二・二六事件の日に思ふこと

高宮太平著「軍国太平記」(中公文庫) 歴史
高宮太平著「軍国太平記」(中公文庫)

 本日は、2月26日です。2月26日といえば、やはり昭和11年(1936年)に起きた「二・二六事件」です。日本史上最大の出来事の一つで、恐らく最も多くの関連書籍が出版されているのではないでしょうか。数千冊に上るかもしれませんが、私自身は不勉強で数冊読んだぐらいです。

寺内大吉著「化城の昭和史~二・二六事件への道と日蓮主義者たち」

 その中で最も印象に残っているのは、京洛先生のお勧めで読んだ寺内大吉著「化城の昭和史~二・二六事件への道と日蓮主義者たち」(毎日新聞社刊)です。タイトルにある通り、日蓮主義者である満州事変の石原莞爾(1889~1949)、血盟団事件の井上日召(1886~1967)、国柱会の田中智学らをはじめ、二・二六事件の首謀者として処刑された北一輝(1883~1937)と西田税(1901~1937)らが、いかにして青年将校らに影響力を駆使して、二・二六事件への道に進んでいったのか、ゾルゲ事件の尾崎秀実をモデルにした架空のジャーナリストの目を通して描いた歴史小説です。人物描写が見事で一人ひとり生き生きとして時代の雰囲気を感じることが出来ました。

高宮太平著「軍国太平記」

 そして、目下読んでいるのが、高宮太平著「軍国太平記」(中公文庫)です。高宮は、著者紹介の中で「1897年、福岡生まれ。大正日日、読売新聞を経て朝日新聞に入社。1920年代から30年代にかけて陸軍記者随一の存在として活躍」とあります。知る人ぞ知る名著として今や「古典」になっていますが、私は読むのは初めてです。この本もまた昨年、京洛先生よりその存在を知りました。同書は1951年に酣灯社から刊行されましたが、人物相関図がかなり複雑な上、著者はかなり漢籍の素養がある方で、桂冠(けいかん=辞職すること)とか麁枝大葉(そしたいよう=細かいところに捉われずゆったりとした)など、今では使われない難しい漢字や表現が使われているので、いちいち辞書で調べなければならず、難儀しております(苦笑)。読むのに1日1ページも進まない日もあります。まだ全体の6分の1しか読めておりませんが、2月26日を迎えてしまったので、途中経過ながら「感想文」を認めます。

清浦圭吾とは

 二・二六事件といえば、やはり「皇道派」と「統制派」とは何かといった基礎知識がなければ理解できませんが、この本で初めてその基礎知識が得られました。同書は、関東大震災後に首相となった清浦奎吾が内閣組閣の陸軍大臣の人事を巡り、ともにかつて陸相を務めた田中義一(後の政友会総裁、首相、張作霖爆殺事件で失脚)と上原勇作(後に陸軍大臣、教育総監、参謀総長の「陸軍三長官」を歴任した元帥)との対立から筆を起こしています。

 この清浦圭吾(1850~1942年)という人はどういう人物だったのか、調べてみたら、肥後国の本願寺派住職の子息で、内務省官僚となり警保局長も務め、貴族議員の重鎮になった人でした。青少年時代は豊後国日田の私塾「咸宜園(かんぎえん)」で学んだということで、「幕末の著名な儒学者広瀬淡窓が開いたあの咸宜園かあ」と感心しました。幕末の咸宜園では、高野長英や大村益次郎らがここで学んでいたからです。

 こんな感じでいちいち調べながら読み進めているので、1日1ページしか進まないはずです(笑)。

 清浦圭吾内閣の陸相は結局、長州閥の田中義一が推す宇垣一成(岡山、陸士1期)に決まり、薩摩閥の上原勇作(薩摩藩士、陸士3期)が推す福田雅太郎(大村藩士、陸士旧9期、甘粕事件の時の関東戒厳司令官)は敗れました。しかし、これが後々尾を引くことになります。

 戊辰戦争で反幕勢力の大きな推進力となったのが、特に薩摩藩と長州藩でしたが、新政府樹立後は、薩長との間で亀裂が生じ、覇権争いが生じました。特に大日本帝国陸軍は、長州の山縣有朋、薩摩の大山巌、西郷従道といった維新第一世代が亡くなる大正末頃から、薩摩と長州との覇権争いは加速します。

皇道派対統制派

 それらの一つが、薩摩の上原勇作と長州の宇垣一成との対立です。これが昭和初期になって前者は皇道派、後者が統制派に発展していくのです。昭和になっても薩摩=皇道派と長州=統制派が覇権争いをしていたわけです。ただし、物事はそれほど単純ではなく、上原勇作は薩摩藩領だった宮崎県都城市出身で、上原勇作を継ぐ宇都宮太郎や武藤信義は佐賀藩出身、皇道派の頭目になったのは幕臣の子息だった荒木貞夫と佐賀県出身の真崎甚三郎でした。

 長州派の宇垣一成も岡山県出身で、統制派イコール、純粋に長州(山口県)出身ということにはなりませんが、概ね、薩長による派閥争いが二・二六事件にまで続き、結局、クーデター失敗で、統制派が実権を握り、皇道派が表舞台から消えざるを得なくなったという構図で良いのではないかと思います。

別冊歴史読本「日本の軍閥」

 この高宮太平著「軍国太平記」を理解するには相当の予備知識と帝国陸軍の派閥関係が頭に入っていなければ難しいと思います。幸い、私の場合、昔、別冊歴史読本「日本の軍閥」(新人物往来社、2009年4月11日初版)を購入し、読まずに本棚の隅にあったので、久しぶりに引っ張り出して来て、この本を参照しながら読んでいます。お蔭で少し理解の助けになりました。

別冊歴史読本「日本の軍閥」(新人物往来社)
別冊歴史読本「日本の軍閥」(新人物往来社)

歴史の教訓として日本軍部について学ぶ

 我々戦後世代は、GHQによる「戦後民主主義教育」を押し付けられて、「日本の軍部=悪玉」という思想を植え付けられてきたので、日本の軍部について知ったり、勉強したりすることに関してかなりの抵抗感がありました。しかし、日本の軍閥を知らなければ、さっぱり昭和史も理解出来ないことでしょう。軍国主義を全面的に否定することは簡単ですが、日本の軍部について学ばなければ、歴史として将来の教訓を得ることは出来ません。

 日本軍部の原点は、欧米列強から植民地化されないように立ち上がった幕末の志士と幕臣の小栗忠順や勝海舟らだと言っても良いと思います。日清、日露戦争を勝ち抜き、それが次第に隣国への侵略に繋がってしまいましたが、少なくとも戦前まで、日本の子どもたちが憧れ、尊敬する人物は、東郷平八郎や乃木希典ら軍人で、男の子の将来なりたい職業の一番は軍人でした。

 そろそろ色眼鏡ではなく中立的に帝国日本軍について勉強しなければいけない、と私自身は思うようになりました。調べてみたら、西南戦争の総司令官だった谷干城は日露戦争に反対して国際協調を提唱したり、満洲事変を起こし侵略者と言われていた石原莞爾は、中国戦線拡大に反対したことから閑職に回されたり、色んな軍人さんがいたことが分かります。

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