昨年大いに話題になった村上春樹著「街とその不確かな壁」(新潮社)がやっと図書館から手に入ったので、読みました。2023年4月10日初版となっておりますから、1年半待ったことになります。でも、図書館からメールで連絡があった時、「あれっ?何の本だっけ?」とすっかり忘れておりました(苦笑)。我ながら冷たいですねぇ~。
先日もこのブログに書きましたが、私は、漫画は中学生時代で終了し、小説は30代で卒業しましたので、漫画も小説も読まないというより、読みにくくなってしまいました。漫画は画と会話文字と交互に瞬時に読みこなす脳の能力が衰え、小説はその会話体の文章が錯綜してしまい、どうもスッと頭の中に入ってこなくなり、字面だけを追っている感じになってしまったからです。
ノーベル文学賞候補に何度もなっている世界的スーパースターの村上春樹さんの作品は、昔は、文藝記者という仕事もあり、かなり熱心に読んだものでした。覚えている限りでは、新刊が出るのを楽しみにして読んでいたのは「ねじまき鳥クロニクル」までで、それ以降はほとんど読まなくなってしまいました。「ねじまき鳥クロニクル」第1部が出版されたのは1994年ということですから、もう30年も前の話だったんですね。
30代で亡くなった熱田さん
またまた、以前にこのブログで書いたことがありますが、村上春樹さんとは一度だけ都内のホテルで開催された文藝パーティーでお会いしたことがあります。一緒に文藝担当をやっていた後輩の熱田千華子さんという女性記者が熱烈なハルキストで、「一人じゃ怖いので一緒についてきてきてください。会ったら卒倒してしまいます」と頼むので二人で名刺を出して挨拶をしたのでした。その熱田さんも2004年に米ボストンで不慮の交通事故で亡くなってしまいました。まだ30代の若さでした。検索したら熱田さんのホームページが出てきましたので、ご興味のある方は御覧になってみてください。
あからさまな性表現
ということで、私はハルキストではないので村上春樹を語る資格はありませんが、新刊が出る度に注目はしていました。それにしても、大ベストセラーになった「IQ84」も「海辺のカフカ」も読んでいないのに、何でこの「街とその不確かな壁」を読もうとしたのか我ながら不思議です(笑)。
この本は、何の本というべきなのか? 恋愛小説なのか? サスペンスなのか? ミステリーなのか? SFなのか? もし、推理小説だとしたら、種明かしになってしまうので、あまり内容に触れてはいけないのかもしれません。
でも、最初に17歳の少年と16歳の少女の恋愛が出てきた時、恥ずかしくなってしまいました。「きみの柔らかな太ももの内側に手を触れ」だの「勃起したぼくの◯◯」だのといったあからさまな表現が出てきたからです。「70歳過ぎてもよくこんな文章が書けるなあ。恥ずかしくないのかなあ。自分は小説家にならなくてよかった」というのが正直な感想でしたが、読み進んでいくうちに、それは言い過ぎだということが分かって来ましたが。
さすが文章のプロ
まあ、何と言いますか、ノーベル文学賞候補さまに対して大変失礼ではありますが、「さすが文章のプロ。荒唐無稽なあり得ない話でも、読者をグイグイ引き込んで、ページを繰る暇が惜しくなるほどだ」と最大の賛辞を送りたくなったのです。登場人物は全員一筋縄ではいかない、かなり奇妙奇天烈で、おまけに幽霊まで出てくるので作者の妄想についていけなくなる時もありますが、「文学」という芸術が生み出す物語に対して、読者として頭からひれ伏したくなってしまうほどなのです。つまり、小説とは活字という媒体を通して出来る作家と読者との交信(コレスポンデンス)なのかもしれません。
脳内遊戯
先程、推理小説と書きましたが、内容に触れたらフェアではないので、この本のあらすじは書かないことに致します。小説が読めなくなった私ですが、それでも無理して読んでみると、不愉快で不安な現実を少し忘れて、空想の世界の一時(ひととき)を味わうことが出来ました。まさに「脳内遊戯」と言うことが出来ます。
読了後、暫くの間、そう3日も4日も、その余韻に浸ることが出来ました。不思議な感覚と経験です。それはまさに文学が産み出す力なのでしょう。
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