第58回諜報研究会「検察・警察官界元キャリアによる日本を囲むインテリジェンス界の解剖」

第58回諜報研究会のご案内 歴史
第58回諜報研究会のご案内

 5月18日(土)、東京・早稲田大学で開催された第58回諜報研究会に参加して来ました。今回はお二人の専門家(日大の教授と元教授)が登壇されましたが、お一人は京都地検の検事正まで務めた元々検事の方。もう一人は、埼玉県警本部長を歴任するなど警察庁の高級官僚出身という異色の経歴です。私自身、報告内容について、ほとんど知らないことばかりでしたので、本流本派のアカデミズムとは少し違った現場(裁判、事件)で培った緻密な研究手法には終始圧倒されました。何しろ事前に用意された資料が、元警察庁の方が実に91枚、元検事の方は41枚という膨大な量です。普通、数枚ですから、新記録です。会場ではこれらの資料を全てプリントしてお持ちになった人は殆どおりませんでしたが。

NSAとUKUSAシギント同盟

 最初に登壇されたのは、茂田インテリジェンス研究室主宰で元日本大学危機管理学部教授の茂田忠良氏で、演題は「NSAとUKUSAシギント同盟」でした。茂田氏は警察庁出身で、内閣官房内閣衛星情報センター次長なども務めていたので、インテリジェンス研究の専門家に進まれたのも、当然の成り行きだったのでしょう。このほど、江崎道朗麗澤大客員教授との共著で「シギント 最強のインテリジェンス」(2024年4月1日初版、ワニブックス)を出版され、この本を中心に報告されていました。

 もう既に、NSAだのシギントといった専門用語が出て来ましたので、普通の人は何の話か分からないでしょう。私自身も今回初めて聴く話が多かったので、大雑把なご説明しか出来ませんが、まず、インテリジェンスの諜報活動には、

・ヒューミントHuman intelligence(人的諜報)

・シギントSignals intelligence(信号諜報)

・イミントImagery intelligence(画像諜報)

・マシントMeasurement and Signatures intelligence(計測・特徴諜報)などがあります。

 茂田氏はあまり触れませんでしたが、このほかに、

・オシントOpen source intelligence(公開情報諜報)があります。

 新聞や雑誌、書籍、ラジオ、テレビに加え、ネット情報がソースになります。ウィキペディアの「諜報活動」には、「各国の情報機関は、諜報活動の9割以上はオシントに当てられるとされる」と書かれているので、私もそう信じていたのですが、茂田氏は、2023年3月、米マサチューセッツ州の空軍州兵のジャック・テシェイラ容疑者による漏洩情報で、7割がシギント情報だということが分かったというのです。つまり、国家機関による諜報活動の大半はシギントだというわけです。

 そこで、シギントとは何か? 茂田氏によると大きく分けて三つあります。

1,コミントCommunications intelligence

2,エリントElectronic intelligence =電磁波、特にレーダー波の諜報

3,フィシントForeign instrumentation signals intelligence=ミサイルからの信号諜報

個人メールまで諜報

 このうち、1のコミントが我々一般市民にも関係があるので、これだけ詳細しますと、通信諜報のことで、電話、携帯電話、無線通信、インターネット、ファクス等の通信を傍受、情報収集することです。誰がやっているのかといいますと、米国の国家安全保障局NSA=National Security Agencyなどです。NSAは演題にあるように、UKUSAというシギント同盟を組んでいます。このUKUSA(ウクサ)には米国のNSA(約5万5000人)の他に、英国のGCHQ(政府通信本部、約7000人)、カナダのCSE(通信安全保障局、約3000人)豪州のASD(豪州信号局、約2500人)、ニュージーランドのGCSB(政府通信安全保障局、430人)の5カ国が参加しており、世界最大規模です。

 気になるのは、このコミントの通信諜報の中には、NSAは、マイクロソフト、ヤフー、フェイスブック、アップルなど大手IT企業と連携して、個人のメール情報等も収集して、NSA付属図書館に保管しているというのです。隠密にやっているので市民は何も知りません。これでは、まるで日本の敗戦後、GHQが日本人の庶民の手紙等を開封して検閲していたケースと同じようなものです。

 勿論、シギント活動は西側だけでなく、ロシアも中国も北朝鮮も世界各国で行われています。一番遅れているのは、何と日本だというのですから、それはそれで気にはなります。

 何しろ、茂田氏の資料は91枚もありましたから、このブログで触れることが出来たのはほんのわずかだったということをお断りしておきます。詳細を知りたい方は茂田氏の著書をお読みください。

繆斌工作は真実だった

 次に登壇したのは、元検事で現弁護士の太田茂早大・日大教授で、演題は「繆斌(みょうひん)工作は真実だった」でした。

 私自身、繆斌工作なる史実に関しては全く知らなかったので、「へー、そんなことがあったのか」と驚くばかりでした。今回は太田氏が2022年11月に出版した「日中和平工作秘史~~繆斌工作は真実だった」(芙蓉書房出版)の概要を説明する感じでしたので、これまた、詳細についてはこの本に譲ります。

繆斌工作とは何か?ー繆斌は重慶の蔣介石の使者として1945年3月、和平工作のために来日します。繆斌は、江蘇省の名家に生まれ、名門南洋公学在学中から国民党に加入し、 反軍閥闘争に参加します。その一方で、日中関係の悪化を強く憂い、日中友好組織新民会の幹部として両国の連携和平を模索し、小澤開作(満洲国協和会)や石原莞爾(関東軍参謀)らと交流し、度々、来日して玄洋社の頭山満や日本主義者の安岡正篤らとの親交を深めた人でした。

 繆斌の和平工作は、小磯国昭首相や緒方竹虎情報局総裁、東久邇稔彦王らが熱心に推進しようとしましたが、重光葵外相、米内光政海相、杉山元陸相、木戸幸一内大臣らが「これは謀略だ」と大反対し、 その上奏を信じた昭和天皇が工作中止の裁可を下します。この工作の真実性の鍵は、当時蒋介石に日本との和平の意思があったか否か、 米国など連合国をも和平に引き込める可能性があったか否かでした。 重光らが反対したのは、当時、蒋介石はカイロ宣言によって主権と領土の回復を保障されていた上、連合国から軍事援助を得ていたので、日本と和平しようとするはずがないと思い込んでいたからでした。

 この工作の真実性は、今日まで論争があり、決着がついておらず、日中戦争・和平工作史上の最大の謎となっています。 この工作が実現していれば、ヒロシマ・ナガサキも、ソ連の満州、北方領土への侵略もなく、1945年6月頃には、蔣介石との和平、更にはアメリカとの和平が実現していた可能性は十分にあります。工作失敗の原因は、軍部・政府の指導者のインテリジェンスの絶望的なお粗末さにあったのではないか。

報告者太田茂氏の「概要」を加筆

「阿片王」里見甫は情報通だった

 繆斌は戦後、漢奸(漢民族の裏切り者、日本のスパイ)として処刑されましたが、太田氏は、繆斌による和平工作は、蒋介石の支援もあり、実現すれば、確実に和平が成立していたといいます。それは、元検事の太田氏が400冊もの大量参考文献を読破してでの結論でした。重光らが繆斌の和平工作に反対したのは、「当時蒋介石はカイロ宣言によって主権と領土の回復を保障されていた上、連合国から軍事援助を得ていたので、日本と和平しようとするはずがないと思い込んでいた」という理由でした。しかし、太田氏の話の中で、最も興味深かったのは、「阿片王」里見甫が東久邇宮稔彦王(防衛総司令官)に1944年2月に会った時に話した内容でした(1944年2月2日の東久邇宮日記)。

 里見甫は満洲国通信社の事実上の社長を務めたことがあり、もともとジャーナリストで情報通です。恐らく、上海マフィアの青幇(ちんぱん)の首領杜月笙から得た情報といわれますが、蒋介石は、米ルーズベルトや英チャーチルが参加したカイロ会談(1943年11月22~26日)に招かれましたが、続くテヘラン会談(同年11月28日~12月1日)には呼ばれませんでした。当初、ルーズベルトは「スターリンが好まなかったから」という理由で断ったのですが、後から、実はルーズベルト本人が蒋介石の参加に反対していたことが分かり、これをきっかけに、蒋介石は米国に対して不信感を持つようになったというのです。

 もし、この里見情報が正しければ、蒋介石は、米国に対して恩義は感じず、日本との和平を進めた可能性が高くなるので、繆斌の和平工作もかなり信憑性が高くなるわけです。ただし、東久邇宮は何故、この里見情報を元に重光ら反対派をなぜ説得しなかったか、出来なかったのか、個人的には疑問を持ちました。(後で疑問を持ったので、会場では質問しませんでした)

 いやはや、大変マニアックな話でしたが、実に興味深い話でした。

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