先月、出版社の大洋図書から「”裏面史”から正史を読み解く本当の幕末維新」(2025年2月1日発行)なるムックが自宅に送られて来ました。
あれっ? 本屋さんで平積みになっていた本で面白そうな本でしたので、購入しようかと思っていた本でした。それにしても何で? と思ったところ、小さい字で「著・斎藤充功」とあったのです。「何だあ、ノンフィクション作家の斎藤充功先生が献本してくださったのか」と理解した次第です。
そう言えば、過日、斎藤先生と一緒に赤羽で呑んだ時、佐久間象山や間宮林蔵らの話が出てきて、近く出版される話まで聞いておりました。この本のことでしたか…。失礼致しました。
正史より裏面史を重要視するノンフィクション作家斎藤充功らしい内容でした。「フルベッキ群像写真」や「明治天皇盗撮事件」など一部は既に斎藤氏の著書で読んだことがありましたが、恐らく、歴史の教科書には載っていない、ほとんどの人が知らない幕末維新の「隠れた歴史」がこの本に網羅されていると思います。
奥羽越列藩同盟が擁立した東武皇帝の実像
「坂本龍馬 実行犯の”最有力候補”が語った『暗殺の供述書』」や「近藤勇 首はどこに消えたのか」等は、幕末維新ミステリーとしてかなり面白く読めますが、個人的に一番興味深かったのは、「『奥羽越列藩同盟』が擁立した東武皇帝の実像」でした。
江戸幕府を開いた徳川家康は、いずれ、西国の諸大名が謀って京都の天皇を担ぎ上げて、倒幕の旗を挙げるのではないか、と予想し、その対抗策として、別の皇族を天子に擁して京都朝廷と闘うという構想を大僧正天海とともに練っていたといいます。それが、江戸・上野の東叡山寛永寺の輪王寺宮です。天皇の皇子をまつり上げて、代々門跡を務めて戴くという格式の高い寺院を創建したのです。
それから260余年後、幕末の戊辰戦争の際、輪王寺宮の地位にあったのが、のちの北白川宮能久(きたしらからのみや・よしひこ)親王でした。1868年(慶応4年)6月20日、江戸の戦禍を逃れて仙台の白石城に入った輪王寺宮は、奥羽越列藩同盟の盟主として、陸運(むつとき)天皇を宣下し、東武皇帝として即位します。年号も「大政(たいせい)」と定めます。京都では、その直後に睦仁親王が明治天皇として即位しますから、南北朝時代ではなく、東西朝時代がほんの3カ月ほど成立したことになります。「えっ? そんなことあったの?」と半信半疑になりますが、「構想のみで、現実性はなかった」という異説があることを私は付記しておきます。
同年9月、会津藩が降伏して「東北戦争」は終結し、陸運天皇は退位し、蟄居しますが、明治3年(1870年)には伏見宮に復帰、陸軍に入って中将にまで進級し、明治28年(1895年)、台湾の近衛師団長として出征しましたが、戦地でマラリア(チフス説も)に罹り、皇族第1号の殉死者となりました。
このように、歴史の教科書では習わない裏面史が満載されて読み応え十分ですが、惜しむらくは、何カ所かで年号の「1868年」を「1968年」と誤記するなど気になる箇所が散見されました。話題の本として増刷されることでしょうから、その前にもう一度、編集部内で校正して訂正されたらいいと思いました。(この件に関しましては、版元さまには連絡済です。)
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