保渡田古墳群 訪問記 群馬県高崎市

保渡田八幡塚古墳(かみつけの里博物館ネット解禁写真) 雑感
保渡田八幡塚古墳(かみつけの里博物館ネット解禁写真)

 5月28日(水)、群馬県高崎市の保渡田(ほどた)古墳群に畏友栗原氏を誘って、行って来ました。昨年10月~12月に東京・上野の国立博物館で開催された「はにわ展」を観て、是非、いつか行ってみたいと思っていたのでした。

保渡田八幡塚古墳 keiryusai.net
保渡田八幡塚古墳 keiryusai.net

訪れて良かった!

 保渡田古墳群は東日本最大級の古墳です。結論を先に書きますと、「訪れて本当に良かった!」です。絶対に一見の価値があります。勿論、古墳は古代の王のお墓ですから、厳粛、神聖な気持ちでお参りするべきかもしれませんが。

アクセスが不便

 難点を一つだけ言えば、アクセスが不便だということです。自家用車をお持ちの富裕層の皆さんは、全く問題ないのですが、私のような貧乏人は、電車とバスに頼るしかありません。しかも、バスなんか数時間に1本程度しかないのです。JR高崎線の高崎駅からバスが通っているらしいのですが、HPで調べても、バスが発着するのが駅の東口なのか西口なのか北口なのか南口なのか、そしてバス停は何番なのか、それさえ書かれていません。仕方がないので、保渡田古墳群に隣接する「かみつけの里博物館」に事前に電話して、行き方を問い合わせてみました。

かみつけの里博物館(群馬県高崎市)の埴輪 keiryusai.net
かみつけの里博物館(群馬県高崎市)の埴輪 keiryusai.net

 そしたら、ばっちし、丁寧に教えて頂きました。

88歳の森田さんが合流

  高崎駅に着いて、バスの発車まで時間があるので、駅の売店で、お昼の「達磨弁当」を買ったり、ベンチで座っていたりしたら、偶然、同じ保渡田古墳群にこれから行きたいという高齢の女性がいました。彼女は何と88歳だというのです。御主人に先立たれたので、いつも一人旅をしているというスーパーおばあちゃんでした。おばあちゃんとは言っても、背筋がピンと伸びて、88歳にはとても見えません。せめて75歳ぐらいです。でも、そのお年で、よく一人旅をされるのかと感心してしまいました。彼女は、わざわざ千葉県から来た森田さんという方でしたが、「行き方が分からない」というので、それでは「旅は道連れ」ということで一緒に行きましょう、ということになりました。

感じ悪い運転手

 高崎駅から保渡田古墳群までは、ぐるりんバス大八木線に35分ぐらい乗って、井出町西というバス停で降りて、そこから10分ぐらい歩く、という話を博物館の人から聞いていました。バスの運転手さんに詳しく聞こうと思いましたら、機嫌が悪いのか、性格なのか、異様にぶっきらぼうで感じが悪く、諦めてしまいました。

 バス停で降りて、最後の手段ということで、Googleマップを頼りに歩いて行きました。そしたら、かろうじで目的地に着きましたが、我々がいなかったら、森田さんは、どうなったことでしょう、と思ってしまいました。

 かみつけの里博物館に着いた時は、ちょうど昼過ぎでしたので、駅で買って来た名物「達磨弁当」をベンチで食べてエネルギーを補給して、館内を見学しました(入場料は一般200円ですが、65歳以上と中学生以下は無料)。森田さんは、気配りの人で決してベタベタせず、「これから一人で行きますが、帰りのバスはご一緒させてください」と仰るので、博物館前入り口にあるベンチの所で、午後3時頃集合しましょう、ということになりました。

榛名山の噴火で忘れられていた

 館内は、埴輪や古墳群全体のパノラマなどが展示され、大変見応えがありました。保渡田古墳群は、八幡塚古墳、二子山古墳、薬師塚古墳の三つの前方後円墳が集積する古墳群で、約1500年前の5世紀から6世紀にかけてつくられたといわれます。それが、6世紀頃に榛名山が二度も噴火し、その火山灰で古墳群も埋まり、長い間その存在が忘れられたようです。昭和初期には既に発掘作業が進められていましたが、本格的に調査が始まったのは、1982年に開業した上越新幹線の工事の際に、大々的に「遺跡」が見つかってからだというので、「つい、最近じゃないか」と思ってしまいました。

かみつけの里博物館(群馬県高崎市)の埴輪 keiryusai.net
かみつけの里博物館(群馬県高崎市)の埴輪 keiryusai.net

八幡塚古墳

 博物館を出て、いよいよ目指すは、本物の古墳です。まずは、八幡塚古墳を目指しました。

保渡田八幡塚古墳 keiryusai.net
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 いやはや、圧倒的な感動です。日頃の行いが良いせいか(笑)、好天にも恵まれて、清々しい気持ちになれました。

保渡田八幡塚古墳 keiryusai.net
保渡田八幡塚古墳 keiryusai.net
保渡田八幡塚古墳 keiryusai.net
保渡田八幡塚古墳 keiryusai.net

 小学生の遠足と思われる団体もいましたが、平日の昼間ということでほとんど人がおらず、独占状態でゆっくりお参りすることが出来ました。「来て良かった」と何度もつぶやきました。

保渡田八幡塚古墳 keiryusai.net
保渡田八幡塚古墳 keiryusai.net
保渡田八幡塚古墳 keiryusai.net
保渡田八幡塚古墳 keiryusai.net

 地下に舟形石棺がありましたが、中の豪族(王様)の遺骨等は盗掘されて何もありませんでした。

保渡田八幡塚古墳の舟形石棺 keiryusai.net
保渡田八幡塚古墳の舟形石棺 keiryusai.net

二子山古墳

 次に向かったのが、二子山古墳です。

保渡田二子山(ふたごやま)古墳 keiryusai.net
保渡田二子山(ふたごやま)古墳 keiryusai.net

 八幡塚古墳からは目と鼻の先です。歩いて5~6分といったところでしょうか。

保渡田二子山(ふたごやま)古墳 keiryusai.net
保渡田二子山(ふたごやま)古墳 keiryusai.net

 しかし、この時、異変が起こりました。同伴してくれた栗原氏が、ちょっともう脚がしびれて登るのがしんどいので「一人で行ってください」というのです。彼は普段、歩かないで、本ばかり読んでいるので、脚力が落ちたようです。自分はあそこの木陰で休んで、待っているというのです。

 それで、仕方がないので、一人で行きました。私は普段、毎日歩いて鍛えてますから大丈夫でした。

 二子山古墳も同じように石棺がありましたが、八幡塚古墳と同じで、やはり盗掘されておりました。

保渡田二子山(ふたごやま)古墳の石棺 keiryusai.net
保渡田二子山(ふたごやま)古墳の石棺 keiryusai.net

 それでも、天気に恵まれ、5月のさわやかな薫風が吹いて、木々の青葉が目に染みました。

保渡田二子山(ふたごやま)古墳 keiryusai.net
保渡田二子山(ふたごやま)古墳 keiryusai.net

風立ちぬ

 栗原氏のところに戻ると、木陰に咲くシロツメクサの上に座っていました。そして、栗原氏はいきなり、フランス語で呟きました。 

 Le vent se lève, il faut tenter de vivre. (風立ちぬ いざ 生きめやも)

 ポール・ヴァレリーですか…。それとも、堀辰雄?

 栗原氏は5月の薫風を肌に受けて、自然と出てきた言葉でしょうが、それにしても、いきなりフランス語とはキザですなあ…(笑)。

 私も薫風を受けて気持ち良くなり、少し離れた薬師塚古墳にまで行くのをやめてしまいました。

ヤマト王権の東方拡大?

 これだけ巨大な古墳群に葬られた豪族とは、古代、この辺りを治めていた上毛野氏(かみつけのうじ)や車持氏(くるまもちうじ)といった王族という説が有力です。ヤマト王権と匹敵するぐらいの規模ですから、彼らは、神話ではなく実在性が高い第10代崇神天皇の縁戚という説があります。ヤマト王権が東方に拡大したということなのでしょうか。

実は90歳だったとは…

 扨て、帰り。森田さんと合流し、またGoogleマップを頼りに、バス停を探しながら歩きました。その途中で、私が、ズケズケと「88歳でしたら、昭和12年生まれですね」と大胆に突っ込んでみました。そしたら、森田さんは「いえ、実は私…本当は90歳なんです。昭和10年生まれなんです」と仰るではありませんか。私はずっこけそうになりました。何とまあ! 私は「まるで生き仏ですね。森田さんの元気にあやかりたい」と言いながら、彼女を拝みました。「娘から、もう一人旅は危ないから、と止められているので、これが最後かもしれませんけどね」と彼女は少女のような恥じらいを見せました。

 私は、職業柄、仲良くなれば、色々と質問してしまいますが、森田さんは、何と北海道の名門札幌南高校出身で、ベストセラー作家の渡辺淳一(1933〜2014年)の1年後輩に当たるというのです。驚きましたねえ。「旅は道連れ」ですが、今回は不思議な御縁で森田さんのような人と知り合うことが出来ました。

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