紫式部と藤原道長の意外な関係

倉本一宏著「紫式部と藤原道長」(講談社現代新書、2023年9月20日初版) 書評
倉本一宏著「紫式部と藤原道長」(講談社現代新書、2023年9月20日初版)

 NHK大河ドラマはいまだに世間の皆様方に影響力があります。今年(2024年)の大河ドラマは「光る君へ」(脚本大石静)で、「源氏物語」を書いた平安時代の紫式部が主人公になっていますが、登場する人物関係が複雑で、どうしても「参考文献」が読みたくなります。

 その最も手頃な本が、このドラマの時代考証も務めている倉本一宏・日文研教授による「紫式部と藤原道長」(講談社現代新書、2023年9月20日初版)かもしれません。最近やっと手に入ったので昨日から読み始めています。

 いやあ実に面白いですね。ドラマを欠かさず見ているせいか、人物が生き生きとしてきます。ドラマでは史実とは違うことをかなり脚色して、つまりフィクションとして書かれている部分もありますが、登場人物は、歴史上の人物として「本名」として登場します。そして、この本を読むと、「長徳の変」など概ね史実に沿ってドラマ化されていることも分かります。

 ただし、主人公の紫式部は、詳しい履歴が残っておらず、本名すら分からないといいます。ですから、ドラマ上で名乗っている「まひろ」は、大石静さんの創作ということになります。そもそも、「紫式部」自体も後世に付けられた通称で、あくまでも本名は不明です。紫式部の同時代人である藤原実資の日記「小右記」という一次資料に「藤原為時の女(むすめ)」として登場するので、その実在性が確認されるに過ぎないというのです。こんなんで驚いてはいけません。「枕草子」の清少納言に至っては、倉本氏は「実在したかどうかは百パーセント確実とは言えない」とまで言うのです。清少納言と交流のあった藤原行成の「権記(ごんき)」を始めとする一次資料に全く名前が見えないからだそうです。

 ま、千年も前の昔のことですから、仕方ないかもしれません。皇族や上流貴族でしたら、女性でも名前が残っていますが、紫式部や清少納言のような中流・下級貴族の娘ともなると本名が残ることは稀だったからです。(でも、紫式部の娘の名前賢子は残っています。文筆家の娘だからでしょう。)

 この本では、タイトル通り、紫式部と藤原道長のことが書かれています。「そのまんまやんけ!」と突っ込みたくなりますが、史料が少ないことから、ある程度「推理小説」のような書き方をしているところが、逆に読み応えになっています。藤原道長の住まいがあった「土御門邸」(京都市上京区)と藤原為時とその女、つまり紫式部が住んでいた所で、現在「廬山寺」(京都市上京区)がある場所とは本当に目と鼻の先というぐらい、それほど近い距離にありますが、二人の身分があまりにも違うことから、著者の倉本氏は、恐らく、二人は子どもの頃は会っていなかっただろうと推測しています。

 紫式部は長じて、道長の娘で一条天皇の中宮になった彰子の女房「藤式部」として土御門邸に通いますから、当然のことながら、この際に、紫式部は道長との面識を得ただけではなく、「源氏物語」を書くために、当時、相当高価だった紙の手配までしてくれたのは、この最高権力者だった道長だったはず、と倉本氏は推測しています。つまり、道長は「源氏物語」のプロデューサーだったわけです。もっとも、「源氏物語」が最初に書かれた時期は、紫式部が夫の藤原宣孝を亡くした後で、まだ宮仕えする前だという説を倉本氏は取っているので、道長の命令で紫式部が「源氏物語」を書き始めたわけではないと推測しています。事前の評判を聞いて、道長が紫式部を彰子の女房に採用したという順番です。

 そんなこんなで、この本が推理小説のように読めるというのは、あながち間違っていないと私は思っています。

 読了後の記事は、以下の通りです。

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