昨晩は、元会社の後輩のW君とNさんのお導きで、私の送別会を銀座界隈で開催してもらいました。本当に有難いことです。有難いというのは「御礼」の意味と、「滅多に有ることではない」という両方の意味です。これで、元会社関係の皆さんからの送別会は一応終了になりますが、来月は京都にお住まいの京洛先生が上京して主催してくださる送別会が控えております。
私はそれほど友人が多い方ではないと思っておりましたが、こうして何人も何人も送別会を開いてくださるわけですから、世界一幸せ者なのかもしれません。本当に有難いことです。
フリーライターになったW君
W君は元会社の1年後輩でしたが、どういうわけか、運動部で一緒になり、大阪でも一緒になり、東京の文化部に移ると彼も文化部を希望して一緒になるなど、結果的に最も縁の深い後輩になりました。彼は今年3月末で一足早く退職して、フリーのスポーツライター等を生業にしております。特に、東京相撲記者倶楽部の会友として今でも本場所や相撲部屋等を取材していますから、相撲記者会で知らない人はいないと思います。支度部屋での関取のテレビインタビューの際、ペンとメモ帳片手のW氏が関取の後ろで写ったことが何度かあります(笑)。
彼は学生時代にソフトボールをやっていた関係で、「マイナー」と言われても五輪種目にもなったソフトボールの取材にも熱心で、今後、有料の記事をネット配信する計画などを話してくれました。
「銀座探訪」
Nさんも元文化部記者で、現在も現役で会社のネット配信記事で「銀座探訪」というタイトルで連載をしています。先日は、銀座の旦那衆(経営者)らが浄瑠璃など芸事をたしなむ「銀座くらま会」を取材した話をしておりました。銀座くらま会は大正時代の半ばにつくられた歴史のある会で、今年はちょうど100回目の舞台が新橋演舞場で10月28日に行われるというタイミングで関係者に深く取材しております。御興味のある方は、JIJI.COM「銀座探訪」の連載記事「邦楽でつながる旦那衆の『くらま会』 街を盛り上げる粋なネットワーク」をお読みください。(リンクを貼っております)
訃報確認は至難の業
話は、3人ともお互いによく知っている人たちの近況や噂話や悪評(笑)ばかりでしたが、文化部記者時代で苦労した共通の話は、やはり有名人の訃報記事だったことで一致しました。文化部記者は、この訃報記事のために土曜も日曜も祝日なく、そして盆暮れ正月もなく、夜中でも、何かあれば韋駄天の如く会社に出て来なければなりません。まあ、一日も心休まる暇がない職業なのです。深く取材したことがある相手でしたら、電話番号を知っていたり、写真もあったりしますが、そうではない人となるとその確認作業に厖大な時間と労力が必要とされるのです。それに、有名人に限って、「亡くなったのではないか?」という噂が流れるのは、土日とか、夜遅くとか、確認作業が取りにくい時間帯だったりするのです。
まあ、こういった話は、内輪の内部極秘情報ですが、もう時効だから良いでしょう。Nさんは、12月31日の大晦日が出勤当番だった日に女優の高峰秀子さんの訃報確認作業で大わらわになったことが一番の思い出だと話していました。W君も訃報確認作業に関しては相当苦労したらしく、歌手の淡谷のり子さんや東山魁夷画伯らがなかなか確認できなくて大変だったと話していました。
隠れ家のようなお店
最初のお店は、W君行きつけの日比谷の「くすの木」という高級居酒屋で、2軒目は、Nさん行きつけの銀座8丁目の「あるぷ」という1976年開業の高級バーでした。このバーは、金春通りから狭い狭い路地の奥に入った隠れ家のようなお店で、「よくぞこんなお店を知っているものだ。さすが『銀座探訪』しているNさんだ」と感心してしまいました。
両店ともお二人から御馳走になってしまいました。このことだけは書いておかなければ、と思い、本日もまたまた身辺雑記になってしまいました(笑)。
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