スマホ廃人の妄想

 私は過激思想の持ち主ですから、混雑した街中での「歩きスマホ」は禁止にして、違反した者には罰金を科したら良いと思っています。再犯防止として罰金は1万円です。その罰金は公共の福祉に使えば良いのです。それほど、無神経な歩きスマホには毎日、迷惑しております。

 二宮尊徳さんの薪を背負って本を読みながら歩く姿は許せますけど、現生人類のホモサピエンスは、そこまで緊急を要する情報をスマホで取得しなければならないほど追い込まれているのでしょうか?

 それほどでもないでしょう。余程緊急なら、脇道に除けて通り道の邪魔にならないようにしてもらいたい。単なるスマホ中毒か、スマホ依存症で、一瞬たりともスマホ画面から目が離せないだけなのでしょう。

 確かにスマホは罪作りです。他人様を非難する前に、私自身もかなりのスマホ中毒だということを認めなければいけません。このブログを執筆したり、編集・校正したりする時にも電車の中でスマホで作業したりしていますからね。スマホ依存症というより、もはや「スマホ廃人」に近いかもしれません。

 それにしても、現生人類が、縦14.5センチ、横6.5センチの小さな電子発光画面を1日何時間も集中して見ているのは異常です。現生人類が誕生して30万年の間、我々はほとんどの時間は、何十メートルも何百メートルも遠く離れた距離にいる獲物を見付けるために、目をこらしていたはずです。ケニアのマサイ族の視力は3.0以上あると聞いたことがありますが、まさに遠距離を見ることに特化していたからなのでしょう。

 その一方で、現代人は30センチ以内の至近距離のスマホ画面ばかり見ていますから、視力も近い物を見るように特化され、遠くの物は見えにくくなっています。

 そこで、私は、もはやスマホは捨てられませんから、なるべくスマホ画面は見ないようにし、外に出掛ければ、なるべく遠くの景色ばかり見るようにしてみました。そしたら、不思議。少し人生観まで変わってきました。よく、「近視眼的思考」などという言葉を聞きますが、まさしく、近視眼的思考では視野が狭くなります。遠くの物を見るようにすると、同時に思考も広く解放される気がするのです。

 小さな身近なことで悩んでいたことでも鷹揚に構えることが出来るようになったのです。これは、気のせいか、錯覚かもしれませんが、まずはお試しあれ。

 名古屋にお住まいの友人のT君は目下、よんどころのない事情で施設に入っていますが、そこでは、スマホを見る時間が制限されているそうです。これは理にかなっています。

 よく、人間を上回る知性が誕生するシンギュラリティーの時代がやって来る、と言われていますが、AI(人工知能)の話どころではありません。もう既に人間はスマホなしでは生活すら出来ず、スマホを使っているのではなく、スマホによって支配されているではありませんか。

 スマホを捨てよ、遠くを見よ!

 

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