今年2月に発表されたSUUMO(リクルート)住みたい街ランキング2024 首都圏版で1位は、7年連続横浜ということで、これは誰でも納得、納得です。が、2位に何と、埼玉県の大宮が浮上したというのです。一昨年、昨年2位だった東京都武蔵野市の吉祥寺は、3位にランクダウンし、今年初めてTOP2を東京都以外の駅が占める結果となったことで話題になりました。
何で少し古いニュースを出してきたのかと言いますと、何でなのか?と我ながら色々と考えていたからでした(笑)。そこで自分なりに考え抜いた分析結果をご披露することに致しましょう。
利便性を重視
まず、「住みたい街」ということですから、利便性が重視されるということでしょう。その点、1885年(明治18年)開業の大宮駅は、現在JR、私鉄合わせて14の路線が乗り入れ、東京駅(22路線)に次ぎ全国2位のターミナル駅だということです。東北、信越など新幹線も止まります。まさに「北の玄関」は、上野ではなく今や大宮です。また、大宮から東京までJRで31~40分ですから通勤圏です。
買い物にも便利です。大宮駅近くにはそごう、高島屋、ルミネなど大型百貨店があり、東京に行かなくても何でも揃います。映画館やコンサートホール(ソニックシティ)もあり、駅近くには安い居酒屋が軒を連ね、怪しげな歓楽街になっている所もあります。また、サッカーJリーグの大宮アルディージャ(現在J3)の本拠地「NACK5スタジアム大宮」もあります。殿方の大好きな大宮競輪場もその隣りにあります。
2500年前創建の氷川神社
でも、何と言っても、大宮は、「武蔵一宮 氷川神社」のある神社の街であるということです。武蔵一宮とは武蔵国(埼玉、東京、神奈川)でナンバーワンの格式と由緒がある神社だということです。由緒については、氷川神社のホームページ(HP)からそのまま引用させて頂きますと以下の通りです。
氷川神社は、社記によると今から凡そ二千有余年第五代孝昭天皇の御代3年4月未の日の御創立と伝えられます。第十二代景行天皇の御代、日本武尊は東夷鎮定の祈願をなされたと伝わっております。第十三代成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝廷の命により武蔵国造となって当社を奉崇し、善政を敷かれてから益々当社の神威は輝き格式を高めたと伝わります。第四十五代聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、第六十代醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預かり、又臨時祭にも奉幣に預かる等、歴朝の崇敬を殊の外厚く受けてまいりました。武家時代になっても、鎌倉・足利・北条・徳川氏等相次いで当社を尊仰し、社殿の再建や造営を行っております。
氷川神社のHPより
何と、およそ2500年前に創建されているのです。こりゃ凄い。これが事実ならまだ縄文時代です。大宮の隣りの浦和という地名から推測されるように、縄文時代はこの辺りは海だったと言われています。が、「大宮浦和台地」と言われているように、氷川神社が鎮座する大宮から浦和辺りまでギリギリ陸地だったのです。古代から、神社というものは高い台地を選んで創建されるという基本と伝承が証明されたようなものです。
中山道4番目の宿場町
話は飛びますが、大宮は近世の江戸時代になって中山道の宿場町として開かれ、参拝客も多く訪れたといいます。大宮は、中山道の日本橋、板橋、蕨、浦和に続く4番目の宿場町です。
大宮公園ゆかりの文学者たち
明治になって氷川神社の広大な敷地に氷川公園(現大宮公園)が整備されます。明治18年(1885年)のことです。ただし、公園の維持管理費がかさばり、その調達が難しくなったため、公園の大部分が旅館や料理屋、園芸業者らに貸し出されることになりました。そのお蔭で、公園は東京から気軽に行ける行楽地として発展し、多くの文人墨客も訪れたというのです。
その代表が夏目漱石であり、その友人の正岡子規であり、森鴎外であり、永井荷風でもあります。意外と知られていないのは、昭和になって、太宰治が代表作「人間失格」(1948年)を完成させたのが、知人から借りていた大宮公園近くの民家だったのです。
まあ、そんな歴史と文化のある街ですから、また、教養がある現代人にも注目されるようになったのでしょう。「大宮公園ゆかりの文学者たち」については、さいたま市図書館が立派なホームページを製作しておりますので、そちらをご参照ください。
表紙写真は、「氷川神社 一の鳥居」ですが、ここから本殿まで約2キロの参道が通っており、市民の散歩コースにもなっています。東京・明治神宮の表参道とは規模といい、人数といい、比べものにはなりませんが、駅前の喧噪から離れてゆっくり散策でき、沿道にはパティスリーやイタリアンなどしゃれた店も見付けることができます。
もし地震が来たら
と、ここまでは誰もが思いつく大宮が人気になった理由です。私はそれ以上考えました(笑)。やはり、一般サラリーマンにしても、官僚さん、職人さんにしても、生活者として一番考えるのは子どもの教育です。幸いなことに、県内でトップクラスの県立大宮高校があります。
もう一つは地震の心配です。100年前の関東大震災では東京の下町や横浜では甚大な被害がもたらされました。埼玉県は海がないので、東京のウォーターフロントの高層マンションなどしゃれたものはありませんが、大宮台地ということで地盤がしっかりしており、比較的安全です。関東大震災で被災した東京市内の植木業者が大宮に移転して「盆栽村」をつくったぐらいですからね。
その辺りが隠れた人気の秘密なのではないでしょうか。でも、ちょっと大宮のことを褒め過ぎたかもしれませんね。
【追記】 川鍋秋蔵
大宮出身の立志伝中の人物として、「日本のタクシー王」とも「日本のハイヤー王」と呼ばれた日本交通の創業者川鍋秋蔵(1899~1983年)がおります。えっ?知らない? へ~私も知りませんでした。川鍋秋蔵は、正確には、埼玉県北足立郡宮原村(後の大宮市~現さいたま市北区宮原町)出身です。農業川鍋熊太郎の三男として生まれ、鉄道省立鉄道工業学校卒業後、技手として大宮工場で働いていましたが、20歳で上京して梁瀬自動車商会に運転手として入社、後に川崎重工業社長の松方幸次郎(西洋美術の「松方コレクション」で有名)のお抱え運転手になります。川鍋は、松方との出会いで発奮して29歳で独立し、1928年に1台のハイヤーで営業を開始し、翌年、銀座・木挽町に川鍋自動車商会をスタートさせます。その10年後には車両360台を所有する経営者にのし上がります。その後、日本交通、日本農林ヘリコプター、日英自動車、安全石油などの社長を兼ねて、この間、郷里の大宮市議会議長や大宮商工会議所会頭なども歴任します。(出典:佐藤朝泰著「閨閥」立風書房)
現在、日本交通の所有車両は、ハイヤー1631台、タクシー7730台と日本最大。従業員数は1万1246人、売上高は1193億円(日本交通のホームページ)。
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