「今年の墓碑銘」は渡辺恒雄氏

読売新聞主筆の渡辺恒雄氏(1926~2024年) Wikimedia Commons 雑感
読売新聞主筆の渡辺恒雄氏(1926~2024年) Wikimedia Commons

 「年末回顧」ということで、新聞、雑誌、ラジオ、テレビなどの大手メディア(今ではオールドメディアと呼ぶらしいのですが)では、今年2024年に亡くなった著名人を振り返っています。

アラン・ドロン、西田敏行…

 私はかつて芸能記者をやったことがあるので、アラン・ドロンさん(88)、オリビア・ハッセ―さん(73)、西田敏行さん(76)、中山美穂さん(54)といった大物芸能人の訃報に衝撃を受けましたが、お一人だけ、「今年の墓碑銘」として挙げるとしましたら、ナベツネこと、読売新聞社主筆の渡辺恒雄氏です。行年98歳。全く関係ないのですが、大正15年生まれの小生の亡父と同い年でしたので、勝手ながら身近に感じておりました(苦笑)。

 ナベツネさんは、オールドメディアを代表し、象徴する人物であり、ちょうど、オールドメディアに代わってSNSが台頭する節目の年に亡くなったのも不思議な奇縁を感じます。

功罪のあるナベツネさん

 これまで、メディア等で散々取り上げられましたが、渡辺恒雄氏には功罪があります。最大の功労は、読売新聞という首都圏のローカル紙を全国一、いや1000万部という世界一の大新聞に育て上げたことでしょう。実質的には、この功績は渡辺氏だけではなく、元社長で「販売の神様」と呼ばれた務台光雄氏になるかもしれませんが、一躍を担ったことは確かです。

読売新聞は二流のローカル紙だった

 読売新聞は、明治創刊で尾崎紅葉の「金色夜叉」の連載で部数を伸ばした歴史のある新聞です。部数で全国一位になったことがありましたが、大衆的な「絵入り新聞」ということで「格下」に見られていました。もともと、首都圏の地方紙で、全国紙になったのは戦後のことです。大阪、九州と次々に進出していきます。私が新聞業界に入社した1980年の頃は東海地方に進出したばかりで、同地域では「中部読売新聞」と呼ばれていました(小説家の真山仁氏は中部読売新聞出身です)。当然、地元で勢力を張っていた中日新聞と衝突し、「ドンパチやっていた」という噂を聞いたものです。ドンパチというのは、販売店を寝返りさせるために、暴力団を使ったとか、新聞購読者に高価な景品を贈ったり、主催する展覧会や巨人戦の切符をタダで配ったりしたという噂です。

記者からフィクサーへ

 若きナベツネさんが第一線の政治部記者として活躍し始めた昭和20年代半ばは、まだまだ朝日新聞や毎日新聞に遅れを取った二流の新聞社扱いでした。だから、自民党の本派本流の吉田派や宏池会や田中派などは相手にしてくれなかったのです。仕方がないので、ナベツネさんが食い込んだのは、総裁になれなかった大野伴睦・自民党総務会長とか、弱小派閥だった中曾根派といった亜流でした。しかし、そこで、本領を発揮して、中曽根康弘氏を総理総裁に担ぎ上げるなど、ジャーナリストではなく、いわゆる政権中枢の中のプレイヤーになってしまうのです。

 大野伴睦が政治スキャンダルに見舞われ、読売新聞の社会部事件記者が大野邸に張り込んだところ、家の中からナベツネが出てきて、「先生はいないから帰れ、帰れ」と追い返してしまう逸話もあるくらいですからね。自分の会社の記者をですよ!権力を批判する側ではなく、完全に権力者側に入り込んでしまったわけです。1965年の日韓国交正常化を裏交渉でまとめて働いたのもナベツネさんで、これではまるで児玉誉士夫や田中清玄のようなフィクサーです。

 でも、政府要人も知らないようなスクープも連発しますから、読売新聞は一気にクォリティーペーパーに変身し、1000万部の大台に伸ばすことになるのです。

 その読売新聞も、若者の新聞離れとSNS隆盛とやらで、今や、部数は約530万部と全盛期の半分近くに落とし、読売巨人軍の人気も12球団のうちの一つに成り下がってしまいました。それどころか、スポーツ興行もプロ野球だけでなく、サッカーやラグビーやゴルフなどに分散化していきました。

主筆に拘った渡辺恒雄氏

 渡辺恒雄氏は、社長職、会長職は渋々?後輩に引き渡しましたが、最後まで「主筆」の肩書だけは手放すことはありませんでした。読売新聞社がまとめた憲法改正案を始め、「俺が社論だ」という態度は最後まで崩したくなかったのでしょう。

 しかし、時代的に、ネット社会となり、新聞の影響力も低下し、政治家も小粒化し、もうナベツネさんのような「独裁者」が力を発揮できる場がなくなったと言えるかもしれません。そういう意味でも、渡辺恒雄氏は時代を象徴する人物でした。意外と知られていませんが、彼はかなりの読書家で、先を読み込む勉強家でもありました。東京・大手町の超一等地にある本社ビルも国有地を安く払い下げてもらったもので、政界に食い込んだ渡辺恒雄氏の功績でした。

 もうこのような人物は現れないでしょう。

参考文献

 魚住昭著「渡辺恒雄 メディアと権力」(講談社文庫)

 御厨貴ほか著「渡辺恒雄回顧録」(中公文庫)

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