【福井旅行(下)】三方五湖、気比神宮、北の庄城址

三方五湖と日本海 keiryusai.net 歴史
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 福井旅行の三日目、最終日です。

【三日目 9月14日土曜日】

三方五湖

 この日も朝9時出発。三方五湖レインボーラインを通って、リフトに乗って、梅丈岳の山頂公園を目指しました。住所は福井県美浜町です。福井市内からバスで1時間20分ほどですが、この観光地は全く知らず、期待もしていませんでした。しかし、しかし、ですよ。驚くほど素晴らしい景観でした。私は日頃の行いが良いので(笑)、好天に恵まれ、その展望は吸い込まれるほどで、本当に感動致しました。

 それでも、自宅に帰って、後から思い出したのですが、福井県の美浜町といえば、美浜原発がある所でしたよね。この三方五湖の山頂公園からはその存在がすぐ分かりませんでしたし、この美しい景観からは全く想像も出来ませんでした。

三方五湖 keiryusai.net
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 三方五湖とは、三方湖と水月湖と日向湖と菅湖と久々子湖の五湖のことで、その五湖の深緑色と日本海の群青色とのコントラストが絶妙でした。いつまでも飽かずに眺めました。

三方五湖 keiryusai.net
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三方五湖と日本海 keiryusai.net
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気比神宮

 この後に向かったのが気比神宮です。上古の時代に伊奢沙別命(いざさわけのみこと)を祀って創建され、702年に武内宿禰命ら六柱を合祀した越前一之宮です。「神宮」ですからかなり格式が高いので、大いに期待したのですが、意外と小ぶりな社内でしたので少し拍子抜けしてしまいました。恐らく領地は、創建当初の10分の1とか50分の1ぐらい縮小されたのでしょう。戦国時代の戦乱で荒廃していましたが、1614年、初代福井藩主の結城秀康によって再建されました。その際の鳥居は、奈良の春日大社、広島の厳島神社とともに三大鳥居だと言われています。

気比神宮 三大鳥居 keiryusai.net
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気比神宮 本殿 keiryusai.net
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 神宮内に有名な「長命水」がありましたから、ほんの少しだけ口に含みました。

 私は煩悩凡夫ですが、欲を張ると碌な事はありませんからね(苦笑)。

気比神宮 長命水 keiryusai.net
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 この後、ツアーですから、結託した、いや間違い、提携したお土産屋さんに連れて行かれ、その後、やっと福井駅に到着しました。

北の庄城址・柴田公園

 集合時間までまたまた1時間半以上ありましたので、今度もまた一人で北の庄城址・柴田公園に行ってみました。バスの窓からその公園が見えたからでした。福井駅から迷わなければ、歩いて5~6分の所にあります。ここは、織田信長の重臣柴田勝家の居城で、本能寺の変後、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れて、ここで勝家は妻のお市の方(信長の妹)とともに自害した所でした。

北の庄城址・柴田公園 keiryusai.net
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 もともと、一乗谷の朝倉義景攻めの信長軍の総大将が柴田勝家でした。勝家は、信長の命令で一乗谷を焼き払った後、朝倉家臣たちがまた戻ってこないよう監視するために、信長の命で、一乗谷から10キロほどの近さにあるここ北の庄に城を構えました。

北の庄城址・柴田公園 柴田勝家像 keiryusai.net
北の庄城址・柴田公園 柴田勝家像 keiryusai.net

 時を経て、1600年の関ケ原の戦いの後、結城秀康が福井入りして福井城をつくりますが、福井城はこの北の庄から800メートルとかなり近い所に築城されました。風水か気学か何かで築城の土地は決定されることでしょうが、福井駅周辺にはそんな築城にふさわしい用地が集中しているように思われ、大変興味深かったでした。

 柴田公園内にある資料館に入ると、パネル写真、資料などが展示されていました。宣教師ルイス・フロイスが柴田勝家に会うために二度もこの北の庄城を訪れていたことが書かれていました。京都から近いせいでしょうが、知りませんでしたね。やはり、現地に行かなければ分からないことを実感しました。

勝家公と北の庄関連年表 keiryusai.net
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 また、資料館の展示を見ていると、福井藩は、幕末の四賢侯の一人と言われた16代藩主松平春嶽や安政の大獄で死罪となった橋本佐内、五箇条の御誓文の草案を起草した由利公正ら英傑を輩出した藩だったことも思い起こされました。坂本龍馬も松平春嶽や由利公正に会いに福井城を訪れていましたから、幕末でもそれぐらい重要な藩だったのです。

 福井駅に戻って、夜食の駅弁として焼鯖寿司とビール、お土産として「へしこ」と、はや川の「くるみ羽二重」、江戸時代の文化元年(1804年)創業の天たつの「汐雲丹」をAさんのお勧めで購入しました。天たつの汐雲丹は目の玉が飛び出るほど高かったのですが、松平春嶽や由利公正らも恐らく食したと思われますから、買わざるを得ませんでした(苦笑)。

 (おしまい)

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