「ゾルゲ事件 80年目の真実」で私は転向しました

名越健郎著「ゾルゲ事件 80年目の真実」(文春新書) 書評
名越健郎著「ゾルゲ事件 80年目の真実」(文春新書)

 名越健郎著「ゾルゲ事件 80年目の真実」(文春新書)を読了して深く深く考えさせられました。この本は、機密解除資料を元にして書かれたミハイル・アレクセーエフ「あなたのラムゼイ」「あなたの忠実なラムゼイ」とアンドレイ・フェシュンの「ゾルゲ事件 電報と手紙(1930~1945年)」など最新資料を駆使して、世界史的視野で描かれたゾルゲ事件の真相で、恐らく、現在入手できる200冊以上の関連書の中でもトップ10に入ると思います。

日本嫌いのゾルゲ

 特に、ゾルゲがモスクワの赤軍参謀本部情報本部に送信された「生の原稿」が翻訳で読むことができ、ゾルゲの本心があからさまに分かるからです。はっきり言って、共産主義者のゾルゲ博士は、中国シンパで、日本が大嫌いだったということが分ります。例えば、1939年5~9月に起きたノモンハン事件に関して「日本軍がモンゴル国境で激しく打ちのめされたことはお世辞抜きで喜ばしい」(同年9月10日付)などと送電しています。これは、確かにスターリンに対するお世辞ではなく、ゾルゲ本人が、心底から抱いた喜びだったことでしょう。日本の敗北と滅亡を願っています。

 これを読んだ日本人は良い気がしませんね。

 ノモンハン事件については、最新の史料が盛り込まれています。私が学生時代に習ったノモンハン事件は日本軍が惨敗して圧倒的な武力を持つソ連の脅威を感じたことしか教えられませんでしたが、解禁された資料では、ソ連側の損害は戦死約9700人、負傷者約1万6000人で、日本側の戦死約8000人、負傷者8600人よりも多かったというのです。犠牲者の数だけでは判断できませんが、少なくとも日本軍の惨敗ではありません。互角かそれ以上の戦いです。

世界史的大事件の宝庫

 ゾルゲ国際諜報団の二大スクープは、「独ソ開戦警告」と「日本軍の南進」ですが、ゾルゲが活動した上海(1930~32年)と東京(1933~41年)滞在中は、変な言い方ですが、世界史的大事件の「宝庫」でした。逆に言いますと、「ゾルゲ事件なしでは近現代史は語れない」ということになります。

 満洲事変(1931年)、満洲国建国、独国会選挙でナチス党が第1党(32年)、米ローズベルト大統領、独ヒトラー首相就任(33年)、スターリンによる大粛清開始、中国共産軍の長征(34年)、スペイン内戦、二・二六事件、西安事件(36年)、盧溝橋事件、日独伊防共協定(37年)、張鼓峰事件(38年)、独ソ不可侵条約、第2次世界大戦勃発、ノモンハン事件(39年)、日独伊三国同盟(40年)、独ソ戦(41年)…等々です。

 ゾルゲ諜報団は1941年10月に全員逮捕されましたから、その2カ月後の真珠湾攻撃までカバー出来ませんでしたが、日米交渉が決裂するのではないかといった情報までつかんでいました。ゾルゲが信頼した最重要情報源は、ドイツのオイゲン・オット駐日大使と上海時代からの付き合いがあった元朝日新聞記者で近衛内閣の嘱託まで務めた尾崎秀実でした。御前会議の内容まで筒抜けです。ゾルゲは最高の極秘の機密情報を居ながらにして入手できたわけです。

 それでも、ゾルゲはクレムリンが派遣した多数の諜報員の一人に過ぎず、猜疑心の強いスターリンは、ゾルゲをドイツとの二重スパイと疑って情報を信頼していなかったといいます。

ゾルゲは二重スパイ?

 これから先は、「転向」した私の見解に過ぎませんが、ゾルゲは新聞記者を隠れ蓑にして在日ドイツ大使館の高官らと接近しましたが、一方的にドイツの機密情報を得ることは出来なかったと思います。ある程度、尾崎や宮城与徳らから得た日本側の情報、時にはソ連側の極秘情報を小出しに伝えて、ギブ&テイクの恰好で、情報交換していたのではないかと推測します。新聞記者経験者としての推測です。となると、ゾルゲがいくら共産主義とソ連軍に忠誠を誓っても、ドイツ側に機密情報が伝われば、結果的には二重スパイです。

尾崎は売国奴か?

 もう一つは、尾崎秀実に対する評価です。1944年11月に国防保安法、軍機保護法、治安維持法等違反で処刑されましたが、戦後、獄中の尾崎から妻と娘に宛てられた個人的なメッセージを収めた「愛情はふる星のごとく」が47年にベストセラーとなり、「軍国主義日本の最大の犠牲者」と再評価されました。

 その後、根っからの反共主義者として知られるGHQのウィロビー参謀第2部(G2)部長が、「ゾルゲを首魁とする赤色陰謀団は、世界スパイ史上空前の規模」とする「ウィロビー報告」を49年に発表し、「赤狩り」と冷戦下での情報戦に利用したため、尾崎に対する評価も「国賊」「売国奴」としてマイナスイメージが広がりました。

 しかし、62年からみすず書房から「現代史資料 ゾルゲ事件」(1~4巻)が公刊され、ゾルゲや尾崎らの検察による取り調べや手記などが明らかになると、また尾崎の評価も一変して、「世界平和を望んだ真の愛国者」と高まってきました。

 現在もその評価が多数を占めている感じですが、尾崎の高邁な精神は別にして、私はこの本を読んで、つまり、これまで知らなかった「80年目の真実」を知って、やはり、尾崎は結果的に、日本を憎む敵(ゾルゲやソ連赤軍参謀本部情報本部)に情報を売った売国奴だったのではないかと思いました。

尾崎、ゾルゲは英雄ではない

 先月開催された尾崎=ゾルゲ研究会による国際ワークショップの中で、「尾崎秀実はスパイではなかった」といった趣旨の発言をする人がいましたが、この本では、1940年11月に尾崎は200円受領していることが明かされています。当時の大卒初任給が約80円だったことから、当時の200円は今の60万円に相当します。命懸けのスパイ行為で月に60万円というのは少ないかもしれませんが、金銭を受領していたということは、誰が見てもプロのスパイです。大日本帝国を滅亡させかねない利敵行為を働いていたということになります。

 私は2006年ごろからゾルゲ事件を研究する日露歴史研究センター(白井久也・渡部富哉両代表=現在解散)の幹事会に参加(途中脱会)して、かなりの文献を読んできたつもりです。その根底には、「同じマスコミ記者として、あの当時自分が生まれていたら、恐らく、世界平和のために尾崎秀実と同じような行為をしていたことだろう」というシンパシーがあったからでした。しかし、金銭を貰って母国を窮地に貶めるような行為をしたとなれば別の話です。

 「お前は転向したのか」と言われようが、この本を読了して、私は日本人として、ゾルゲや尾崎らを英雄に祭り上げることは間違っていると思いました。戦争を遂行する為政者が利用しているだけです。

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