でもあります。理事長に権力が集中すると、大学は「利権の草刈り場」となります。特に日大は120万人の卒業生を擁する校友会があり、その会費だけでも莫大な収益があります。大学キャンパス内に自動販売機を設置するだけでも収益になります。また、日大は医学部もあり、付属大学病院もありますから、利権の構造は増大する一方です(日大附属板橋病院の建て替え総事業費は1000億円に上る大プロジェクト)。大学の経営者トップは自分の権力を磐石にするために、大学病院にお世話して裏社会の人々と交際したりします。
こんな日本の大学の利権の構造を暴露したのが、森功著「魔窟」(東洋経済新報社)です。3カ月ほど前に京都にお住まいのK氏から勧められ、図書館に直ぐに予約したら、やっと先週、届きました(笑)。K氏は「本の目利き」ですから、やはり、この本も寝食を忘れるぐらい夢中になれる本でした。著者の森氏は、ちょっとしつこいぐらい細かく取材し、正直、冗長な部分もありますが、現在、これだけのものを書ける人は見当たりません。佐野眞一さん亡き後、ノンフィクション界のトップに立ったと思います。
「魔窟」は「知られざる『日大帝国』興亡の歴史」と副題にありますが、日大板橋病院を巡る背任事件で起訴され、有罪判決を受けた元日大理事長の田中英寿(1946~2024年)事件やアメフト部の薬物事件(これで、日大への志願者数と学生数の減少に繋がり、大学経営に多大な影響を与えた)を中心に書かれていますが、それだけでなく、私立大学の利権の構造や、イトマン事件の許永中や住吉会、山口組といった裏社会との交際まで事細かく描かれています。
幕末の志士が創設した日大
日大の歴史も見逃せません、幕末の志士で、長州の吉田松陰の松下村塾出身の山田顕義(明治の初代司法大臣)を創立者の一人として、明治22年、日本法律学校が出来ます。つまり、当初は法律の「単科大学」でした。そんな単科大学に、戦後、他大学などを併合したりして農獣医学部や医学部や理工学部、そして有名な芸術学部まで造設して「総合大学」にまで発展させ、日大の「中興の祖」と呼ばれているのが理事長の古田重二良(1901~70年)だといいます。私は、本書でこの人のことを初めて知りました。
古田理事長の1960年代後半は、大学紛争の最盛期です。特に、日大は秋田明大・全共闘議長を中心に紛争が拡大しました。これに対して大学側は、相撲部やボクシング部など運動部の学生や右翼要員らで対抗し、後に理事長となって絶大な権力を握る田中英寿は当時、相撲部員だったこともあり、駆り出されたのではないか、と本書では書かれています。
日大相撲部の田中英寿は、後に横綱になる輪島の1年先輩で、学生横綱になったこともあります。相撲を五輪種目にすることが夢で、日本オリンピック委員会(JOC)の副会長まで務めたり、イトマン事件の許永中を通じて韓国オリンピック委員会(KOC)の金雲龍会長に近づき、大阪五輪を開催する計画まで立てていました。勿論、この計画は頓挫しましたが、大阪五輪の会場を予定していた夢洲は、大阪万博、そしてIR(カジノ統合型リゾート)会場となっていくのです。
失敗したとはいえ、政財官界人を巻き込んだ実に壮大な計画です。人間としての評価は別にして、田中英寿という人の器の大きさには瞠目しました。田中英寿は、太宰治と同じ青森県金木町の出身だったことも、個人的に興味を持ちました。著者の森氏は、田中英寿に対する批判の舌鋒はかなり鋭いのですが。
2022年、田中英寿の後任として、鳴物入りで理事長になった日大芸術学部出身の人気作家林真理子さんでさえ、この本を読んで初めて事件の真相や日本大学の歴史を知ったのではないでしょうか。同書では、林さんのことはあまり良く書かれていないので、読んでいないのかもしれませんが…。
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