【宗教】鎌倉仏教はなかった?

本郷和人、島田裕巳「鎌倉仏教のミカタ 定説と常識を覆す」(祥伝社新書、2024年4月10日初版) 書評
本郷和人、島田裕巳「鎌倉仏教のミカタ 定説と常識を覆す」(祥伝社新書、2024年4月10日初版)

 「な、な、何じゃあ、こりゃあ~」ー。思わず、大声で(心の中で)叫びながら読了しました。本郷和人、島田裕巳「鎌倉仏教のミカタ 定説と常識を覆す」(祥伝社新書、2024年4月10日初版)という本です。たまたま、久しぶりに出掛けた本屋さんで偶然見つけました。やはり、新聞やネット情報だけでは限界があります。本屋さんに行かなければなりませんね。本屋さんには宝物がいっぱいあります。

定説を引っ繰り返す

 この本は、実にとんでもない本です。「とんでもない本」と書くと、「トンデモ本」と一緒にされるので、正しく御説明しますと、副題にある通り、これまでの定説や常識をひっくり返した本だからです。まさに「コペルニクス的転回」です。コペルニクス的転回と書けば大袈裟に聞こえるかもしれませんが、目から鱗が落ちる話題が満載されています。

 何しろ、この本は、中世史が専門の本郷和人・東大史料編纂教授と宗教学者の島田裕巳氏との対談で成り立っています。お二人とも我が国で斯界の権威と言われ、多くのテレビ番組にも出演しているので御存知の方も多いでしょう。そのせいか、彼らがこれまでの定説を引っ繰り返しても、彼らの説を信じざるを得なくなります。人間、有名人には弱いからです(苦笑)。ただし、島田氏はオウム真理教を深く擁護したことから、批判されてメディア界から一時消えましたが、最近では「禊(みそぎ)」が済んだのか、新聞のインタビューに登場したり、何冊も何冊も旺盛に著作を発表したりしております。

 いずれにせよ、本郷氏に鎌倉時代を始め中世史を語らせたら、恐らく現存の学者で彼を凌ぐ人はそれほどいませんし、同様に、宗教史と教義を語らせたら、島田氏を凌ぐ現存の宗教学者はそれほど多くはいないことを認めざるを得ません。これを前提に話を進めると、両氏による定説を引っ繰り返す学説には、読者としては本当に引っ繰り返るしかありません。

 何しろ、島田氏によると、いきなり「鎌倉仏教はない。近代が生み出した幻想である」というのです。えっ!? そんなことはないでしょう。法然の浄土宗を始め、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗、道元の曹洞宗、栄西の臨済宗、日蓮の日蓮宗などがあったではありませんか!

 特に私自身は「鎌倉仏教」に大変興味があって、かなり系統的に勉強してきたつもりでした。運慶を始めとした写実的な仏教彫刻も大好きと言えば語弊がありますが、日本美術史上の最高峰だと思っています。また、法然の「選択本願念仏集」と親鸞の「教行信証」などを現代語訳とはいえ「読破」してきました。彼らの所縁の寺院も多く訪れました。特に、法然に関しては、これまで皇族や貴族のため、教義も「鎮護国家」のためだった仏教を、男女関係なく身分の低い庶民にも開放し、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽往生できるという思想を日本の歴史上初めて広めたことから、偉大な人物として尊敬してきました。

「選択本願念仏集」は弟子の思想?

 それが、島田氏によると、法然は文章を書くのは得意ではなく、彼の主著といわれる「選択本願念仏集」は弟子が3~4人分担して書いたというのです。となると、「選択本願念仏集」は法然の思想ではなく、弟子の思想だ、とまで島田氏は言うのです。「えっ?ちょっと待ってください」と私は心の中で叫んでしまいました。この渓流斎ブログを通して面識を得ることが出来た作家の村上春樹氏の従弟に当たる京都の青龍山安養寺(西山浄土宗)のご住職、村上純一氏はどう答えるか、真っ先に彼の顔が浮かびました。

 そして、親鸞の「教行信証」にしても、ほとんど経典の引用から成っており、親鸞自身が書いた部分は極めて少ないというのです。

 え~~、ですよ。そこまで言われると、まるで「偶像破壊」ですね。恐らく、信徒や門徒の方々は怒りに駆られるのではないでしょうか。

親鸞は経歴を盛った?

 親鸞に関して、もう少し付言すると、法然が弟子たちに「七箇条制誡」の署名を求めましたが、親鸞は、二日目に署名し、全体190人中87番目でした。その史実から法然による親鸞の評価は高くなく、むしろ低かったと本郷氏も島田氏も指摘しています。しかも、島田氏は、親鸞は自分自身の「経歴を盛った」説に同調しているようで、越後流罪について疑義をはさみ、流罪ではなく「難を避けるために、越後に行った可能性がある」としています。親鸞の流罪に関しては99%の研究者が認知しているので、これもまさにコペルニクス的転回の説です。

鎌倉仏教は近代が生み出した幻想?

 島田氏の「鎌倉仏教は近代が生み出した幻想」という根拠の中に、顕密体制論があります。これは、この鎌倉時代でも仏教の太い幹は天台宗、真言宗の密教にあり、鎌倉新仏教は枝葉に過ぎなかったというものです。しかも、社会的活動を旺盛にしたのは、鎌倉新仏教ではなく、東大寺再興で勧進を行った重源ら奈良の南都六宗の旧仏教の方だったというのです。

 「近代が生み出した幻想」というのは、明治になって欧米列強と肩を並べるために、宗派の開祖を英雄化して日本にも立派な思想や哲学があったとする必要があったというのです。この本には細かく書かれていませんが、特に、「元寇を予言した」日蓮は、昭和に入ると「国難を救う英雄」として大きな存在となり、田中智学の国柱会や満洲事変を立案した石原莞爾、血盟団事件の井上日召らに利用されたりします。

 島田氏は「鎌倉仏教の評価が高いのは、各宗派に属している人たちが開祖やそれに続く高僧を持ち上げてきたからだと思います」と発言しています。これが暴言ではなく、資料や史料に基づいた発言なので、私自身も「鎌倉仏教のミカタ」を少し変えなければいけないかな、と思ってしまうのです。とにかく、一読の価値がある本でした。

 

 

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