鉢形城跡~「鉢形城主 北条氏邦」展

鉢形城址(埼玉県寄居町) 歴史
鉢形城址(埼玉県寄居町)

 いきなりですが、「日本100名城」(日本城郭協会選定)にも選ばれている埼玉県寄居町にある鉢形城(はちがたじょう)祉に行って参りました。城巡りはコロナで自粛していたので、本当に久しぶりです。

 実は、詳細は書けないのですが、予定した日程がドタキャンになってポッカリ空いたので、「あ、そっか、お城にでも行こう」と思い立ったのでした。私は、親譲りの無鉄砲で、子どもの時分から損ばかりしてきましたので、何の計画もなく速攻です。前日に会社の後輩の三澤君が病気で急逝したこともあり、「生きているうちに、やるべきことと、好きなことをしておこう」と思ったのでした。

 今は便利な時代になりまして、スマホ一つあれば、城跡の最寄りの駅も、電車の時刻も簡単に調べられます。こんな無計画な人間でも生きていける時代になりました(笑)。

自然の要害 鉢形城跡巡り

 鉢形城跡の最寄り駅は寄居駅で、東武鉄道、JR東日本などがありますが、私は、JR高崎線の熊谷駅から秩父鉄道に乗り換えて寄居駅に到達するコースを選びました。駅を降りて、駅前商店街があることを想像しておりましたが、あることはありましたが、ほとんど飲食店が見当たりません。駅に立ち食い蕎麦屋さんすらありませんでした。私は無鉄砲ですから、そのまま城跡に向かいました。荒川に架かる正喜橋を渡ると広大な「鉢形城公園」が出現しました。駅から歩いて20分ほどです。かなり広いです。後から看板で見て分かったのですが、総面積は24万平方メートルでした。東京ドーム約5個分の広さです。 

 寄居町のホームページや鉢形城跡の案内板によると-。

鉢形城跡(埼玉県寄居町)
鉢形城跡(埼玉県寄居町)

鉢形城は、文明8年(1476年)関東管領・山内上杉氏の家臣長尾景春(ながお・かげはる)が築城したと伝えられています。後に、この地域の豪族藤田泰邦に入婿した小田原の北条氏康の四男氏邦(うじくに)が整備拡充し、現在の大きさとなりました。

 鉢形城跡は、戦国時代の代表的な城郭跡として、1932年(昭和7年)に国指定史跡となりました。城の中心部は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、天然の要害をなしています。この地は、交通の要所に当たり、上州や信州方面を望む重要な地点でした。 

寄居町ホームページ「鉢形城跡の概要」より

 交通の要所であり、重要な拠点だったゆえに、小田原の後北条氏は、甲斐の武田信玄や越後の上杉謙信らの侵攻を受けて、北関東支配を巡って熾烈な争いが起こるのです。その後は、公園内の「史跡鉢形城跡」の案内看板にも載っていますが、以下の通りです。

鉢形城跡案内図(埼玉県寄居町)
鉢形城跡案内図(埼玉県寄居町)

天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原攻めの際、鉢形城は、前田利家、上杉景勝らの軍に包囲され、1カ月余に及ぶ籠城の末、城主北条氏邦は、城兵の助命を条件に開城しました。
 開城後は、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一、日下部定好が代官となり、この地を統治しました。

寄居町ホームページ「鉢形城跡の概要」などより

 看板には書いておりませんでしたが、徳川四天王の一人で、楽天の三木谷さんのご先祖様に当たる本多忠勝までもが鉢形城攻防戦に参戦していたといいます。この後訪れた鉢形城歴史館のパネルに書かれていました。私も、今回初めて知りました。

 最初に書いた通り、実際、城跡を散策すると自然の断崖を利用した守りの堅そうな城でした。

鉢形城址の自然の要害(埼玉県寄居町)
鉢形城址の自然の要害(埼玉県寄居町)

 そして、あまりにも広大で、本曲輪と二の曲輪辺りを散策して、本丸跡と、明治から昭和初期にかけて活躍した小説家の田山花袋の碑を見ただけで三の曲輪などはギブアップしてしまいました。

鉢形城址(埼玉県寄居町)
鉢形城址(埼玉県寄居町)

 次に鉢形城歴史館に行く予定だったからです。

鉢形城本丸址(埼玉県寄居町)
鉢形城本丸址(埼玉県寄居町)
鉢形城址にある田山花袋の碑(埼玉県寄居町)
鉢形城址にある田山花袋の碑(埼玉県寄居町)

 鉢形城歴史館(入場料200円)は、随分とこじんまりとした歴史館でした。鉢形城を再現したパノラマ立体地形図とパネルでの系図や概要説明がある程度で、あっけなく見学は終わってしまいました。

鉢形城歴史館(埼玉県寄居町)
鉢形城歴史館(埼玉県寄居町)

 鉢形城歴史館を退出した後、次の目的地に向かいました。昼時でしたので、何処かの飲食店に入りたかったのですが、あまり見当たらなかったので、コンビニでお握りを買ってランチは済ませました。

「鉢形城主 北条氏邦」展ー埼玉県立歴史と民俗の博物館

 私は「親譲りの無鉄砲で、無計画」と言いながら、実は大まかなプランは決めておりました。寄居町の鉢形城跡を見終わったら、次はさいたま市の大宮公園内にある「埼玉県立歴史と民俗の博物館」に行く予定だったのです。何故なら、ちょうど、特別展「鉢形城主 北条氏邦」を開催していたからです。まるで偶然の出来事のような書き方をしてしまいましたが、実は、朝日新聞4月3日付夕刊に、鉢形城巡りとこの特別展のことを取り上げた記事が掲載されていたのでした。この記事を読んでいたので、「いつか行ってみよう」と頭の隅にインプットしておいたのでした。

埼玉県立歴史と民俗の博物館(さいたま市大宮区)
埼玉県立歴史と民俗の博物館(さいたま市大宮区)

 特別展「鉢形城主 北条氏邦」は、なかなか力が入った企画展で、百点満点を挙げたいぐらいでした。北条氏邦(ほうじょう・うじくに=1548~97年)は、後北条家3代当主・北条氏康(河越合戦の勝者で、上野まで領地を拡大)の五男(異説あり)として生まれ、永禄元年(1558年)、武蔵国北部の有力国衆の藤田氏の養子になり、永禄11年(1568年)、甲斐武田信玄との抗争が始まると新たに鉢形城を構築したと言われます。私はこの4代氏政の弟に当たる氏邦のことはよく存じ上げなかったのですが、この特別展を見て、いっぱしの「氏邦通」になってしまいました(笑)。

「鉢形城主北条氏邦」展=埼玉県立歴史と民俗の博物館(さいたま市大宮区)
「鉢形城主北条氏邦」展=埼玉県立歴史と民俗の博物館(さいたま市大宮区)

国宝の書状

 何しろ、地元寄居町の鉢形城歴史館に行っても、鉢形城や北条氏邦に関するめぼしい資料や品がなかったのに、ここに来たら、書状や朱印状、仏像、お経、木造十二神将立像まで展示されていたのです。特に驚いたのは、北条氏邦による上杉謙信の家臣宛の書状が「国宝」に指定されていたことです。後から特別展の「目録」をよく読んでみたら、その国宝の書状は山形県の米沢市上杉博物館所蔵のものでした。お借りしてきたんですね。2状ありましたが、日付は永禄12年(1569年)9月10日付と永禄13年(1570年)2月12日付。いずれも今から450年以上も大昔の書状なのに、墨も紙も、まるで昨日書かれたように新鮮だったので、思わず、係の人に「これ、本物ですか?コピーじゃないですよね?」と尋ねてしまいました。そしたら、「はい、本物です。学芸員の方も震えながら展示した、と聞いております」と教えてくれました。 

 この国宝書状を見ただけでも、会場に足を運んだ甲斐がありました。北条氏邦は国宝になるほど凄い人だったのです!

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