数日前から牧久著「成田の乱 戸村一作の13年戦争」(日本経済新聞出版、2025年1月17日初版)を読み始めております。著者の牧さんは、「1941年(昭和16年)大分県生まれ」と公表されていますから、既に傘寿は過ぎ、米寿に近づこうとしています。そんな御高齢なのに、「えっ!? まだ本を出版されるとは!」といった素朴な疑問にまず駆られました。失礼ながら、いまだに血気盛ん、意気軒高です。牧氏は小柄で瘦せ型の人です。何処にそんなパワーとエネルギーが潜んでいるのか驚くほどです。
私は、「隠れ牧久ファン」として牧さんの(本の)追っかけをやっておりました。早い話が牧氏の著作のほとんどを読んでいるということです。きっかけは、2010年に出版された「特務機関長 許斐氏利」(ウエッジ)で著者インタビューをさせてもらったことでした。それ以来、親しくさせて頂き、おつな寿司セミナー(解散)の講師として講演してもらったり、ノンフィクション作家の山崎朋子さん(故人)と一緒に銀座で会食したりもしました。
定年後に一気に花開いたジャーナリスト
これまた公表されていますが、牧さんは華麗なる経歴の持ち主で、日本経済新聞社の副社長やテレビ大阪会長などを歴任してます。しかし、御本人としては「マスコミ経営者」になったことは不本意な面もあり、出来れば第一線の現場で取材してジャーナリストとしてずっと書き続けたかったというフシがあります。そこで、定年退職後、現役時代に書けなかったことを、一気にはき出すように次々と作品に転化していったと思われます。例えば、ベトナム特派員時代に体験したことが、「安南王国の夢」と「特務機関長 許斐氏利」に結実し、国鉄の記者クラブ「ときわクラブ」に配属された経験から、「不屈の春雷 十河信二とその時代」「昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実」「暴君 新左翼・松崎明に支配されたJR秘史」を生み出すきっかけになっております。また、著者は満洲問題にも深い関心があり、「満蒙開拓、夢はるかなり」や「転生 満州国皇帝・愛新覚羅家と天皇家の昭和」といった佳作も発表しています。
そこで、本書の「成田の乱」ですが、恐らく、成田国際空港の建設を巡る「三里塚闘争」がテーマではないのかと読む前に想像しましたが、「果たして、何で、牧さんと成田と関係があるのだろう?」と私は思ってしまいました。そして、読み始めてみたら、関係があるどころではなく、20代の若き牧さんが日経社会部の駆け出し記者として、最初から大きく深く関わった事件だったのでした。本書では、牧さん自身が60年近く前に書いた日経の記事まで何度も登場します。まさにルポルタージュです。そして、この本の「帯」に書かれているように「空港建設をめぐる戦後最大の騒乱は、まだ終わっていない。」のです。いまだに土地強制収用に反対する農民同盟は活動が続いているというのです。
三派全学連(中核派、社学同、社青同解放派)も参集して、何人もの死者まで出た三里塚闘争がピークだったのは、1970年代でした。個人的ながら、当時の私は高校生か大学生で、関心がなかったわけではありませんが、ニュースとして聞いたり読んだりしただけで、深く知ろうとさえしませんでした。左翼でも右翼でもなく、ノンポリといえば聞こえはいいですが、単なる音楽好きの、甘い、日和見主義の軟弱な青年に過ぎませんでした。だから、何も知らなかったというのが正直なところです。特に、中核派と革マルとの内ゲバ事件や仲間同士で殺し合った連合赤軍事件のニュースを目の当たりにしてからは、団塊世代の学生運動そのものに対して急激に醒めた目で見るようになりました。
ですから、この本には、私が全く知らなかった驚愕の事実が書かれています。同時代の事件なのに恥ずかしくなってくるぐらいです。
三里塚は御料牧場だった
まず、現在、当たり前のように利用している成田国際空港は、もともと何だったのか、ということです。空港反対同盟の参加者の大半が農民だったことから、農地だったことは間違いありませんが(ただし、本書の主人公である反対同盟委員長の戸村一作は地主ではなく、農機具販売の店主、事務局長の北原鉱治は呉服店主)、空港用地の4割の三里塚は、天皇家の農産物を生産し、軍用馬を飼育する「御料牧場」だったのです。ここは、明治の元勲大久保利通の発案でつくられ、野菜類はもとより、バター、チーズ、ベーコン、牛乳、それに羊から刈り取られた羊毛から織られた洋服生地まで生産されました。
御料牧場は宮内庁が管轄する国有地ということで(御料牧場は、後に三里塚から栃木県高根沢町に移転、現在に至る)、時の佐藤栄作政権が、成田なら空港用地を確保しやすいと見切り発車で閣議決定したことが、それから何十年も続く三里塚闘争の引き金になったことは間違いありません。
七三一部隊の影
そしてもう一つ、驚愕したことは、成田空港反対同盟には、三里塚だけでなく、騒音問題を抱える周辺の地域の農民も参加しましたが、後に空港公団に宅地・畑を売り渡して裏切ることになる反対同盟の瀬利誠副委員長の地元は、三里塚の南の芝山地区でした。ここは戦時中に満洲ハルビン郊外で細菌兵器開発や人体実験を行った「七三一部隊」の隊長石井四郎の出身地だったというのです。芝山地区の農民の多くは、この石井四郎の呼び掛けで満洲に渡って、軍属として七三一部隊で働き、副委員長の瀬利もその一人だったというのです。もう一人、反対同盟の故小川明治副委員長らが眠る天浪墓地を売り渡したことから、反対同盟の戸村一作委員長から「裏切り者のユダ」と名指しされた大竹ハナも、夫の金蔵とともに満洲に渡り、七三一部隊に関与していたといいます。著者の牧氏も「そうした”暗い過去”が裏切り行為に関係があるとは思わないが、私は何か不思議な因縁も感じずにはいられなかった」と書くほどです。(以下次回に続く)
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