【身辺雑記】私のポンペイ最期の日

Jiji Press HQ, Ginza, Tokyo Wikimedia Commons 雑感
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 2024年9月27日(金)

 実に44年半も勤続した会社の最終出勤日。まさに「ポンペイ最期の日」です。職場の仲間たちからは惜しまれつつ別れを告げました。さよならだけが人生さ。

天下の素浪人

 10月1日(火)から天下の素浪人になるわけですが、会社の健康保険(年間約22万4000円)はあと2年間は継続して入会できるということで既に8月に前納しましたので、この日、特別に新しい保険証を発行してもらいました。当初は郵送すると言ってましたが、10月3日には早々病院に行く予定があったので、「江川みたいに『空白の一日』が生じたらどうしてくれるのですか」と恐喝したところ、渋々「特別ですよ」と言って発行してもらいました。ワルですが、保険証がないと、100%前納して、後で返金してもらうという実に面倒な手続きを取らなければならないので、心を鬼にしてワルに徹しました(苦笑)。

I君が行方不明

 夕方、中学時代の友人2人が「送別会」を開いてくれるというので、早々に仕事を切り上げて、御徒町の「吉池食堂」へ。既にM君が入り口前の待合席で待ってましたが、I君がまだ来ていません。「先にやっていよう」とM君と2人で入りましたが、I君はなかなか来ません。…結局、I君は最後まで姿を現しませんでした。I君とは半世紀以上の付き合いですが、連絡なしで約束を反故にしたことは一度もありません。考えられるのは、日にちを勘違いしたのか、事件や事故に巻き込まれたのか、緊急入院したのか、もしくは御高齢の彼の御母堂様が入院されたのか、いずれかですが、メールをしても電話しても通じないので心配しております。

苦い思い出しかない中学生時代

 M君とは10年ぶりぐらいの再会でしたので、積もる話で盛り上がりました。彼は中学生の時、生活指導の先生から散々殴られたことを初めて知りました。今なら暴行罪としてメディアにも取り上げられ大問題になりますが、半世紀以上昔は、教師の中には軍隊に行った者もいたでしょうし、教師による生徒に対する暴力も見過ごされていました。M君は大変な優等生ですから、ワルではありません。学級委員でしたから、他の生徒の悪さの責任を取らされたり、朝礼中に顔を動かしだけで、「生意気な態度」として鉄拳制裁されたりしたといいます。私自身は、担任の伊藤徳三郎先生が口やかましかったとはいえ、決して手を出すような教師ではなく、一度も殴られたことはなかったので、「そんなことあったの?」と驚いてしまいました。

 私も学級委員でしたが、担任の伊藤先生に対して、私はいつも反抗的な態度ばかり取っていたので、今さらながら申し訳ないと反省しています。中学生時代は子どもと大人の中間で、精神的に不安定で、頭の中にクモの巣が張っている感じでした。早熟だったのか、ニーチェのような変な虚無主義(ニヒリズム)に陥ってしまい、学業を放棄してワルの仲間に入って遊び惚け、当初、学年トップだった学業成績も100番以下に下がってしまった苦い思い出ばかりです。

1950年代の名作邦画

 M君は既に3年前に定年退職しており、この3年間は日本の古い名画のDVDををレンタルで500本も借りて来て観てきたといいます。黒澤明、小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男、衣笠貞之助、稲垣浩、木下恵介、今井正といった1950年代の邦画の全盛期の監督作品です。世界三大映画祭でグランプリを獲得した監督もいますから、まさに日本映画の黄金期で、奇跡の時代だったと言えるでしょう。

 私もこの時代の名作が大好きで結構見ているつもりでしたが、M君には敵いませんでした。彼もいっぱしの映画評論家になった感じで独自の映画論を展開していたので、彼に刺激を受けて私もまだ見ていない名画をこれから観てみようかと思いました。

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