創建1200年記念特別展「神護寺 空海と真言密教のはじまり」
8月3日(土)、大変な酷暑の中、上野の東京国立博物館で開催中の創建1200年記念特別展「神護寺 空海と真言密教のはじまり」を観に行って参りました。
「熱中症アラート」がかかっているというのに、何故、わざわざ出掛けたのかと言いますと、あの国宝「伝源頼朝像」(鎌倉時代、13世紀、神護寺蔵)の展示が前期の8月14日で終わってしまうからでした。そう思って、実際、会場に足を運んで観てみると、「あれっ?どっかで観たことがあるような…」というデジャビュの感覚に襲われました。あの縦143センチ、横112.8センチという巨大な大きさですぐ思い出しました。
私は、京都の神社仏閣にはかなりお参りしているつもりですが、この高尾山神護寺には一度もお参りしたことはありません。となると…。なあんだ、昨年11月2日に東博で開催された「やまと絵」展で鑑賞していたのです。9カ月前ですが、すっかり忘れてしまっておりました。もう六時、いや耄碌爺さんです。
そして、神護寺といえば、空海が創建した真言宗の寺院だと思っておりましたが、和気清麻呂が建立した高雄山寺と神願寺が一つとなり、空海によって密教寺院として神護国祚真言寺(神護寺)が誕生したといいます。ですから、境内には和気清麻呂の廟もあるようです。和気清麻呂(733~799年)は、称徳天皇の典侍(ないしのすけ)として活躍した和気広虫(730~799年)の実弟で、道鏡事件で左遷されますが、道鏡失脚後、返り咲き、桓武天皇の下で従三位(公卿)まで昇り詰めます。「忠臣」として祭り上げられた戦前から戦後にかけて十円札紙幣の肖像画に採用された人です。典侍は、天皇の側近の女官のことで、薬子の乱以降、嵯峨天皇が、側近の典侍の女官を廃して男性官僚に代えて、蔵人にしました。
話が少し横道に逸れましたが、神護寺展では、「空海の寺」として、「1200年の至宝が集結した」という触れ込み通り、様々な国宝・重文の至宝が展示されていました。空海が唐から持ち帰った品目一覧の最澄筆「御請来目録」や空海筆「灌頂暦名(かんじょうれきみょう)」、それに金剛密教法具(金剛盤、五鈷杵、五鈷鈴)などの国宝、約230年ぶりの修理、公開された国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」などもありましたが、私が何と言っても感動したのは、この特別展の「顔」になっている神護寺の御本尊の国宝「薬師如来立像」(平安時代、8~9世紀)でした。脇侍に日光・月光菩薩も展示され、本来ですと伺うことが出来ない背面辺りも鑑賞することが出来ました。
これまた特別展のパンフレットの文句ですが、「空海も見つめたご本尊」「日本彫刻史上の最高傑作、寺外初公開のご本尊」となっています。その通りでした。本当に拝み奉るだけで心が洗われます。密教で御本尊が薬師如来というのは珍しいのではないでしょうか。病気を薬で治してくださる仏様ですから、左手に薬壺をお持ちになっています。ありがたや、ありがたやです。私は何度も何度も色んな角度から拝顔しまたから、通常展覧会を見るのに1時間も掛からないのに、今回は2巡して、1時間半も粘ってしまいました。
その一方で、御本尊様まであらゆる宝物を京都から東京に運んでしまって大丈夫かな、と心配になりました。恐らく、京都の神護寺の参拝は特別展期間中(7月17日~9月8日)は中止されているのかもしれませんね。
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