浜離宮恩賜庭園で歴史散歩

浜離宮恩賜庭園の入り口ゲート 歴史
浜離宮恩賜庭園

 思い立って特別名勝・特別史跡「浜離宮恩賜庭園」(東京都中央区)に行って参りました。

 最近、心身ともに絶好調とはいえず、すっかり出不精になっておりましたが、「これではいけない」と思い直したのです。というのも、会社の卒業も間近に迫り、もう東京都心にはあまり行かなくなると思うと「今のうちに」と思い立ったわけです。

 なぜ、浜離宮恩賜庭園にしたのかと言いますと、会社の近くだからです(笑)。会社が日比谷、銀座にありましたから、新橋、汐留、虎ノ門、有楽町、日比谷、銀座、築地、新富町界隈の歴史的名所旧跡は大体制覇したつもりでしたが、この浜離宮恩賜庭園だけはどういうわけか一度も行ったことがなかったからです。40年以上も新橋、有楽町界隈をシマにしていたというのに!!

 縁がなかったというより、「いつでも行ける」と後回しにしていたからでした。

浜離宮は徳川将軍の別邸だった

浜離宮庭園の説明看板(昭和23年12月、文部省)

浜離宮恩賜庭園は、ご説明するまでもなく、江戸・寛永年間に鷹狩り場として江戸湾を埋め立てて開発され、6代将軍徳川家宣の時代から、代々将軍家の別邸「浜御殿」となりました。明治維新後には皇室の離宮となり「浜離宮」となりました。しかし、太平洋戦争での敗戦後、昭和20年11月に東京都に下賜され、一般にも公開(一般300円、65歳以上150円)されるようになりました。それが現在の名称「浜離宮恩賜庭園」になりました。

浜離宮恩賜庭園公式ホームページ

明治から皇室離宮、戦後一般公開

 ここまでは浜離宮恩賜庭園の公式ホームページに書かれていることです。書かれていないことで一つだけ触れますと、なぜ、敗戦後、浜離宮が東京都に下賜されたのかということです。それは、戦後日本を占領したGHQが、戦前に課税対象とならなかった皇室財産に対しても、財産税を課税したからでした。皇室の財産といっても多額の現金を持ち合わせていなかったので、土地や建物を「物納」せざるを得なかったのでしょう。同じように、戦後、皇籍離脱を余儀なくされた朝香宮邸は、現在、日本庭園美術館(東京都目黒区)になったり、竹田宮邸は、現在、グランドプリンスホテル高輪(東京都港区)になったりしております。

浜離宮恩賜庭園内の「延遼館跡」の看板
浜離宮恩賜庭園

 恩賜庭園時代は、戦後から現在まで78年間、明治から昭和にかけての浜離宮時代は77年間、江戸時代の浜御殿時代は214年間ですから、やはり、浜御殿時代の名残が一番色濃く残っているかもしれません。でも、入場口から入って直ぐに「延遼館跡」がありました。写真の説明文の通り、明治2年に英国王子が国賓として来日したことを契機に迎賓館として建てられました。明治12年にはグラント第18代米大統領(南北戦争時の北軍の将軍)が2カ月も滞在したことも書かれています。

浜離宮恩賜庭園内の内堀
浜離宮恩賜庭園

 平日は会社なので私は日曜日に出掛けましたが、浜離宮恩賜庭園は、外国人観光客でいっぱいでした。日本人より多かったと思います。英語は当然、聞かれましたが、あまり聞き慣れない言語を話す外国人が多かったでした。最初はフランス語かと思いましたが、よく聴くとフランス語ではありませんでした。仏南部のオック語かもしれませんが、もしかしたら、チェコ語かハンガリー語かポーランド語かクロアチア語かもしれません。ちょっと勇気が出なくて、どちらからいらしたのか聞けませんでしたが。

浜離宮恩賜庭園内の「浜見世」
浜離宮恩賜庭園

 ま、ともかく、外国人観光客の皆さまがどれだけの日本史の基礎知識があるのかなあ、と思ってしまいました。恐らく、「日本庭園」の一つとして鑑賞に訪れただけで、歴史まで関心がないことでしょうね。ですから、この庭園は、もとも江戸将軍家の「保養所」だったことも、維新後、皇室領になったものの、敗戦後は、物納せざるを得なくなって、一般公開されるようになったことも知る由もないことでしょう。

浜離宮恩賜庭園内の燕の御茶屋
浜離宮恩賜庭園

歴史散歩の愉しみ

 しかし、知っているのと知らないのとでは大違いです。「歴史散歩」をするには、ある程度の知識が必要であることは言うまでもありません。

浜離宮恩賜庭園内の潮入りの池と中島の御茶屋
浜離宮恩賜庭園 潮入りの池と中島の御茶屋

 そんな私も勿論、事前に初歩的知識は仕入れて出発します。でも、その知識はほとんど裏切られます。やはり、現地に足を運ばなければ得られないことばかりです。

 つまり、ネットや本に載っている説明以外の「知識」が現場で得られるということです。

 それに、実際、足を運んでみて、私もすっかり将軍さまの気分になれました。上の写真の中島の御茶屋は1983年に再建されたらしいですが、圧倒されました。鷹狩りの際の休憩所となったようですが、池は江戸湾の海水をそのまま引き入れたものです。恐らく、将軍さまは、むさ苦しい髭面の家来だけでなく、御台所や大奥の女中連中も気晴らしに船で同行させたに違いありません。まさに、保養所です。

浜離宮恩賜庭園内の灯籠
浜離宮恩賜庭園

 その一方で、この時代、農民たちは納税で苦しんでいても、最高権力者たちはこうして楽しんでいたのです。浜御殿の面積は25万平方メートルあるらしいのですが、一周ぶらぶら回るだけでも小一時間は掛かりました。

 徳川政権の絶大なる権力と富の大きさを感じました。

 勿論、歴史散歩だけでなく、単なる庭園散歩、お花見散歩(この日は菜の花が満開でした!)もお勧めです。四季折々の花々が鑑賞できます。何しろ、将軍さまの御殿ですから。

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