麻田雅文著「日ソ戦争」を読み終わりました

麻田雅文著「日ソ戦争」(中公新書) 書評
麻田雅文著「日ソ戦争」(中公新書)

 麻田雅文著「日ソ戦争 帝国日本最後の戦い」(中公新書、2024年4月25日初版)をやっと読み終わりました。文章や内容が難しかったわけではありません。読むのに時間が掛かってしまったのは、ヤルタ協定の密約とはいえ、日ソ中立条約を一方的に破棄して侵略したソ連軍による蛮行があまりにも凄まじくて、何度もため息をついてしまったからでした。「巻を措く能わず」ではなく、全くその逆に、気分が重くなって、何度も巻を措いてしまったからでした。

 渓流斎ブログの6月20日付の記事でも一度取り上げましたが、この本はかなりの力作で、いずれ、「新書大賞」か「サントリー学芸賞」でも獲るのではないかという予想は、読後も変わりありません。

公的慰霊行事の実現を

 著者は「あとがき」の中で、「沖縄・広島・長崎と違って、日ソ戦争には国が主催する公的な個別の慰霊行事もない。いまは夢物語だが、…古戦場で日本政府や天皇・皇族による慰霊が実現する日が来ることを願いたい」と書いております。私も大賛成ですが、いまだにそれが実現していないのは、これまで「日ソ戦争」が独立してまとめて深く研究されたことが少なく、教科書でも周知されることがなかったことが原因の一つではないかと私は思います。

 しかし、本書によって、日ソ戦争が広く一般国民にも周知されて、公的慰霊行事の実現に繋がればと私は思っています。

 日ソ戦争は、1945年8月9日、ソ連による満洲侵攻に始まり、終戦の8月15日以降も続き(最後の武装解除が歯舞群島での9月7日)、その犠牲者の正確な数は未だに不明というのが事実のようです。敗戦国日本の大混乱と、秘密主義のソ連=ロシアという国家の性格によって正確な統計が明らかにされていないことが原因ですが、熱心な研究者による研究では以下の数字が明らかになっています。

 まず、日ソ戦争に参加した兵士は、ソ連軍が約185万人で、日本軍は約100万人。この数字だけでも、かなり大規模な大戦争です。戦地は満洲だけではなく、朝鮮半島(特に北朝鮮)、樺太、それに千島列島(占守島から国後島に至る主要25島から成る群島)とかなり広範囲に渡っています。戦死傷者は、ソ連側は3万6456人(うち戦死者、行方不明者は1万2031人)=ソ連崩壊後明らかになった統計=で、日本側は、ソ連側の発表では6万5000人以上(著者は「大雑把で疑わしい」と書いています)、日本側(厚生省援護局)は、統計の取り方に問題がありながら3万人以上となっています。

民間人に対する略奪、殺人、性暴力

 これらの数字は、軍人・軍属の数です。それ以外として、ソ連人の民間人の死傷者はゼロだったのに対し、日本人の民間人は約24万5000人が命を落としたといいます。この数字こそ特筆するべきですが、単なる数字で終わらせてはいけません。21世紀の戦争も同じですが、最も多く犠牲になるのが民間人なのです。

 本書では広範囲に渡った日ソ戦争を全て網羅しています。私もこれまで満洲関係の書籍はかなり読んできましたが、本書では、しっかり「葛根廟事件」までも隈無く目配りして触れておりました。また、私自身、それほど詳しくなかった北朝鮮や樺太や千島列島での激戦もしっかり記述されております。

 特に読むに耐えなかったのは、ソ連軍兵士による日本の民間人の射殺や略奪や性暴力、はっきり書いて強姦です。そして、集団自決です。満洲や沖縄だけでなく、当時日本の領地だった樺太でも集団自決があったことは、今の人はほとんど知らないことしょう。だから、若い学者が「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」などと発言して物議を醸したりするのです。集団自決の実態を知らなくても、こういった歴史書を読んで、ほんの少しだけ想像することが出来れば、軽薄に「集団自決」という言葉を持ち出すことさえ出来ないと思います。

 満洲の首都新京(現長春)のラジオ放送局に勤め、後に俳優になった森繁久弥も回顧本を残しています。

向かいのご主人が大きな拳銃で頭を撃たれて死にました。隣りの乳飲み子が足を掴まれぐるぐる振り回された挙げ句、壁に投げつけられて、この世のいいことを一つも知らず死んだのです。みんな非戦闘員、一般の市民です。

森繁久弥「生きていりゃこそ」

 戦争は狂気を呼びますが、このような蛮行を平気でしでかしたソ連軍兵士の中には算数の掛け算や割り算も出来ず、ロシア語さえまともに書けない者もいたようです。

日露戦争の復讐

 本書を読むと、日ソ戦争に限り、日本側の自衛戦争であるという歴史的解釈は正しいと思います。何しろ、日ソ中立条約の有効期間中であり、日本の大本営はソ連を仲介に英米と講和を締結しようとし、最後までその望みを捨てていなかったからです。ということは、多大な責任を持つべき人物は、ヤルタに集まって秘密協定(1945年2月11日)を結んだソ連のスターリン(66)と英国のチャーチル(70)と米国のローズベルト(63)です。

 特にスターリンは、「40年前の日露戦争の復讐」をスローガンにして、割り算も掛け算も出来ない兵士を鼓舞して略奪や強姦や民間人の虐殺まで黙認し、樺太や千島列島だけでなく、北海道の北部(留萌と釧路を結んだ北半分)まで占領しようとしていたとは驚くばかりです(広島と長崎に原爆を投下させたトルーマン米大統領[61]によってその目論見は拒否されましたが)。

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