「戦前・戦後の日本・東アジアの情報戦・心理戦を担った関係国の動向」 第67回諜報研究会

第67回諜報研究会 雑感
第67回諜報研究会

 ブログを更新しようとしたら、どういうわけかワードプレスにログイン出来ず、2~3度試したら、ロックが掛かってしまいました。そして、「本人ならメールアドレスを送りなさい」と通知が出て来たので、その通り、メールを送りましたが、埒があきません。「嗚呼、もうこれでブログを更新しなくてもいいんだなあ」との啓示を受けましたが、一応お世話になっているメンターのM氏に連絡してみました。

 でも、数分後、諦めかけて、パソコンを再起動して再びログインしてみたら、どういうわけか、すんなり成功したのです。「あれっ?どゆこと?」ーというわけで、M氏には「復活」した旨を連絡し、こうしてまたブログの更新をしているわけです(苦笑)。お騒がせしました。

 6月14日(土)は、東京・早稲田大学で開催された第67回諜報研究会に参加して来ました。本来は、この日、母校海城高校の同窓会があり、ちょうど卒業50周年ということで記念品も出る、ということで、「出席」の返事を出していたのですが、結局、こちらの諜報研究会の参加を選んでしまいました。それは、この日の講師の先生に直接お会いして問い質したかったからでした。その詳細はこの後、おいおい御説明致します。

 第67回諜報研究会の共通テーマは、「戦前・戦後の日本・東アジアの情報戦・心理戦を担った関係国の動向」でした。

「内閣情報機構の戦前戦後」

 最初の報告者は、岸俊光アジア調査会常務理事で、演題は「内閣情報機構の戦前戦後」でした。同氏が4月に出版された「内調 内閣情報機構に見る日本型インテリジェンス」(ちくま新書)の内容に沿ったお話でした。この本「内調」に関して、以前、拙ブログで取り上げたことがありましたので、私は全ての内容に付いていけましたが、もし、この本を読んでいなかったら、付いていけなかっただろうなあ、とも思いました。「予習」しといて良かったです(笑)。

第67回諜報研究会
第67回諜報研究会

 この本は、「帯」にもありますが、戦前と戦後にわたるインテリジェンスを解明する内閣情報機構の初めての通史です。戦前、この情報機構の「生みの親、育ての親」とも言うべき元内務省高級官僚の横溝光睴と、戦後、内情を「謀略機関」として捉えて批判したジャーナリストの吉原公一郎と、戦後に新設された内閣総理大臣官房調査室に最年少として参加し、大量の資料と日記を残した志垣民郎の3人をキーパースンとして取り上げた非常に内容の濃い通史になっています。特に、横溝光睴は、情報機構の法律の文案まで書いてしまう能吏で、「カミソリ」とも呼ばれたそうです。

  情報機関ということで、これまで秘密のベールに包まれていましたから、よくぞここまで資料を発掘したものだと私は感心しましたが、著者の岸氏としては、まだまだ解明されていない点が多く、内容については完全に満足していない様子でした。

小物の私もすっかり恐縮

 さて、最初に「この日の講師の先生に直接お会いて問い質したかった」と書いたのは、この岸先生のことでした。拙ブログにも書きましたが、内閣情報機構の「生みの親で育ての親」と言われた横溝光睴に関して、岸氏がまだ取材が進んでいなかった数年前、私が、この横溝光睴の長女である横溝幸子さんの住所と電話番号を岸氏に紹介したことがありました。その後、岸氏が彼女とコンタクトが取れたのか、取れなかったのかさえ返信がなかったので、「うまくいかなかったのだろうなあ」と思っていたのでした。そしたら、岸氏は横溝幸子氏から重要な写真までお借りしていたので吃驚してしまったのです。「こりゃ、ブログなんかに書いてばかりいないで、男らしく、正々堂々と御本人に直接会って経緯を聞くべきだな」と思ったのでした。ですから、高校の同窓会を欠席してまでこの諜報研究会の方に参加したのでした。

 岸先生が会場に到着するなり、私は彼を捕まえて、「私のことはもう覚えていないでしょうが、横溝幸子さんの住所と電話番号は役に立たなかったのですか?」とストレートに聞いてしまいました。そしたら、お忙しい先生のことですから、すっかり失念してしまったようで、「大変役に立ちました。本当に失礼しました」と何度も何度も謝ってくださっただけでなく、報告会でも私の名前まで出して頂き、感謝の念まで伝えてくださいました。しかも、報告が終わった後、私の席に来てくださり、「献本したい本がありますから、住所を教えてください」とまで仰るのです。いやあ、さすがの小物の私でもすっかり恐縮してしまいましたが、同窓会ではなく、諜報研究会を選んだ甲斐がありました。(個人的な話ばかりで失礼仕りました)

「アメリカによる対北朝鮮心理戦の諸相:1960年代後半~70年代初頭」

 次に登壇した報告者は、小林聡明日本大学法学部教授で、演題は「アメリカによる対北朝鮮心理戦の諸相:1960年代後半~70年代初頭」でした。当初、風邪か何かで体調を崩して、声が出ない、と仰ってましたが、非常に明朗な大きな自信に漲った声でしたので、「あれっ?」と肩透かしをくらいました(笑)。
 小林教授の専門は「朝鮮半島地域研究」「韓国朝鮮現代史」ということなので、韓国朝鮮語がペラペラのようでしたが、韓国北朝鮮の地名を日本語ではなく、現地名で発音され、しかも機関銃のような速さで説明されるので、ついていくのが大変でした(苦笑)。

第67回諜報研究会
第67回諜報研究会

 報告は、朝鮮半島での心理戦についてでした。具体的には宣伝ビラや謀略ラジオ放送といった話でした。韓国側には米軍もかなりの面で関わっていて、宣伝ビラを製作したり、ラジオ放送を実施したりしていました。米軍の日本分遣隊は、沖縄だけでなく、埼玉県朝霞市(キャンプ・ドレイク)にありました。

 韓国側のビラの内容は、大学のキャンパスで若い男女の学生が自由を謳歌している写真を添えて、自由と民主主義をアピールしたり、家庭内での掃除機など家電の写真を添えて、便利で豊かな生活を強調したりしていました。しかも、ビラには、同じ朝鮮語でも微妙に言い回しが違う、韓国語ではなく、北朝鮮語で表記するようにしたというのです。

 現在も、北朝鮮も韓国も宣伝ビラやラジオ放送を続けているということでしたので、報告が終わった後の質疑で、私が「今はネットの時代なので、SNSの方が効果があるのではありませんか?」と質問してみました。そしたら、小林教授は「北朝鮮ではSNSは禁止されており、スマートフォンは中国製がありますが、見つかったら取り上げられます。むしろ、韓流ドラマやK-POPが入ったUSBメモリーの方が効果がありますね」と答えてくれました。

 この後、隣に座っていた私の後輩に当たる時事通信社の宮坂解説委員に「何か、質問しろよ!」と強制したところ、彼は「宣伝ビラなど、脱北者にはどんな影響があったのですか?」と、私より素晴らしい質問をするのです。ズルい。そしたら、小林教授は、非常に嬉しそうな笑顔を満面に浮かべて、「大変良い質問をしてくださいました。めっちゃくちゃ影響がありました」と応えたので、参ってしまいました(笑)。

 韓国は、脱北者に関してはかなり詳細に尋問していているらしく、軍人、警察、農民など出身別、階層別に細かく区分して聞き取っていたようです。中には「ビラを拾って、捨てるフリをして、トイレに隠れて読んだ」などと具体的に語る者もあり、かなりの人が韓国による心理戦で、脱北するきっかけになったようでした。

 そう言えば、北朝鮮の宣伝ビラを見た韓国の人々はどう思ったのでしょうか?質問すれば良かった、と後悔しました。まさか、宣伝ビラにつられて「北の楽園」に行きたいと思った人がいたのでしょうか?

コメント

タイトルとURLをコピーしました