久し振りの高校同窓会に参加しました

海城学園6年5組(目良先生・1975年卒業アルバム) 雑感
海城学園6年5組(目良先生・1975年卒業アルバム)

 個人的な話ながら、6月22日(土)、東京・高田馬場の居酒屋「梵天」で開催された海城高校の同窓会に参加して来ました。同窓会は1年3カ月ぶりです。目良先生が担任で、高校2年と3年で同じクラスだった仲間は48人おりましたが、今回参加した元生徒は13人でした。

高田馬場「梵天」
高田馬場「梵天」

 級友48人のうち、早くも亡くなってしまったのが、神林康君と田中英夫君の2人、今回参加したくても病気療養中で参加できなかった人が4人もおりました。幹事ではないので、正確な数字は分かりませんが、連絡先が分からない行方不明の方も20人ぐらいいたようです。勿論、欠席者もいて、今回の参加者は、ある程度健康と生活に恵まれた人だということになります。目良先生も今年80歳になりましたから、あと何回開催できるかといった状況になりましたので、私自身は今後も出来るだけ参加していくつもりです。

加賀前田藩家老の末裔

 今回、初めて参加した人が2人おりました。卒業式以来ですから約半世紀ぶりの再会です。全く面影がないので、最初の挨拶が「お前、誰だよ?」です。皆十代の悪ガキ時代に戻り、「俺」「お前」で、名前も呼び捨てです(笑)。初参加の1人は松平君で、大学卒業後、誰でも知っている大手素材メーカーに就職し、今は年金生活のようです。高校時代の綽名が、「まつへい」でした。当時は、知性も教養もありませんでしたからね。しかし、今は違います。松平と言えば、泣く子も黙る徳川家康の縁戚です。まさか、彼も、その一人じゃないかと、聞いてみたら、ほんまもんで、彼の御先祖さまは、加賀前田藩の家老を務めていたというのです。これには吃驚です。

 松平家は、安祥松平家を始め、深溝松平家、大草松平家、岡崎松平家など100家ぐらいあると思って、彼に聞いてみたところ、「いや、300家ぐらいあるんじゃないかなあ」と言うではありませんか。彼はその300家の松平家の中でも格が上の出身だったということになります。世が世なら出会えるような人物ではなかったんですね(笑)。

観光サイトのアプリ製作

 もう1人の初参加者は下條君です。参加者のほとんどが定年退職で年金生活を送っているというのに、彼はいまだ現役で、参加者の中で最もバイタリティーがありました。何と言っても驚いたのは、高校時代の彼は体重が50キロぐらいでガリガリに痩せていたのに、今は太鼓腹で、お相撲さんのように太っていたことです。全く別人です。彼の名誉のために体重はここで書きませんけど、まず、街で会っても絶対彼とは分かりませんね。

 下條君に仕事は何をしているのか、聞いたところ、最初は「自営業だよ」とごまかしていましたが、よくよく聞いていくと、IT関係、もっと具体的に言いますと、「WANNAGO JAPAN」という観光サイトのアプリを製作しているというのです。

 地方の自治体や観光協会と連携し、実際に旅行した人に投稿してもらい、連帯の輪を広げていくサイトになっているようです。また、スマートグラスというIT眼鏡をかけると、色々な情報が網膜に写し出してくれる最新技術も展開しているようです。下條君はかなりのやり手(go-getter)です。大言壮語するところがありますが、多くの引退した年金生活者の前で、「いやはや、人生、これからだよ、これから」と大声で叫んでおりました。

 毎回のように、北海道から飛行機で参加してくれる林君や青森から駆け付けてくれる小島君も今回参加してくれましたが、下條君は、山梨県から2時間かけて参加してくれました。

 今回もう1人ご紹介したい人は、美大を卒業後、母校海城学園の美術・技術教師になった細川君です。彼も定年退職しましたが、何とユーチューバーに転向したというのです。「【海城生に向けて】細川勝先生からの授業」というYouTubeを開設し、目下、1万人も会員がいるというので吃驚です。

 私のこの渓流斎ブログは、1日のアクセスが数十人程度ですから、桁違いです。

海城学園6年5組同窓会(2列目中央が目良先生)
海城学園6年5組同窓会(2列目中央が目良先生)50年後の高校生たち。私も何処かにいます

 2次会まで参加し(80歳の目良先生を始め7人)、久し振りに旧交を改めました。小島君が、ホリエモンとか西部邁とかを持ち出して、意味不明の他愛のないことをおしゃべりしたので、遠い自宅に帰った頃は、もう何年かぶりの「午前様」になっておりました。普段は10時過ぎには就寝しているので、流石に疲れました(苦笑)。楽しかったので、心地良い疲れでしたが。

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