300年経っても変わらない人間の心因性  モンテスキュー「法の精神」から

モンテスキュー(1689~1755年)Wikimedia 雑感
モンテスキュー(1689~1755年)Wikimedia

 NHKラジオ「まいにちフランス語」は、18世紀の思想・哲学を題材にしていて、今月はモンテスキューChalres-Louis Montesquieu の「法の精神」De l’Esprit des lois の「教育について」De l’éducationを取り上げています。毎回、毎回、講師の逸見龍生・新潟大教授の解説には「目から鱗が落ちる」といいますか、大変勉強になり、若い頃、もっと勉強していたらよかったと反省しています。

「三権分立」

 「法の精神」(1748年刊)は、「三権分立」を説いた本として教科書にも載っていますが、原文を読んだことがある人は世界中でもほんのわずかだと思います。何しろ、300年近い昔の書ですからね。でも、三権分立は仏革命や米国憲法などに多大な影響を与え、現在の世界中の憲法や法律に採用されたりしています。単に「古臭い」で終わってしまうような書物ではないのです。何と言ってもモンテスキューの思想哲学が現代でもいまだに通じるのです。300年経っても、人間というものは全く変わっていないということです。

 つまり、仏ボルドーの高等法院長も務めたモンテスキュー(1689~1755年)が生きた時代は、ルイ14世(在位1643~1715年)とルイ15世(同1715~74年)の絶対王政の時代でしたが、現代の民主主義国家と比べて、人間の精神は全く異質の時代だったわけではなく、似通っていることに驚かされるのです。モンテスキューは権力を放縦する絶対君主に対しては批判的で、露骨に書くと逮捕されるので、世相を遠回しに風刺的に描いたりしています。

 この「法の精神」の中の「教育について」でも痛烈なことが書かれていますが、それが、ルイ15世への批判ではなく、現代の大国のあの大統領に対する批判にも読めてしまうのです。300年近い昔の文章ですが、現代人でも読めるので、まずフランス語を掲示します。

L’extrême obéissance suppose de l’ignorance dans celui qui obéit ; elle en suppose même dans celui qui commande ; il n’a point à délibérer, à douter, ni à raisonner ; il n’a qu’à vouloir.  ーMontesquieu” De l’Esprit de lois”

 皆さんでしたら、これぐらいのフランス語でしたら、スラスラと読めることでしょうが、お節介にも意訳を付けてみます。勿論、逸見先生の訳語がベースですが、そのままでは、初見では理解が難しいところがあるので、意訳どころか、超訳してみます。

 行き過ぎた服従が成立するには、服従する臣民が教育を受けていないということが前提になる。それにはまた、命令する専制君主の方も、無教養であることがやはり必要である。命令する側は、熟慮する必要も、あれこれ迷う必要も、議論する必要もなく、ただ、ただ己が欲することをすればいいだけだ。   ーモンテスキュー「法の精神」

 モンテスキューは、勿論、民衆には教育が必要だということを逆説的に説き、専制君主の身勝手さを批判しているわけです。

現代民主主義国家の暴君

 ですが、これはどうも300年前の昔の話ではなく、現代にも通じませんか? グリーンランドが欲しいとか、パナマ運河が欲しいとか、「己の欲すること」を要求し、深く考えず、迷うことも、他者の意見を聞くこともなく、矢継ぎ早に大統領令に署名しているあの人のことです。絶対君主の取り巻きである18世紀の王侯貴族たちは、現代のITテックの億万長者たちに相当し、彼らは、現代の絶対君主にひれ伏して軍門に下り、献金し、現代の絶対君主に好き勝手放題にさせているのではありませんか? まさしく幇助です。

 この文章は、人というものは、いつの時代も、絶対的な権力を握った人間になびくという、300年経っても変わらない人間の心因性を明らかにしているように私には読めます。モンテスキュー、畏るべしです。

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