歌川広重はシュルレアリストだった?

歌川広重「東海道五十三次 箱根 湖水図」(Wikimedia commons) 歴史
歌川広重「東海道五十三次 箱根 湖水図」(Wikimedia commons)

 先日、NHKで放送された「歴史探偵 江戸の大ヒットメーカー 歌川広重」は面白かったなあ。

 「コペルニクス的転回」と言えば大袈裟ですが、「え~、そうだったのお~!?」と思わず叫びたくなる場面が続出したからです。

 まず、歌川広重(1797~1858年)の代表作「東海道五十三次」です。私は子どもの頃、永谷園のお茶漬けの付録というかおまけに付いていたので馴染みがありましたが、あまりにも当たり前過ぎて、深く研究することすら思いも付きませんでした(笑)。当時も今も、あの浮世絵は広重が自ら現場に行って「写生」したものだとずっと思っていました。ところが、ところが、です。番組でかなり詳しく解明しておりましたが、結構、デフォルメしたり、シュルレアリストのように、あり得ない場面も想像して描いたりしていたのです。

 例えば、上の写真の「箱根 湖水図」です。現在のそれらしき現場に行ってみると、真ん中の断崖絶壁の箱根の「山」は存在していなかったのです。つまり、広重がわざと「創作」して描いていたのです。「そんなことしていいの?フェイクじゃないの?」と現代人なら言い出しそうですが、江戸時代人ならいいんです。これだけ、箱根の山は険峻だということを暗示してくれて、しんどい旅人の心を見事に反映してくれている、というわけです。

 今の静岡県の蒲原(かんばら)の「夜之雪」も五十三次の中でも結構有名ですが、実は実は、蒲原は温暖の地域なので、滅多に雪が降らないというのです。年に1~2回、少しだけ降るかどうかということなので、このような大雪が降るような場面はあり得ないのです。

 あり得ないということは、想像して描いたということになります。

歌川広重「東海道五十三次之内 蒲原 夜之雪」(Wikimedia commons)
歌川広重「東海道五十三次之内 蒲原 夜之雪」(Wikimedia commons)

  まあ、広重先生の「遊び心」ということで、洒落の分かる江戸の庶民も許したことでしょう。このシリーズが、当時としては破格の50万枚も売れたということで分かります。

 もう一つ、大津の「走井茶屋」があります。滋賀県大津市と言えば、名所は当然ながら琵琶湖のはずです。広重先生はわざとその題材を避けて、名物「走井餅」(明和元年1764年創業)を取り上げているのです。まるで、旅行ガイドか、グルメガイドになっていたのです。

歌川広重「東海道五十三次之内 大津 走井茶屋」(Wikimedia commons)
歌川広重「東海道五十三次之内 大津 走井茶屋」(Wikimedia commons)

 このほか、広重の代表作として、晩年の安政3年(1856年)から手掛けた遺作に「江戸名所百景」があります。その半年前の安政2年に「安政の大地震」が起こり、災害の復興を祈念してこれまた直接写生してそのまま表現したわけではなく、記憶と想像も加味して描かれたという事実には驚かされました。

 そのせいか、構図が大胆で、大きな亀や鯉のぼりなどが描かれたり、鳥瞰図か俯瞰図のような描き方もあるのです。また、「江戸名所百景」となっていますが、当時の江戸市中ではない、現在の埼玉県の川口市や千葉県の浦安市まで登場しているのです。それは、江戸庶民の生活に密接に関係があったので、江戸っ子なら誰でも知っている地名だったからです。

 千葉県の浦安市は現在、東京ディズニーランドがある所として世界的にも有名ですが、もう既に、江戸時代からよく知られた湊町(漁港)でもありました。当時の地名は「猫実(ねこざね)」でした。

歌川広重「名所江戸百景 猫実」(Wikimedia commons)
歌川広重「名所江戸百景 猫実」(Wikimedia commons)

 江戸っ子は寿司が大好きでしたが、この猫実で捕れた小鰭(こはだ)がえらい評判だったそうです。それで、広重先生も猫実を「江戸名所」に取り上げたのかもしれません。

 猫実村は江戸時代、天領で、明治になって堀江村と当代島村と3村が合併して浦安村となりますから、猫実は江戸の一部の意識が強かったのでしょうね。今でも、浦安市民は、東京ディズニーランドがあることから、東京都民の意識が強いのかもしれません(笑)。そうなんですか、吟さん?

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