森コンツェルンの総帥森矗昶のこと

森矗昶(Wikimedia Commons) 歴史
森矗昶(Wikimedia Commons)

 森コンツェルンといえば、六本木ヒルズや虎ノ門ヒルズなど都心の超一等地を開発した大手デベロッパーである森ビルのことを指すと思う人が大半だと思われます。

 でも、少なくとも昭和時代までは、森コンツェルンといえば、昭和電工などを創業した森矗昶(もり・のぶてる、1884~ 1941年、56歳没)が一代で築き上げた新興財閥のことを指していました。その代表企業は昭和電工(現レゾナック)、日本冶金工業、東信電気(現東京電力)などですが、全盛期の1941年頃は直系14社、傍系6社を擁する化学工業の一大コンツェルンでした。

 そういう私も、このことは不勉強にして知りませんでした。第一、森矗昶の漢字が難しすぎて読めない!(苦笑)。昭和時代なら、森矗昶といえば、立志伝中の人物として有名でしたが、今ではすっかり忘れ去られてしまったと言ってもいいかもしれません。でも、この人、なかなかの人物なのです。

 森矗昶は1884年(明治17年)、千葉県興津(おきつ、現勝浦市)の網元の長男として生まれました。1908年、海藻からヨード(ヨウ素)を抽出する会社「総房水産」を父為吉と、後に千葉県議会議長など歴任する安西直一と設立し、同じくヨウ素の抽出事業を進めていた「味の素」の鈴木三郎助、忠治兄弟と手を組んで化学工業を興します。その流れで、21年には森興業を設立し、この会社を発展させて、26年には日本沃度を、28年には昭和肥料(社長は鈴木三郎助、専務が森矗昶)を設立します。31年には日本沃度から改称された日本電工が国産アルミニウム生産に成功したことから、39年に昭和肥料と日本電工が合併して昭和電工設立に至ります。

巧みな政略結婚

 さて、ここからが本題です(笑)。森矗昶がこの巨大のコンツェルン事業の舵取りの自分の後継者として目を付けたのが、長男暁と、総房水産設立の際、父為吉の共同経営者だった安西直一の二男正夫でした。京都帝大卒の長男暁は、矗昶没後の41年に昭和電工社長に就任し、衆院議員を2期務めたりします。その一方、東京帝大を出た安西正夫には長女満江を嫁がせて縁戚関係を作ります。戦後、森一族が公職追放されていた間、新進経営者たちが昭和電工に乗り込みますが、戦後二大疑獄の一つと言われる「昭和電工事件」を彼らが起こしたお蔭で、森一族が昭和電工に復帰する事が出来て、安西正夫が社長に就任するわけです。

 森矗昶の凄さは、その実業家としての手腕だけでなく、森一族を超一流の上流階級に登り詰めるために、巧みな縁戚、閨閥関係を築いたことです。戦国時代で有名ないわゆる「政略結婚」みたいなものです。事業のパートナーだった安西一族も、森一族の上をいくかのように、上皇后美智子陛下の正田家や財閥住友家などと縁戚関係を構築しております(安西正夫の長男孝之が美智子陛下の妹恵美子氏と結婚)が、ここでは森矗昶の子息女のことに絞ります。

 その前に、森矗昶は大の政治好きで、1923年千葉三区から衆議院に当選(41歳)して以来、32年まで、4回も衆院選に出馬して4選しています。そのせいか、政治家との縁戚も多いのです。先述したように、長男暁は昭和電工の社長を継ぎますが、衆院議員にも再選して事業家と政治家の二足のわらじを履く時期がありました。京大地質鉱物学科出身の二男清が、実業に専念するようになった実兄暁の地盤を引き継いで、衆院6選、1966年の第一次佐藤内閣の総務長官に任命されましたが、68年に52歳で急逝。その後釜を継いだのが四男美秀で衆院当選7回、85年に第2次中曽根内閣の環境庁長官で初入閣するも88年に68歳で死去。目下、地盤は、美秀の長男英介が引き継ぎ、衆院11期、2008年、麻生内閣の法務相を歴任するなど現在に至っています。

三木武夫元首相とも縁戚関係に

 森矗昶の息女に関しては、長女満江が昭和電工社長になる安西正夫に嫁いだことは先述しましたが、二女の睦子は元首相の三木武夫に嫁いでいます。あの有名な三木睦子さんは、森矗昶の娘だったのです。三女三重子は、日本冶金工業常務を務めることになる松崎正臣に嫁ぎましたが、死別(2人の長男松崎正策の妻は、五島昇東急社長の義兄で、民社党の長老曽祢益の三女栄代)。三重子は、その後、三重県知事を五選した田中覚と再婚します。

 このように、実業界より政界との結びつきを強めた森一族は、地元勝浦市で経営していたフラミンゴで有名な遊園地「行川アイランド」が閉園に追い込まれたり、中核企業の日本冶金の業績も振るわなかったりするなど、事業の生彩さが失われます。森コンツェルンの面影はほとんど消滅してしまい、現在に至るわけです。

 ということで、もう森矗昶のことなど、今の人は誰も知らないだろうなあ、と思って、色々とネットで検索していましたら、世の中には大変なマニアックな方がいらっしゃいまして、森矗昶と皇室を離れた小室眞子さんとの顔がよく似ていると主張される方もおられ、吃驚してしまいました。森矗昶の孫に当たる安西孝之氏が美智子上皇后の妹恵美子さん(旧姓正田)と結婚しただけで、美智子上皇后の孫に当たる小室真子さんと森矗昶とは血縁関係はありません。それなのに、眞子さんと森矗昶の顔が少し似ていたので度肝を抜かれてしまったわけです(表紙写真参照)。そして、なお驚くべき事に、森矗昶の孫安西孝之氏が結婚した美智子上皇后の妹恵美子さんの若き頃のお姿が、眞子さんの妹である秋篠宮家の佳子さまとそっくりなのです。

 いずれにせよ、日本人は系図やら政略結婚が大好きで、令和の時代になっても、政財官界のトップと皇族、旧華族同士で、そんな政略結婚が続いているのです。こんなネットのガサネタではなく、正統な歴史学者さんには、近現代の政財官界の縁戚関係を調査研究してもらいたいと思いました。平安時代の藤原一族の政争や、戦国時代の武将同士の政略結婚を調べる同じ手法で良いのです。本は購入しますから、財閥に詳しい先生方、宜しく御願い申し上げます。

【参考出典】

・レゾナック(旧昭和電工)ホームページ

佐藤朝泰著「閨閥 日本のニュー・エスタブリッシュメント」(立風書房、1987年4月10日初版=絶版)

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